『セスは語る ジェーン・ロバーツ著』 より

 

 さて、あなた方は一人ひとりが男性としても、女性としても生きることになっています。そうした転生での記憶は原則として顕在意識に上ることはありません。現在の性別が当人にとって過剰な意味をもたないように、例えば男性の場合はその内側に女性としての人格も棲んでいます。男性のなかにあるこの女性人格こそ、ユング(心理学者)が称した「アニマ」の真に意味するところなのです。

 

 従って、この男性のなかのアニマとは、当人の内なる自己がこれまでの過去世で体験してきた女性としての存在のすべてであり、またその霊的記憶にほかなりません。内なる自己はみずからの中に、現在の男性存在が女性であった時の知識をも包摂し、その存在の生得の女性的特質のすべてを直感的に把握しているのです。

 

 よってアニマは、男性である当人が現在の環境や教育などの文化的背景によって如何なる男性的資質を押し付けられても、それを偏重したり過大評価することに歯止めをかける、重要な保護手段としての役目を果たしているのです。アニマは、強硬で攻撃的な性向に、円熟した柔軟さを加味することができます。また、家庭内の女性とのコミュニケーションにおいて架け橋の役目をしたり、芸術や言葉による表現においても意思の伝達をより円滑にするという役目を果たしています。

 

 そうした事から、男性は女性としての自分をしばしば夢に見ます。その時の現れを見ていくことで、女性であった転生についてかなりの情報を得ることが可能です。「男性」性と「女性」性というのは、明らかに対極どうしではなく、融合に向かいつつある流れを言うのです。女性司祭、母親、年若き魔女、妻、老賢女などといった普遍的な典型は、単にあらゆる女性的資質や、男性が経験する多種多様な女性としての転生を象徴的に表す「根源的要素」であるという理由から、「元型(アーキタイプ)」と呼ばれています。

 

 もちろん、いま挙げたような元型は女性によっても経験されますが、その場合はあえて「女性」性に注意を向ける必要はありません。しかし、女性にもまた、自らの性別に過度な偏重が及ばぬように、ユングが「アニムス」と称した、女性のなかにひそむ男性というものが存在します。

 

 アニムスも、少年、司祭、密林の未開人、老賢人といった、一個人が体験してきた男性としての転生を表しています。こうした典型は、現在女性である人格存在(パーソナリティ)の、男性としての過去世の普遍的かつ象徴的な現れなのです。よって女性もまた、こうした元型の出現する夢や、自分が男性として登場する夢を学ぶことで、自分の男性としての過去世について多くの情報を得ることができます。

 

 現在の人格存在は、いわゆるアニマとアニムスを通して、異性であった過去世での存在に由来する知識や直感、さらに背後の情報をも引き出して利用することができます。例えば、女性という資質を極端なまでに大袈裟に表現している人の場合、内なるアニマとアニムスが夢の体験を通して、ほとばしるばかりの叡智を携えてその女性を助けに参じます。この叡智によって、行き過ぎた女性的資質を相殺するような男性的反応が生み出されることになります。

 

 さて、アニムスとアニマが、かなり霊的エネルギーの密度の高いものであることは言うまでもありません。このアニムスとアニマは精神のなかに現実(リアリティ)をもつだけでなく、内なる自己によって遺伝コード化されたデータ ~すなわち過去世での霊的な出来事の遺伝的記憶~ に埋め込まれています。従って、それらは肉体を構成する細胞一つひとつの遺伝的記憶のなかに換置されて存在しているのです。

 

 それぞれの内なる自己は、新たに肉体を採択する際、過去世で関わってきた物質的形態の記憶を、その肉体と遺伝的形質全体に塗り込めます。ともあれ現世での性質が優勢で、過去世でのそれを覆い隠してしまうのが常ですが、なかには潜在的に存在していたり、行動様式に組み込まれているものもあります。

 

 今のあなた方の肉体には幾つかの目に見えない層があります。もちろん、一番表面にある層が、あなた方が目にしている現世での身体的形態を表しているのですが、その中に織り込まれるように、不可視または潜在的な層である「影」が存在しているのです。幾重にもなるこうした層は、当の人格存在の過去世での肉体像を表しています。

 

 過去の肉体像は、いわば休止状態にあり、現世の肉体の原子構造と電磁的な繋がりを保っています。あなた方の思考様式に応じて申し上げますと、そうした肉体像は意識の焦点から外れていることになります。しかし、過去の肉体像もあなた方の霊的遺産の一部なのです。あなた方は頻繁に、過去世での肉体的長所を、現在の短所を補う助けとして呼び起こすことができます。したがって肉体は、現世におけるこれまでの状態の生物的記憶だけでなく、過去の転生の人格が形成したそれぞれの肉体の物理的な記憶をも、消失し得ぬものとして内に携えているのです。

 

       

 

 輪廻転生の体験は自己の骨格の一部であり、生きた精神の多次元的現実の一局面なのです。現在の自己を織り生地に譬えますと、「過去」としての輪廻体験はその中に織り込まれており、現時点での自己は、そこに蓄えられた自らの人格的特質、活動あるいは洞察力を無意識に引き出しているのです。過去世の記憶はしばしば意識に浮上してきますが、空想や芸術的創造物に投影された形で表面化するために、過去世の記憶として認識されることがないのです。

 

 例えば、歴史作家の著述の多くは、その時代における実体験に基づいて書かれています。そうした場合には、現在の自己と無意識との間に優れた調和関係(ラポール)が働いており、それによって現世が豊かになるやり方で過去世の記憶を浮上させることができるのです。作家本人がそうした状況を真に把握する時というのは、往々にしてほぼ意識的になされます。

 

 アニマは、始原期の必然的「霊性」、瞑想、思いやり、深い内観的性格、創造性の源である「内側への意識の集中」を表します。能動性や積極性の欠如を示唆する「受動的」という言葉は、アニマの性質を描写する表現として相応しくありません。

 

 確かにアニマは、作用や影響が自分に及ぶことを受け入れますが、それは極めて強い影響力に同調することで理解を試みようとする必要性と願望が、行動の真意としてその背景にあるのです。したがってアニマには、平安への願望と同時に、ぐいぐいと突き動かされたいという逆の性質の願望も強く備わっているのです。アニムスには、人格存在をして、アニマ的性質によって確実なものとなった創造性の所産を意気揚々と掲げながら、外へと、すなわち物質的活動へと差し向わせる積極性をもたらす性質があります。

 

 全体自己は、明らかにこれらアニマ的性質とアニムス的性質の総体であると言うことができます。最後の転生の後には、物質的肉体や性的要素を随伴する創造性はもはや必要なくなります。言い換えれば、身体的生殖を営む必要がなくなるのです。それを簡潔に表現しますと、全体自己には、男性性も女性性も、精緻なる同調と融合がなされた状態で含まれているということになります。

 

 まことの自己とは、そうした両性の融合の中から生じるものなのです。あなた方の現在の在り方に伺えるような、一方の性別のグループがもう一方を凌駕しているといった、どちらかの性別だけが重視されている状況下では、そのような自己の融合は不可能でしょう。

 

 あなた方の次元で「分割」が採択された理由は少なくありません。それらは人類が如何に進化し、如何にみずからの能力を行使していくかを決めた際に、選択した方法が極めて特異であったことに関係しています。

 

 男女の性別という二分割が採択されたことで、相互に不可欠にして、しかし一見対立するかに映る性向が、乖離させられた上でバランスを取り合う形で存在するようになりました。かような規制を享受する必要があるのは、進化の初期段階にある意識だけです。

 

 アニマとアニムスの真の意味が考慮されることなくして、あなた方が知るところの人格を理解することはできません。輪廻の指針の範疇内であれば、みずから適宜とみなす転生を選ぶことができるのです。変化に富んだ多彩な転生のなかで、性別に関する進化については、男女両方の転生を経験しなければならないことと、多様な性質の発達、進化がなされなければならないという以外、あれこれ指図されるような決まりはありません。

 

 男性はアニマに対して憧憬を抱きます。それは、アニマがその男性の深層に無意識の潜在的資質として横たわるだけでなく、全体自己のなかで解き放たれたいと足掻く、別の資質を提示してくれるからです。全体自己は、みずからの一部であり一見正反対に映る性向どうしを合わせ、一体化し、それらの能力がフルに発揮されるよう尽力することで、まことの自己を成就せんと刻苦奮励しているのです。

 

 輪廻のサイクルの完了時には、全体自己は以前より遥かに進化しています。全体自己はかつて知ることのなかった現実の次元をみずから実感、体験し、尚且つそうする間にその存在を拡大してきたのです。よってこの過程は、全体自己がみずからを二つに分割して、また元の状態に戻るなどという単純なものではありません。

 

      

 

※ 内なる自己~ ユングが説いた自己(セルフ)   または「無意識」

※ 外なる自己~ 自我   または「顕在意識」

※ 全体自己~ 内なる自己 + 各輪廻における外なる自己

     (魂、<存在>と呼ばれることも)

※ キリストは、内なる自己と外なる自己との関係性を、「父と子」という表現を用いて説明しようとしました。