フォークランド紛争に見るイギリスの凄み | 鳳山雑記帳アメブロ版

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 1982年アルゼンチンは南米大陸大西洋岸アルゼンチン本土から500kmの位置にある英領フォークランド諸島に突如上陸占領します。

 

 アルゼンチンにも言い分はありました。スペインから独立した時、スペイン領だったフォークランド諸島も当然自国に帰属するという主張です。しかし現実にはそうならず太陽の没せぬ国、大英帝国領に組み込まれ現在に至っていました。

 

 第2次大戦後、アルゼンチンは平和的にフォークランド諸島の帰属権を巡ってイギリスと交渉しますが、当初イギリスはこれを相手にしませんでした。

 

 1976年、アルゼンチンに軍事政権が誕生すると国内政策の行き詰まりによる国民の不満をそらすため強硬策に傾きます。1982年ガルチェリ大統領はフォークランドを実力で奪取することで交渉を有利に進めようと目論みました。

 

 わずか79名の英海兵隊が守る絶海の孤島に900名のアルゼンチン軍が上陸します。小規模とはいえ多勢に無勢、島は完全にアルゼンチン軍に占領されました。

 

 ガルチェリ大統領の目算では

 

①経済が疲弊したイギリスが本気で取り返す可能性は少ない

②英本土から1万キロ以上も離れており補給が困難なため大規模な部隊は派遣できない

③アメリカは少なくとも中立を保つし、NATO諸国の協力も得られない

④本格的戦争になったらイギリスにも多くの犠牲者が出るはずだから英政府は武力奪還を決断できない

 

などの理由から戦争の推移を楽観視していました。いずれイギリスは音を上げ交渉のテーブルにつくだろうと。

 

 

 しかし、時のイギリス首相、マーガレット・サッチャーは違いました。鉄の女の異名を持ち、イギリス戦後史上最高の首相とのちに言われた彼女は素早く決断を下します。

 

◇外交交渉は一度譲歩すると相手にどんどん付け込まれる

◇毅然たる態度を示さない国家には誰も援助の手を差し伸べない

◇外交は一時の損得勘定でするものではない。将来の利得を得るためには犠牲を厭わず覚悟を示すべきだ

 

 4月18日イギリスは空母ハーミズを旗艦とする機動部隊をフォークランド近海に派遣します。サッチャーの覚悟は本気でした。攻撃型原潜でフォークランド諸島周辺海域を封鎖、イギリス本土からはバルカン爆撃機が空中給油を繰り返しながら長駆島を爆撃します。

 

 島を封鎖し、アルゼンチン軍の補給を断ったことで戦略的には勝負ありとなりました。

 

 外交的にもサッチャーは着々と手をうちます。EC諸国を動かしアルゼンチン経済制裁を決議させ、調停を申し出たアメリカがアルゼンチンから拒否されると、これも交渉によって味方につけます。アメリカは直接介入こそしませんでしたが偵察衛星による情報をイギリスに流し続けるなど協力を惜しみませんでした。

 

 さらにアルゼンチンと仲の悪い隣国チリのピノチェト大統領も動かしアルゼンチンを侵略者と非難させたばかりか、自国の基地の使用権までイギリスに認めさせました。

 

 しかし、アルゼンチン本土から500kmという距離がイギリスを苦しめました。アルゼンチン空軍は本土からフランス製シュペル・エタンダール攻撃機を発進させエグゾセミサイルで攻撃します。

 

 これにはType42駆逐艦シェフィールドが撃沈されるなど少なくない被害を受けました。

 

 イギリスには垂直離着陸機シーハリアーがあるだろう?と思われた方もいるでしょうが、シーハリアーは万能戦闘機ではないのです。世界初の実用V/STOL機ではありますが、そのために搭載量と航続距離を犠牲にし、艦隊防空も万全ではありませんでした。特に地上部隊を載せた上陸船団はアルゼンチン空軍の攻撃で大きな被害を出します。

 

 しかし、次第に錬度と兵器の性能で勝るイギリス軍が苦しみながらもアルゼンチン軍を圧倒するようになります。制海権と制空権を手に入れたイギリス軍がSAS(英陸軍特殊空挺部隊)を中心に上陸作戦を決行する時が来ました。

 

 ハリアーに上空を守られた英軍部隊は各所でアルゼンチン軍と激戦を繰り返しながらも6月14日島の完全奪回に成功します。

 

 ガルチェリは、6月15日「戦闘終結宣言」を出しますが2日後に失脚、20日にはイギリス政府による停戦宣言が出されました。

 

 紛争開始から72日間、こうして両国に大きな犠牲を出したフォークランド紛争は終わります。

 

 勝者であるサッチャーは、、「人命に代えてでも我が英国領土を守らなければならない。なぜならば国際法が力の行使に打ち勝たねばならないからである」(領土とは国家そのものであり、その国家なくしては国民の生命財産の存在する根拠が失われるという意)と発言しイギリス国内はもとより国際的にも高い評価を受けました。

 

 

 一方、アルゼンチンの危ない火遊びの代償は高くつきます。失脚したガルチェリは自分にとって代わった反対勢力から死刑の判決を受けますが、後に減刑され懲役12年。敗戦により国民の不満はさらに高まり、国際的地位は地に堕ちました。

 

 

 

 

 鉄の女マーガレット・サッチャー、財政赤字を減らしイギリス経済を立て直した救世主と評価される一方、左翼からは失業者を増大させ地方経済を破壊した冷血な人間だと激しく非難されています。

 

 しかし国際政治、いや世界史からみた場合、老大国イギリスの威信を傷つけず、後世に大きな財産を残した偉大な政治家だと私は高く評価します。

 

 

 竹島や北方領土を巡る日本政府のなさけない態度と、犠牲を厭わずイギリスの誇りを守り抜いたサッチャーの毅然たる態度、どちらが立派か皆さんも比べてみてください。

 

 題名をイギリスの凄みと書きましたが、それはサッチャーの凄みでもありました。