「りぼんず交流会」(脳卒中当事者会)では
参加してくださった方の
お話をゆっくり伺いたいので
我が家の病後からの経緯は
webで見たい人がみれるように
しておくとよいかもね
なんて話をしていまして
そしたら夫が
病後の振り返りを書いてくれていました
脳卒中後当事者会の様子はこちらから↓
くも膜下出血で倒れた3週間後
水頭症の急激な脳圧亢進のために
ショク症状でICUに逆戻り
そこから
黄色ブドウ球菌
緑膿菌
カンジタと
3回も敗血症ショク起こし
脳膿瘍の開頭手術もしたし
麻薬系鎮痛剤も全く効かない
首の痛みに顔を
歪めたこともありました
倒れる前から
頸部脊柱管狭窄症だったところに
病後首が座らない状態で
身体を起こすリハビリに
チャレンジしたのが
原因だったらしい
続発症で
小脳と脳幹にも
梗塞ができちゃって
座位はままならず
一日に8回とか嘔吐してたので
看護もとても
大変だったと思います
なんかもう
私もいろんなことがありすぎて
記憶が曖昧
何度も何度も
今度こそ
生命の終わりかと
思ったのですが
すごいですよね
何度も何度も
ギリギリで
生命助けられました
急性期病院に7ヶ月も
よく置いてもらえましたね
なんて
言われたりもしたのですが
いやいや
何度も何度も
生命危ないギリギリの連続で
とてもとても
急性期病院を
出れる状態ではなかったのですよ
回復期病院への転院も
とてもリハビリできる状態じゃなくて
受け入れてもらえるところを
探すのは大変でしたが
病院スタッフの尽力と
繋がりのおかげ様
無理矢理ねじ込んでもらえた
感じでした
回復期への転院は
ストレッチャー
座位は取れず
退院の目標は
車いすに座れるようになる
だったけど・・・
眠ってばかりで
ぼーっとしていて
アパシー(無感情)とかって言われて
反応も鈍かった感じでした
急性期病院では
記憶の保持ができないのか
何度も何度も倒れたいきさつを説明し
そのたびごとに驚いていました
(それは病後1年くらい続きました)
夜は悪夢にうなされて
幻覚妄想?みたいなこともあり
精神科系のお薬も入りましたが
あれだけの障害が脳にあったわけで
一時的にそうなるのは
治癒の過程で当然と
私にはそう思えたことも
退院時までに精神科系のお薬を
すべて外してもらえたことも
幸いだったと思っています
それがね
そこから
3年内の復職期限内に
元から勤めていた会社に
雇用してもらえて
7年も勤められたって
ちょっとすごいことだなぁと
振り返って
改めて感じています
急性期病院で
手が動くようになってからは
よくわからずに
手を動かして
チューブ類を引き抜いて危険なので
両手にミトンで
ベット柵に拘束状態でした
身体に触れただけで
バイタルメーターが
警告音をピーピー出したり
嘔吐しちゃったりするので
理学療法士の先生もあっという間に
看護師さん達に押し出されて
退場って
そんなかんじ
でもね
いまでは都内へ
自走の車いすで
ひとりで出かけたりもできますし
もともとは左麻痺でしたが
今では
上肢の左右差は
外から見た感じでは
わからないかも
両手でキーボード打ってます
それでお仕事もしてました
この記事を見ている方で
病後間もない方が
もしもいらっしゃいましたら
未来は未知数
どうか
告げられる予後に惑わされることなく
今生かされている
生命を喜び続けることが
できますようにm(_ _)m
そして
10年以上もの年月が経った
今だからこそ言えるのだとは
思いますが
生きていることが
当たり前ではなく
なんと有り難いことなのかと
とことん思い知った体験
全身全霊をかけて
たくさんの方に
助けてもらえた体験
そうまでして助けてもらえた生命を活かし
幸せに生きていく責任を
あたたかく感じた体験は
私達にとって
かけがえのない宝だった
そう心から
思えるようになった今に
改めてじんわりと
あたたかな気持ちに包まれています
たくさんの支えと
安心安全を感じられる
環境のおかげ様
難しい環境の中で
ひとりで頑張って明るい方へ
歩み始めようとしても
難しいのはあたりまえ
私たちが
受けた恩は大きくて
とてもじゃないけど返せはしないけれども
ほんの少しでも
私たちにできる範囲で
ほんの少しだけ背伸びしながら
できることで
恩送りさせていただけたら
こんなに嬉しいことはない
それが
わたしたちの活動の根っこにある想いです
最後まで
読んでいただき
ありがとうございますm(_ _)m💕
ではでは
みなさまも
今日もよい一日を♬