Startin' over… -16ページ目
あてつけではないけど、後輩と飲みにいった。
授業終了後、何もサインを出さないあいつがもじもじする。

今日引き止めたら、感情が爆発するかもしれない。
ただでさえ教師つらしさを失った教室。
飲む理由には十分事足りていた。

退勤し、例のコンビニで、もっぱらその講師は店内であったが待っててくれた。

「お待たせ!さぁ飲むぞー!あ、セブン寄っていい?金下ろさなきゃ。」

メンズノンノを立ち読みしていた彼、小坂先生は私の後釜として育てたい講師。
あいつと同い年。スーツを脱げば、ちょっとおしゃれな大学生。

圧力がかかっていないか心配だ。
情報共有と名目を打たずとしても、今年に入ってから急速にいっしょに飲むようになった。
もっぱら私が多く払う。
兄さん、こと住田先生ほどではないけれど、おごってもらった分は後輩に返す。
次は自分の番だと思った。

「どこ行く?」
「どこでもいいっすよ。」
「んじゃ、とりあえずこっち歩こう。」

あいつといっしょに帰る暗がりの道。
特別な感情は無くとも男性と歩くのは変な心地だ。
あの子の時と違って、会話がぽんぽん出てくる。

好きになるって辛いものだ。

「どよ、最近飲んでる?」
「いやー、あ、13日飲みました。」
「あらいいじゃない、ちゃんとリア充してるね!」
「あれ、どこ行ったんだっけな?」
「なーに、どこさ。」
「えー、どこだっけかなー。全く記憶に無い。」

デジャブだった。
どこかで聞いた事のあるくだり。

「大問4どうだった?」
「え、何の?」
「前回の模試。復習終わったんだよね。ほら映画の話。」
「え、全っ然覚えてない。やったことが記憶に無い。」

一概には言えないが、男性の記憶ってそんなものなのか?
勉強したこと(した事実)さえ覚えていないとはその程度、という認識は少しばかり短絡的なのではと思わざるを得なかった。


「あ、思い出した!海鮮丼食べました。」

かの日本中からの魚介類が集結する場所へ友達と繰り出したのこと。
「普段地元ばっかだったから、記憶から飛んでました。あ、その日飲んでないです。
次の日でした。」

「どこ行く?」
「あったかいものがいいですねー。」
「じゃ、鍋でもどお?」
「いいっすね。」

二人して、赤になりそうな信号を小走りで渡る。
いつかもあいつと同じことをした。
教材がブリーフケースを胸に抱え、置いていかれぬよう走る。
いつかと同じ。オーバーラップした。


なお生徒さんが帰ったあと、教室にはいたずら電話が二回。
他の生徒さんを見送っていた時、いつもと別の道を歩くあいつの背中を見た。

価値の無い人生だと感じてきた。
誇るに値しない日々。
もしやってきたことが一生懸命であると認識されるのであれば、全力で耳を塞ぐだろう。
理解者など、いないと嘆くわりには信頼できる人間にはとめどなく感情を吐露し続ける。
他人の時間と労力を容赦なく吸い上げる怪物だ。
もし会社や非正規雇用という身分が、企業や社会に搾取されているのならば、
底辺でのたれあがいている私は、他人の時間、労力、精神を搾取している公害だ。

10年近くという長い時間がいったい何をもたらしただろうか。
失くしたものを数えるのもさほど悲しくなくなり、むしろ笑いがこみ上げてくる。
強い感情は涙を生成するけど、
外に出ても意味はなさず、ただ心が錆びていくのを感じるだけ。

立場を考えたら、いっしょに帰るなんて辞めた方いいのか?
明らかに自分の独りよがりな感情を優先している。


あれも12月だった。
8年前。
あいつと同い年の私。

「先生、私と帰るの楽しい?」
「うん。」
「そなんだ、うれし。」
「じゃあな、気をつけて帰れよ。」
「うん、帰ったらメールする。」

雪に覆われた裏道を抜け、地下鉄駅でいつも別れていた。
慎吾の家なんか、その時は知らなかった。
どこに住んでいるんだろう。そんなことを思いめぐらせていた。
家なんか抜け出して、来年にはいっしょに住みたい。そんな一生叶うはずもない淡い期待を胸に秘めては、かじかんだ手に息を吹きかけるように温めていた。

「やばい、抑えられなくなってる。」

彼のその一言が忘れられない。
子供心に、そんなもの今すぐ解き放って、私を抱きしめてほしい。
切実な思いだった。


そんな私は彼と同じ年になり、当時の私と同い年のあいつと、家路に向かう。

”やましいことなど一つもない”。慎吾がそう言っていたのを思い出す。
絶対にそんなことは無い。そして、実際にそうであった。
同時に、今同じことを考えている自分。
結果を身をもって知っているからこそ、慎吾も今の私も自分を合理化するために必死に言い訳をしている姿が無様に思える。


もし生徒さんの、あいつのことを考えるなら、こんなことをしてはいけない。

言い訳だってしたい。
私だって揺れ動いた。
自分の気持ちに気付いた時、抑圧しようとどれだけのエネルギーを費やしただろうか。
必死で考え抜いた。
それで冷たく接した。
そしてあいつが壊れつつあった。
それならば、少しの逸脱でもってもあいつの心が穏やかになればいい。
結果に対し前進になるかはわからないけど、妨げにはならないはずだ。

私も、そうであった。
慎吾は、やってはいけないことをしたけど私を救った。

「先生。」
「へ?」
「書いたよ。」
「なんで縦書きと横書き混ざってるの?」
「え、1ページに収まった方見やすいかなって。」
「まぁいいです。まかせます。」

やわらかく下の方で触れ合った。

「ごめん。お待たせ。」
軽く肘に触れた。
「寒かったでしょ?」
「わりかし。」

冬期講習や過去問のことなど、当たり障りの無い話をする。
ポンポンと言葉を受けては、受け取られ。
あっという間に大通りまでたどりつく。
会話とは、こんなに楽しいものなのか。
そのリズム感は実に心地よかった。
純粋にその時間は。

家の前の信号に来て初めて、あいつの横顔を見た。
伸びた前髪をかき分けている。
私も同じ動作をしていたとこだったから、少し笑えてきた。

居酒屋から出てきた集団がいたから、裏道を通って帰る。

「じゃ、明日勉強しっかりね。」
「さようなら。」

家の前で立ち止まることなく、あいつは通りに沿って小さくなっていく。
それを見るのも照れくさくて、オートロックの前で立ちすくむ。
名残惜しさなど、無いだろう。