このまま女で死ねたらいいと・・・・
ってこのフレーズ 島倉千代子さんの歌で
女の一生ってあるんだけど
この歌詞の中に
私が選んだ人生は散るも咲くのも私のものよ〜〜〜と
おんなじ音程で
私が選んだ愛の日々泣くもも笑うも 私のものよ〜〜〜と
言うのがあって
節もいいんだけどこの歌が好きで たまに踊るんですが
以前これを最初に聞いた時
一緒にいた津川さんに まさしくお前やなと言われたこともあって
刺さる歌の一つになってる
確かに小さい頃からこんな家業の子に生まれ女の子となると
役立たずが生まれたみたいに思っていて
男の子を産まなかった母は 籤運が外れたようにぼやいていた![]()
なので鵣汀がお腹にできた時のうちの母の祈りは凄まじく![]()
神棚に男の子のおもちゃを飾り 祈り倒していたらしい![]()
![]()
![]()
私は生まれてこの方 女の子でいた記憶は少なく
なぜなら母親が前記の様子なもので 私には女の子の服は似合わないと言い男の子の格好ばかりさせられたからだ まあ生まれつき癖毛で髪も男みたいに短く刈られていたこともあって絶対ズボン
男の子の服ばかり 妹が生まれて女だったから
余計に私のものは全て男の子使様で
自慢じゃないが 人形を買ってもらっても
百恵ちゃん人形もリカちゃん人形もアグネスちゃん人形も全て
服を脱がせて髪を切り 裸でえい!!や〜と戦わせるような子だった
七五三なんて悲惨で 妹は私と四つ違いなんで
3歳振袖
7歳の私は レザーの革ジャン上下
しかも女の子だからと言う理由で赤・・・・そこだけ女の子にせんでもええやん![]()
![]()
![]()
![]()
と言う具合で 会う人会う人に男の子と言われた
幼稚園に行っても めちゃわんぱくやったらしく 中学卒業して
聞いたのだけど 私が強くて 小学生時代も、中学生時代も逃げまくっていた子がいたらしい![]()
![]()
どんだけやねん![]()
私の記憶はそんなんじゃないけど 幼稚園の先生に喧嘩売って園長先生に文句を言ったところは覚えてる![]()
そんな女の子だから 小学校 中学校はませた子ではなく
普通の子どもらしい子だったって
友達と妹曰くは普通の子ではなく大人顔負けの
口が達者な子だったらしい 知らんけど〜![]()
そんな私が女子であることに目覚めたのは高校生になってから
スカートが似合うと言われたからだ!
小中学生の私のことを知らない人は、スカートを履いている姿を見てよく似合うと言い出した これも、自分では意外だったためこの頃からストレートパーマを当ててでも髪を伸ばし始め
お化粧もし始めた ちょっと思春期![]()
でも癖毛であること 元々男の子っぽいところもあって
女の子扱いはされてない 一応自覚としては
好きな子にさえ 男友達な扱いで![]()
![]()
で15歳中学卒業と同時に運命の人に出会うのさ〜〜〜〜
劇団に入ったダッサイ男の子は 好二と言う名前で
ほんとにださかった しかしながらこの人 出会ってまもなく
髪型を変え おしゃれを施し いわゆる所の色気始めたのですよ
そうすると・・・当時流行りの風見慎吾か!!みたいに爽やかになり
私を女扱いしてくれるんだ! 彼曰くその当時を振り返り
あの時はませてる子や 水商売の女の人か劇団の女の人しか
いなかったが そこにアルプスの少女ハイジみたいな
シミーズで走り回る太陽の子が現れてケラケラと笑う姿に癒されたらしい しかも親の七光にあぐらをかいて 偉そうにしてるから
子ども扱いして バカにしてるうちに愛着が湧いたとか![]()
なんやそれ〜〜〜〜〜〜
まあしかし 人生初の女の子扱いをされて目覚めるんだが
女でいることを恨んでいた私が 女で生まれたことに感謝した
男なら 津川竜は確実に私の若い衆になっているだろう!!!
彼は生涯の中で苦労もさせられたが一番大事にしてくれた
その後も50歳でお別れするまで お姫様扱いをしてくれたので
彼の親友は 私を姫という![]()
で今更になって女を止めることは 彼に申し訳ないので
このまま女で生きるために トキメキは無くせない
で!からの! 韓流スターを見て喜ぶ毎日なのだ
私が選んだ人生は散るも咲くのも私のものよ〜〜〜と続くわけだ
![]()
![]()
![]()
![]()
人生 損だと嘆くなかれ 自分でもわからない自分は
どんな苦悩も喜んでいるんだよ
魂が引き寄せるきっかけに出会うまで
いい役者に出会うのも いい相手が見つかるのも
いい韓流スターに出会うるのも 今私が私だから・・・
そして私が選んだ愛の日々を背中に 生きているわたしのものだから
ご清聴ありがとうございました![]()
運命の人





