雨が降っていた。
ゆっくりと帰り支度をするあいつと、
大急ぎでデスク周りを片付ける私。
「上がっていいですか?」
室長の許可をもらい、教室を出る。
あいつも続く。
エレベーターではなく、灰皿が置いてある非常階段から帰る。
二人きりになった。
数日前、一服を終えて教室に戻ろうとすると
帰る途中のあいつと鉢合わせた。
「帰るの?」
「うん。」
教室ではできなかった、どうってことない会話を2、3言交わす。
途端に精気が無かった目が輝きを取り戻しいつものあいつに戻る。
「先生タバコ吸ってるんですか?」
「え、なんで?」
「だってちょくちょく外行くから。」
「ちょっと、誰にも言わないでね。」
「言わないよ。俺らの年だからわかることだよ。
小中学生はわからないと思うよ。」
それからあいつのバイト先の話になった。喫煙者が多いとのこと。
接客業なら当然だろう。まして居酒屋のキッチンならなおさら。
不覚にも、「喫煙」が私たちの間の唯一の秘密になった。
その事実にあぐらをかき、その日もすぐさまタバコに手をのばした。
「あたしここで吸ってから帰る。」
あいつも待ってくれた。
帰ってくれて構わない。
「喘息持ちじゃないよね。」
もうライターに火は着いている。
「これ先生の灰皿ですか?」
「ううん、下の階の人だよ。みんな自分の階で吸ったらお客様に
見えちゃうからね。」
「なんかね、バイト先のスタッフルームね、めっちゃ狭いんだけど
喫煙者に囲まれたら火事みたいになってる。」
目を輝かせながらあいつが語る。
また喫煙者つながりから、あいつが現役の時に通っていた塾の講師の
話になった。
彼も喫煙者であった。
私が以前使用していたコンビニの喫煙所を使用していたらしい。
皮肉にも、「喫煙」ネタで会話が広がっていく。
「絶対クビだよねー。こんなとこ見られたら。」
大きく煙を吐きながら言った。
あいつがキラキラした目で笑う。
醜いだろう。私のこの姿。
羞恥心ゼロでさらけ出す。
生徒の前での喫煙。
一方のあいつは先ほどの講師とごはんを食べたり、サッカーをしたりなど
もちろん連絡をとったりなど極めて近い距離にいることに抵抗は
無いらしい。ただ男性講師とだ。
「いいよねー、男同士だと。」
あいつはどう受け取ったのかは知らない。
特に意味は無い。
4年続けてきた中での唯一の苦情は、
男子生徒とたまたま帰る時間がいっしょで、下の階までいっしょに出てきたことだ。
後日母親からクレームが来た。
新人の頃だった。
「いっしょに帰っているように見えた。」
それから帰る時間は生徒とずらし、男子生徒とはエレベーターにいっしょに
乗らない。
スカートをやめパンツスーツに。
長かった髪は束ねた。
一方では男性講師と男子生徒が、いっしょにコンビニに行く、いっしょに
帰るというのは何のおとがめも無かった。
それを見て純粋に羨ましく思ったこともある。
それに比べれば、今私がやっているのは確実に逸脱行為だ。
しかもとりわけ大事な生徒さんと。
いっしょに階段を降りる。
雨が降っている。
傘が二つあるのが、もどかしかった。