仏道の実践において私たちは
存在に通底する不満足感である
苦聖諦を学ぶことから始めます。
しかし、それに取り組むやいなや
私たちはやる気をなくします。
私たちは、苦しみを観察することを望みません。
苦しみは、本当に真理です。
しかし、私たちはなんとかして、
苦しみをうまく避けることを望みます。
それは、私たちが
年老いた人々を見ることよりむしろ
若くて魅力的な人々を見るのを好むことに似ています。
もし、苦しみを観察することを望まないのなら
たとえどんなに長生きしても
私たちは決して苦しみを理解することはないでしょう。
苦は、真理です。
<アーチャン・チャー「無常の教え」手放す生き方2のBotより>
https://twitter.com/AjahnChahBot
「ひとかけらだけ食べよう」と
チョコレートを口に入れたら
「もっと食べたい」という激しい欲が生まれ
欲するままに板チョコを1枚全部食べてしまい
後悔する・・・
そもそも、何か口さみしい・・
みたいな不満足感(苦)が
初めにあったんだよね。
チョコの甘みを感じてる時は
楽しいのかも知れないけど
食べたいっていう欲は苦。
もっと食べたいっていうのも苦。
食べちゃった後の後悔も苦。
食べる事って本当は苦しいんだなぁ・・・。
★生きとし生けるものが幸せでありますように★