新聞を読む | お日様母さん ― 晴れのち曇りそして雨 ― がんとの闘い

お日様母さん ― 晴れのち曇りそして雨 ― がんとの闘い

私の母親が突然「がん」と診断された。「がん」と闘い、一生懸命に生きた母と後悔ばかりの子の闘病生活を綴る。そして、2018年ついに私自身にも「がん」との診断が…。

午前中の仕事が少し押してしまい、お昼休みに食い込みました。午後一で会議もあるのでお昼休みはノンビリしている暇はなく、給食弁当の風呂敷をほどき、弁当箱を開けて早速パクパクと食べ始めました。

 

まずは、野菜から…。ご飯は後でもいいか、なんて頭の中で呟きながら食べていると、キンコ~ンと玄関のチャイムの音。

 

誰かなぁ、と思いながら、

「は~い」

と返事をする。“飯食っている時に何だよ…”という心の中の気持ちが返事に出てしまったらしく、いつもより少し低い声になってしまい少し後悔。

 

ガチャリと玄関の鍵を開け、ガラガラっと戸を開けると、申し訳なさそうに一人の男の人がバッグを持って立っていました。

「新聞屋でぇす」

「あ、どうも」

「集金に伺いました…」

「はい、ちょっと待ってくださいね」

 

ドタバタと階段を上り自室へ急ぐ。いつも持ち歩いているバッグから財布を取り出し、お札の枚数を確認しながら玄関へ戻る。

「はい、すみません。幾らでしたっけ?」

「3,300 円です」

「あ、丁度あるかも…」

「それは助かります」

 

財布の中には 1,000 円札が丁度 3 枚と、チャックを開けた小銭入れに 400 円が入っており、お札 3 枚と、100 円硬貨 3 枚を取り出し、集金人に渡す。

「これで…、多分大丈夫だと思うけど一応確認してください」

「あ、大丈夫です、ありがとうございます」

集金人が丁寧にお辞儀をする。

「またよろしくお願いします~」

何だか申し訳なさそうにそう言って去ってゆく。

 

う~ん、最初の返事が気に障ったのか、それとも昨今新聞を取らない世帯が増えているので丁寧な対応をしているのか、それともあの集金人の性格なのか…。

 

また玄関の鍵を掛けて、領収書の金額を眺めながら食べかけの弁当を置いてある居間に戻る。

 

新聞の発行部数か…。ちょいと気になったので調べてみると、こんなページを見つけた。

 

 

2023 年は一世帯当たりの部数が 0.49。年々少なくなってきているのは分かる。グラフがあるとイイんだけどな。Microsoft の Edge ブラウザから Copilot にグラフ作成を依頼して見たんだけど、流石にグラフ化はしてくれなかった。(笑)

 

うちの弟が「新聞はあまり読まないから取るの止めたら? お袋は折り込みチラシをみたいから取っていたという感じだったし」という話を以前言っていた。

 

まぁ、スピードという意味では、多分ネットの方が早い (情報を早く入手できる)。しかし、何となくだが新聞の方が読みやすいのと、(気のせいかも知れないが) ネットより信頼できそうな気がする。

 

ウェブ情報だと誤字脱字も多いし、やっぱり電子メディアだと目が疲れる。あと、何故か頭に入らない…。

 

会社の業務でも、色々なものを画面上で確認することが多くなった。紙の資料を見ることは殆どなくなってしまったし、自分でも筆記をしなくなったなと思う。

 

私は学生時代、モノを思い出すとき、それが書かれていたページの挿絵やイメージ、ページ上の場所などから思い出すことが多い。例えば、「アヘン戦争」の説明は確か歴史の教科書の右ページに書かれており、左側に中国帆船の絵があったと記憶している。こんな風にイメージで覚えている感じだ。

 

ところが、液晶画面上のページはこういう周りの情報と一緒に記憶することができない…のが覚えられない元凶かな…なんて思っている。いやもちろん、電子書籍で取り込んでも、紙の本のような配置で見れるんだけどね…。

 

まぁ、新聞に載るような情報なんて流して読む情報だから覚える気はないのだが、読んでいて頭に入ってこないのは如何なものか…。

 

昨今は新聞だけではなく一般書籍も電子化され、紙の本が淘汰されつつあるというニュースを何度も目にしている。これも時代の流れなんだろうけど、何だか味気なくなってしまったと思うのは私だけなんだろうか…、と紙面をめくる度に鼻先をかすめる独特の新聞の匂いを感じながら、歳は取りたくないななどと中年のボヤキを頭の中で呟いていた。