10分後、最低限の片付けを済ませすぐさま退勤した。
信号で左右確認。お迎えの親御さんがいないのを確認するためだ。
言われた通りコンビニの”陰”にあいつはいた。
なんてできる子だ。
スマホをいじりながら待っているあいつの横顔は慎吾のそれと似ていた。
やましいことを考えている、もしくは何かを期待しているかのような表情。
懐かしくなった。
「お待たせ。」
あいつの顔を覗き込む。
”別に”と言わんばかりこちらを一瞥する。
人通りの少ない暗い道へと入る。
歩くにつれ、互いの距離は狭くなる。
「最近どう?」
「どうって何がですか。」
「いや、勉強とか。ほら、朝、起きてちゃんとやってる?」
どうせお決まりの返答しか来ないのに、
何を訊いてるんだが。質問力が低い。
あいつがにやついている。
話せば話すほど、機嫌がよくなる。
密度の低い勉強、手を動かさない勉強。
有意義な時間の使い方の対極にある。
「みんな心配してるんだからね。」
「うん。」
いつかの追試にまた落ちた時の、非常階段での会話。
「これ、どういうこと。」
「いや、これは③だと思ったけど④かなって思った。」
「これだけじゃなくてさ、何回目?」
もう閉室時間を10分過ぎている。
「あーもー。」
「この後何もないよ。」
「そう、あーどうしよ。」
あいつは平静としている。
「わかった。10分以内に出るから。」
「どこで待ってればいいですか?」
「コンビニの陰にでもいて。」
バレればクビ。
自由にやるには、強さも必要。
根雪が街を覆う季節、夜の冷気で道路の解けた雪は再び凍る。
その日も慎吾と駅へ向かっていた。
薄手のウールコートにロングスカート、手袋ははいていなかった。
「ねぇ、今日も帰ったら一人なの?」
「当たり前だべ、一人暮らしだもん。」
「寂しくないの?」
「うーん、落ち着く。」
「そなんだ。」
「あ、飯の用意しなきゃ。」
「スーパー寄るの?」
「うん、俺こっちから帰る。じゃ、」
「私も行く。」
「なんだ、お前ごはんあるでしょ。」
「知らない。」
「作ってくれないのか。」
「食べないで寝る。」
「ちゃんと食わなきゃ、痩せちゃうぞ。」
思春期の身体が嫌いであった。
丸みを帯びて、スポーツをやっていた面影を奪っていく身体の変化が苦痛であった。
この寒さで
カーキのフライトジャケットから、モカ色のダウンジャケットで通勤するようになった彼。
ポケットに手を入れたままだ。私が入る余地はない。
「先生。」
「何?」
「寒い。」
慎吾が困った顔をする。それを見るのが好きだった。
なんだかんだ、私のために一生懸命になってくれる。
「どら。」
「あっためてやる。」
彼の両手に、左手が包まれる。
公園の横の通り。ベンチはおろか公園全体が雪で覆われ、
中に入ることはできない。
慎吾の胸に、額を押し付けた。
ナイロンの人工的な感触を皮膚で感じる。
だけど次の瞬間、腰に手が回され、引き寄せられた。
胸板と腕の間に挟まれる身体。
抱きしめる力の強さほど、温かさを感じられるものはない。
彼の首筋に顔をうずめると、フィリップモリスのにおいがした。
「先生、あったかいよ。」
「そうか。」
「うん。」
ただ一瞬、毎日、こうされたくて生きていた。
それが彼にとって命がけの行動だったとは、考えもしなかった。
幼かった。
「これ、どういうこと。」
「いや、これは③だと思ったけど④かなって思った。」
「これだけじゃなくてさ、何回目?」
もう閉室時間を10分過ぎている。
「あーもー。」
「この後何もないよ。」
「そう、あーどうしよ。」
あいつは平静としている。
「わかった。10分以内に出るから。」
「どこで待ってればいいですか?」
「コンビニの陰にでもいて。」
バレればクビ。
自由にやるには、強さも必要。
根雪が街を覆う季節、夜の冷気で道路の解けた雪は再び凍る。
その日も慎吾と駅へ向かっていた。
薄手のウールコートにロングスカート、手袋ははいていなかった。
「ねぇ、今日も帰ったら一人なの?」
「当たり前だべ、一人暮らしだもん。」
「寂しくないの?」
「うーん、落ち着く。」
「そなんだ。」
「あ、飯の用意しなきゃ。」
「スーパー寄るの?」
「うん、俺こっちから帰る。じゃ、」
「私も行く。」
「なんだ、お前ごはんあるでしょ。」
「知らない。」
「作ってくれないのか。」
「食べないで寝る。」
「ちゃんと食わなきゃ、痩せちゃうぞ。」
思春期の身体が嫌いであった。
丸みを帯びて、スポーツをやっていた面影を奪っていく身体の変化が苦痛であった。
この寒さで
カーキのフライトジャケットから、モカ色のダウンジャケットで通勤するようになった彼。
ポケットに手を入れたままだ。私が入る余地はない。
「先生。」
「何?」
「寒い。」
慎吾が困った顔をする。それを見るのが好きだった。
なんだかんだ、私のために一生懸命になってくれる。
「どら。」
「あっためてやる。」
彼の両手に、左手が包まれる。
公園の横の通り。ベンチはおろか公園全体が雪で覆われ、
中に入ることはできない。
慎吾の胸に、額を押し付けた。
ナイロンの人工的な感触を皮膚で感じる。
だけど次の瞬間、腰に手が回され、引き寄せられた。
胸板と腕の間に挟まれる身体。
抱きしめる力の強さほど、温かさを感じられるものはない。
彼の首筋に顔をうずめると、フィリップモリスのにおいがした。
「先生、あったかいよ。」
「そうか。」
「うん。」
ただ一瞬、毎日、こうされたくて生きていた。
それが彼にとって命がけの行動だったとは、考えもしなかった。
幼かった。
なぜもっと自分の気持ちに素直にならなかったのか。
”講師として”この言葉を繰り返しては、薄っぺらい非正規雇用のプライドを死守したつもりになって
自分の感情を抑圧してきた。
それで傷ついたり、苦しんだりするのが自分だけなら何も問題無い。
信頼関係は、築くのに膨大な時間と深い思いやりを要するもので
崩れるのにそう時間を要さないのではないか。
どちらにせよこの狭い心の中には強い感情が横たわっていた。
それをどう処理していいかわからず、目の前の仕事とそれ以上の仕事につぎ込み、
手が回らず空回って、成し遂げられず、約束は嘘へと変わる。
感情的に働きすぎた。
それは否めないだろう。
あいつが離れてってしまうのがこわい。
受験生という観点からすると、苛立ちを覚えることもある。
ただ、見過ごしてきた感情ほど、
その仕事に価値はあたったのだろうか。
私の言葉は響かない。費やした労力はむしろ鬱陶しいと感じているのではないか。
求めてな いものを押し付けられるているのだから。
笑顔、声、体温。
かつて慎吾に求めた。
それなくして、私は”先生”というものを、信じることができなかった。
”講師として”この言葉を繰り返しては、薄っぺらい非正規雇用のプライドを死守したつもりになって
自分の感情を抑圧してきた。
それで傷ついたり、苦しんだりするのが自分だけなら何も問題無い。
信頼関係は、築くのに膨大な時間と深い思いやりを要するもので
崩れるのにそう時間を要さないのではないか。
どちらにせよこの狭い心の中には強い感情が横たわっていた。
それをどう処理していいかわからず、目の前の仕事とそれ以上の仕事につぎ込み、
手が回らず空回って、成し遂げられず、約束は嘘へと変わる。
感情的に働きすぎた。
それは否めないだろう。
あいつが離れてってしまうのがこわい。
受験生という観点からすると、苛立ちを覚えることもある。
ただ、見過ごしてきた感情ほど、
その仕事に価値はあたったのだろうか。
私の言葉は響かない。費やした労力はむしろ鬱陶しいと感じているのではないか。
求めてな いものを押し付けられるているのだから。
笑顔、声、体温。
かつて慎吾に求めた。
それなくして、私は”先生”というものを、信じることができなかった。