坂本龍~今夜は泡風呂ぐ~ -13ページ目

坂本龍~今夜は泡風呂ぐ~

記事のテーマパーク。
記事の複合型施設。
記事のパルコ。




そもそも『音楽シーン』とかいう
主語がクソでかいワードを使って
議論を展開しようとする人がいるけれど
では貴方が思う理想の音楽シーンとは
なんなんだ?と、常々思う訳ですね。



その、音楽はとても素晴らしい芸術!
という感情論と並列して、
商業的観測でも動いてしまってる以上、
恐らく理想の音楽シーンなんて
双璧をなして絶対来ないじゃないですか。



その、各々の生活では存在するけど、
それこそざっくりと音楽シーンとしては
来ないと思ってます。



音楽ってそんな相反するものが
折り混ざったエンターテインメントな訳で、
それが奥ゆかしいものだと
僕は認識しております。


で、めちゃくちゃ才能ある人って
その狭間をずっと上手く狙って
生き抜いてる訳です。

BUMP OF CHICKENとか、
ずっと芸術と商業の狭間で
セールスを落とす事なく
死ぬほど人気じゃないですか。

最たる例で言うと
宇多田ヒカルさんとか、まさにそうですよね。

と言うか本人がそう述べてますね。


その間を狙うのがプロフェッショナルじゃないか?


というね。



それが出来ない人達は、
どっちかに振りきって、
自分なりの素晴らしい音楽を
続けて欲しい訳ですよ。
それで良くないですか。
わざわざ物議を醸すような事や発言を
して欲しくないんですね。

音楽がつまんなくなるから。


もう本当にね、
インフルエンサーであればあるほど
デカい主語とか使わないで欲しいんです。


惑うからね。
惑わして欲しくないよ。
純粋無垢な音楽リスナーを。


将来の危惧とか懸念とか、
そんなの無視して
自分を貫けば良い訳ですよ。


本当に良いものは
どっかのタイミングで
誰かが切り抜いたりしますよ。



いやー、別にほんと、
誰も悪くないよ。


主語が大きいと、
誰かが悪くなっちゃうからね。
やめてほしい。







今回の記事は嫌われる覚悟で書きます。

※前提として音楽リスナーの人とか
既に音楽でご飯を食べている人に向けては
書いてません。





なんかね、坂本龍のほうの
Twitter全然更新してないじゃないですか。


それって結構理由があるんですね。
今LOVESIXに集中したいから
とか、そんな単調な理由ではなくて
(まぁそれもありますが)

めっちゃトゲのある言い方をすると
僕の相互フォローとかの関係上
昔から切磋琢磨して一緒にやってきた
バンドマンとかがやっぱり
タイムラインに流れてくるんですけど
なんというかとても古い感覚の、
ステレオタイプなやり方で
ずっと発言してたりするのを度々
目にするんですね。
そういうのに結構
辟易してしまうんですね。

なんか今日も見ましたわ。
その類のツイート。


ダセェ事はしたくない
魂は売りたくない
TikTokなんてどーのこーのって


坂本龍のタイムライン、
今そんなような
講釈ばかりが舞い込んでくるんです。


それが1番僕にとってはダサい言動なんですよ。
一度、魂売ってみろよ。
TikTokやってみろ。



簡単にはバズんねぇし
売れないから。



ってね。
思います。


何を、あたかも自分の許せる行動の水準を
下げればすぐさま売れる、
みたいな言い方をしてるんだお前はってね。


安易な世界観で生きている事が
腹立つんですよ。


俺が、TikTokでバズるために
どんだけ研究してどんだけの時間を犠牲に
したと思ってるんだ。
あの人もあの人も、誰も彼も、
悔しかったり、焦ったり、葛藤と
折り合いつけながらやってんだ。
俺はそれで有難い事にバズったけど、
死ぬほどバズりたくても
バズらない人達なんて山ほどいるんだよ。
そんな報われなくても頑張ってる人達を
踏み躙るような言動だよな。


なんだ、ダセェ事してまで売れたくないって。


自分が売れたい!
応援してくれる人達に対して、
間違ってなかったという事を証明したい!
という気持ち一心で
皆試行錯誤してやってる事の、
それの何がダサいんだ。


それがTikTokだろうが
歌ってみただろうが何だろうが、
頑張ってる人達は
そんな講釈垂らしてるお前よりは
何倍もカッコいいわ。


鼓舞するようなエモツイートに
いいねがいつもより来ることを
期待してるんだろうか。
そっちの方がダッセェわ。



とまぁ、直接言い返せない時点で
俺もダサいんですけど。
あくまでこれは僕の今芽生えている
感情を整理するのに書いてるという
節もありますのでご愛嬌。



確かに、分かりますよ。
自分が憧れたバンドやアーティストのような
線を辿って同じルートで売れたい!
みたいなね。


でも、時代だったり、
自分の特性だったり、
売れ方なんて千差万別で良いじゃないですか。


それに年齢も加味して、
25を超えて売れてない
ミュージシャンやるんだったら、
魂売ってまで売れろよって
思うんですよ。


そっからやりたい事やればいいじゃん。


上の人から
バズりそうな曲作ってよ、
って言われて腹が立った

みたいなのもよく目にするけど、
プロ目指してるんなら作れよ って
思いますけどね。

コンペティションの募集概要なんて
そんなのばっかりですよ。
俺はむしろテンションあがる。燃える。
なんだって作りたい。
流行込みで音楽を愛してるからね。
その為にサブスクトップチャートは
チェックしてる。


つまり技術が無いから
吠える訳です。



空っぽのバケツほど
蹴った時に大きな音が鳴る


俺の好きな言葉です。



若い子たちはね、
なんかそういう尖ってたりすると
むしろカッコよかったりするけどね。

俺はこのやり方で売れる!!みたいなね。

でもね、実際
皮肉にも若い子たちの方が
今流行ってるプラットフォームに
ちゃんと飛びついてるので、
ちゃんと令和っぽく活動してるなぁ〜
と感心します。


WurtSとか天才だと思う。マジで。



そうつまり冒頭に帰結するんですね。
ずっと僕がキレてる対象なのは
俺と同世代だとか、
ポピュラーなプラットフォームが
転換する時代の黎明期に
直面した世代の人たちになんですよ。

ハッキリ言って
置いてかれてるんですよ。

いつまでそれ言ってんだ?みたいなね。
というか、去年のコロナから
何か考えるきっかけとか
山ほどあった訳じゃないですか。

しかも今コロナ2年目で、
なのに何もスタンスが
変わらないってどうなの?とか、
そういう事を度々思いますね。


ライブハウスを守るんだ!
って、確かにカッコいいけどね。
別に時代はTikTokだ!
YouTubeShortsだ!
とか、そんな事を伝えたい訳では毛頭なくて
コロナって、全人類にとって
確実に機転になったわけじゃ無いですか。



なのに、意固地なのか
思考停止なのかよくわかりませんけど、
そう言ったステレオタイプな言動が
目に着いてしまうから
坂本龍のタイムラインつまんねぇ〜って思ってます。



ってか、俺は俺でライブハウス守ろうと
思ってますよ。
ライブしたら絶対埋めたいと思うし、
その為に俺は今やってるからね。



俺はそのぬるい空気に混ざるのが
とにかく嫌なんで、
まぁ割と差別化出来たくらいには
数字として結果を残せたと思ってます。

まだまだ俺も
頑張らないとですけどね。


Twitterで講釈垂らすより現場で
次の一手や
イノベーション考えてる人達の方が
100倍かっこいいからね。


なんかエモツイートばっかりしてる奴は
頑張ってないですよ。
頑張ってるポーズが上手くなってるだけ。



俺も昔そうでした(自戒)






という事で、
今ストリームが産まれてる物事には
明確な理由があって、
そのロジックを理解して踏まえた上で
中指立てるなら良いけど
なんとなくダサいから、とかそんな
稚拙な理由で中指立ててるのは
1番ダサいですよ、という記事でした。










とある大物アーティストさんの
作詞コンペに参加させて頂いた。


と言っても何やら仮歌も提出しなければ
いけないっぽくて
急遽明日昼からRECと編集三昧という
スケジュールになりました。
こうゆうのも楽しい。


コンペなので、恐らく何百人といる
プロの作詞家さん達との競合だから
採用される確率は低いけれど、
それでも良い経験を
させてもらってるなぁと思う。


スタッフさんには感謝しかない。



そう、
作詞作曲をやってる以上は
俺は作詞家でもあるんだと
改めて思った。


作詞は昔から大体夜中にする。
脳細胞を総動員しては
熟考し、何度も文字を削って
付け足したりして、朝になる。


そして寝る。
起きたら速攻で昨日書いた歌詞を確認する。


あ、いいな と思ったら、それは良い。
あくまで個人的な体質の話だけど
寝起きというのは
1番フラットな感覚になっていて
フィルターも何も無い客観性を
帯びているゴールデンタイムなのだ。


これは言うなれば知らない誰かに
どう思う?と自分の作品を提示している
疑似行為な訳ですごく合理的である。



衝動的に書き上げられる時もたまにあるけど
大体は難産。

けれど、LOVESIXを始めてからは
作詞がすこし楽しくなった。

と言うのも、LOVESIXの世界観は
坂本龍と切り離していいからだ。

ドラマや映画を一本書くような、
そんな感覚で使っている。
これが結構楽しい。

1人、或いは2人の主人公を浮かべて
その佇まいや表情を歌詞に落とし込む。
刹那的であったり、その一方で
ラストに向かうフックもあったり、
2時間の映画にも出来そうな程の
ストーリー性を持たせる。

愛とかもう無理 以降は全てそういった
プロセスで歌詞を書けているし、
実際反響も頂いてるので間違った
やり方はしてないのだろう。

だから、前にもツイートしたけれど
アイビーに出てくるあの2人は
今何をしているんだろうか、という
気持ちが、大袈裟ではなく本当に芽生える。

作品がリリースされた時、その瞬間から
その主人公達はもはや自分だけのものではなく
誰かの、誰かなりの解釈、咀嚼で
一人歩きしていく。


それが、クリエイターとして
有意義な感覚。



歌詞はとても大切だ。
それは、意味の無い中身の無い歌詞を
否定してるわけでは決してなくて
むしろ中身の無い歌詞大好き人間なんだけど
歌詞の響きが大切だと言う話。


誰かの人生を変えてしまうほどの
エネルギーを持っている。

メロディだけでは、そうはならない。



話は戻って、
じゃあハウアンの時の作詞は
楽しくなかったのか?
というと、楽しい・楽しくないという
稚拙な感覚ではなくて正直な話、
2014年に書いた『夜風に吹かれたら』で
書きたいことが無くなったに近い。


もちろんそれ以降も、
小さな枠組みで書きたいテーマはあったし
書いてきたけど、
自分の中で夜風に吹かれたらという曲が持つ
パワーがデカすぎて、
世界で1番良い曲だと思う反面、
新しいものを表現する上では邪魔だった。


それくらい自分にとって大切な曲だし
今でも本当に、純度100%で伝えたい気持ちは
変わらない。


SNSの是非が肥大する一方で
『なんだか寂しい世界になったな』
と言う一文が、
今でもずっとリンクし続けているように思う。

 

という具合で、坂本龍のエッセンスを
入れ込もうとすると、
夜風に吹かれたらという曲が
どうしたって邪魔をする。
というかある種完結してしまっている。



なので、今になってLOVESIXの
歌詞の書き方は発明だと思う。
自分とは全く違う世界を描く。



とは言ってもウォーアイニーは
ストーカーの歌だし
シティライトは不倫の歌だし、
エスオーエスはホス狂いとホストの歌だし、
昔からねじれた愛は歌ってましたけどね!笑







本質的な所は何も変わってないです。




と言うわけで
最近は割と楽しく歌詞を書けている
という話でした。


頑張ろ〜。