僕は都立三田高校を2年まで終えてから韓国に帰国しました。
所謂、帰国子女だった訳です。
考えて見るとその当時から三田高には帰国子女の受け入れ
制度があって外国から帰国した生徒が何人もいたのを覚えて
います。外人の交換学生もいました。そう言えば。

韓国に戻ってからは逆の意味でのカルチャーショックで
結構大変だったのですが、高校2年の時の担任の先生が
卒業アルバムを韓国まで送って下さったことには感激しました。
その卒業アルバムのタイトルが「同時代人」でした。
裏面には CONTEMPORARYと書いてありました。
そのアルバムを受け取った時には涙が出ました。
勿論、その時はまだ青春だったからかも知れませんが
当時もう一つ僕の心を躍らせたのは1枚のLP(SP?)でした。

卒業記念で作ったレコードで校歌、白珠祭の時に歌った歌などが入っていたのですが、何よりも3年間の
思い出を放送部の記録テープから編集したのを聞くと ....

それはレコードに収録された放送部のアナウンサーの声が
僕にとっては忘れることの出来ない彼女だったからです。

その声を聞くと訳もなく涙が流れました。

青春とはそんなものですよね。
当時、僕が非常に感銘深く読んだ本の中で五木寛之さんの
「青春の門」があったのですが、この本を20年ぶりに
アマゾンで注文して読み直しました。
20年以上がたったのにもかかわらずなぜか未だに
記憶が生々しかったですね。

「だれでも一度は通り過ぎる。そしてただ一度だけ通り過ぎるのを許される青春の門」 ...

僕が3年間通った中学は港区立城南中学でした。
六本木のアマンドから麻布や今の六本木ヒルズのところへ
行く路の途中にあります。ただ、今は廃校となり名前が
六本木中学に変わってしまいました。とても残念です。

以前、中学時代と友達と校門の前で待ち合わせをし
(校門だけは昔と変わらないんです)
六本木ヒルズで軽く食べて飲んだことがあったのですが、
自分の中学時代の通学コースが今のヒルズになっていることには驚きました。

本当に時代が変わったんですね。

城南の裏手では昔よく「太陽にほえろ」のロケをやっていたんですよ。

カーレースのシーンなども撮っていたのを今でも 覚えております。


いとしのエリーは僕が中学3年の時に流行した歌でした。
同じクラスにエリーと言う名前の女の子がいたのですが
その子が僕を好きで、でも僕は他の女の子が好きで
(まあ、青春とはそんなもんですよね)...

中学3年の最後の時間だったと思います。学校で簡単なお別れ会をやったのですが、

その時に僕が歌った歌がまさにこの <いとしのエリー>でした。
余りにも感情を込めて歌ったものだから
その子が泣いてしまって。僕の気持ちもちょっと切なくて。

まあそんな思い出のある歌で、今でもたまには歌います。
サザンの歌の中でも名曲中の名曲だと思います。

僕の子供の頃の思い出の場所と言えばそれは麻布十番だ。
昔は今と違って、地下鉄もなくバスしか通らないところだったので交通は不便であったがそこはまあ何とか子供の守備範囲で
広尾から田町と三田、六本木、そして東京タワーぐらいまでは
自転車で行っていたものだ。

麻布十番の商店街では毎年夏に「納涼大会」と呼ばれる
お祭りがあるのだがこれが子供の頃は本当に楽しみだった。
あの辺は仙台坂の韓国大使館を含めて各国の大使館があるところなので十番の納涼大会には大使館関係のの出店もあって
非常に楽しかった思い出がある。

十番にはタモンと言うお店があるのだが、ここのおでんは
忘れられない思い出がある。この店の息子さんが僕の小学校の
同級生なのだが、それよりもこの店は当時韓国大使館にいた
僕の親父の行きつけのお店で僕らが韓国に帰る前日に
わざわざタモンのお母さんがおでんをうちまで持ってきてくれたのは今でも記憶に残ってる。
「もう当分味あえないでしょうから」と。
あの時のおでんの味は本当に忘れることが出来ない。
その後、時は流れてほぼ20年ぶりに麻布十番を訪れた時に
友達とタモンに行ったのだがたまたま僕の同級生がいて
本当に懐かしかった。

今や地下鉄が通り、中学の友達が住んでいたところは
ヒルズになってしまった。
それでも麻布十番に今でも行くことがあると何とも言えない
気持ちになる。ここが僕の第2の故郷だからかも知れない。
思春期を7年間も過ごしたのだから。

十番温泉、おもちゃの小林、豆源、本屋
全てが懐かしかった。

今度の出張には麻布十番で飲みたいと思う。

■おでん タモン■


住所 港区麻布十番3-9-2

Tel 03-3453-3841

営業時間 18:00~23:00

定休日 日・祝日休

おすすめしたいのは、
さばの塩焼きと、ぎんだらの西京焼きです。
もちろんおでんも。