ベールの彼方の生活③ オーエン著 近藤千雄訳』 より

 

 地上の言い方をすれば、何年も前のことになるが、靴直しを生業としていた男が地上を去ってこちらへ来た。何とか暮らしていくだけの収入があるのみで、葬儀の費用を支払った後は一銭も残っていなかった。

 

 こちら(あの世)で出迎えたのもほんの僅かな知人だけだったが、彼にしてみれば自分ごとき身分の者を迎えにわざわざ地上近くまで来て、道案内をしてくれただけで十分うれしく思った。案内された所も地上近くの界層の一つで、決して高い界層ではなかった。が、今も言った通り彼はそれで満足であった。

 

 というのも、苦労と退屈と貧困との闘いのあとだけに、そこに安らぎを見出し、その界の興味ぶかい景色や場所を見物する余裕もできたからである。彼にとってはそこがまさに天国であり、みんなが親切にしてくれて幸福そのものだった。

 

 ある日のこと、彼の住まいのある通りへ一人の天使が訪れた。中をのぞくと彼は横になって一冊の本をどこということなく読んでいる。その本は彼がその家に案内されて、ここがあなたの家です、と言われて中に入ったときからそこに置いてあったものである。

 

 天使が地上時代の彼の名前を呼ぶと、彼はむっくと起き上がった。

「何を読んでおられるのかな?」と天使が聞いた。

「別にたいしたものじゃありません。どうにかこうにか私にも理解できますが、明らかにこの界の者のための本ではなく、ずっと高い界のもののようです」と男は答えた。

「何のことが書いてあるのであろう?」

「高い地位、高度な仕事、神のために整然として働く上層界の男女の大霊団のことなどについて述べてあります。その霊団の人々もかつては地上で異なった国家で異なった信仰のもとに暮らしていたようです。話しぶりがそれを物語っております。しかしこの著者はもうこの違いを意識していないようです。長い年月の修養と進化によって今では同胞として一体となり、互いの愛情においても合理的理解力においても何一つ差別がなくなっております。目的と仕事と願望において一団となっております。

 こうした事実から私はこの本はこの界のものではなく、遥か上層の界のものと判断するわけです。その上この本には各霊団のリーダーのための教訓も述べられているようです。と言うのは、政治家的性格や統率者的手腕、リーダーとしての叡智、等々についての記述もあるからです。それで今の私には興味はないと思ったわけです。遠い遠い将来には必要となるかもしれませんけど…。一体なぜこんな本が私の家に置いてあったのか、よく判りません」

 

 そこで天使は開いていたその本を男の手から取って閉じ、黙って再び手渡した。それを男が受け取った時である。彼は急に頬を赤く染めて、ひどく狼狽した。その表紙に宝石を並べて綴られた自分の名前があるのに気づいたからである。戸惑いながら彼はこう言った。

 

「でも私にはそれが見えなかったのです。今の今まで私の名前が書いてあるとは知りませんでした」

「しかし、ご覧の通り、あなたのものです。ということは、あなたの勉強のためということです。いいですか。ここはあなたにとってはホンの一時の休憩所に過ぎないのです。もう十分休まれたのですから、そろそろ次の仕事に取り掛かからなくてはいけません。ここではありません。この本に出ている高い界での仕事です」

 

 彼は何か言おうとしたが口に出ない。不安の念に襲われ、しり込みして天使の前で頭を垂れてしまった。そしてやっと口に出たのは次の言葉だった。「私はただの靴職人です。人を指導する人間ではありません。私はこの明るい土地で平凡な人間であることで満足です。私ごとき者には、ここが天国です」

 

      

 

 そこで天使がこう語って聞かせた。

そういう言葉が述べられるということだけで、あなたには十分向上の資格があります。真の謙虚さは上に立つ者の絶対的な盾であり防衛手段の一つなのです。それにあなたは、それ以外にも強力な武器をお持ちです。あなたはあの地上生活の中で攻撃のための武器も強化し鋭利にしておられた。

 たとえば靴を作る時、あなたはそれをなるべく長持ちさせて貧しい人の財布の負担を軽くしてあげようと考えた。儲ける金のことよりも、そのことの方を先に考えた。それをモットーにしておられたほどです。そのモットーがあなたの魂に沁みこみ、あなたの霊性の一部となった。こちらではその徳は決してぞんざいには扱われません。

 その上あなたは日々の生活費が逼迫しているにも拘わらず、時には知人宅の収穫や植えつけ、屋根ふきなどを手伝い、時には病気の友を見舞った。そのために割いた時間は、ローソクの明かりで取り戻した。そうしなければならないほど、生活費に困っておられた。そうした事はあなたの魂の輝きによってベールのこちら側からことごとく判っておりました。というのも、こちらの世界には私たちの肩越しに天界の光が地上生活を照らし出し、徳を反射し、悪徳は反射しないという、そういう見晴らしが効く利点があるのです。ですから、正しい生活を営む者は明るく照らし出され、邪悪な生活を送っている者は暗く陰気に映ります

 この他にも、あなたの地上での行為とその経緯について述べようと思えばいろいろありますが、ここではそれは措いておきます。それよりもこの度私が携えてきたあなたへのメッセージをお伝えしましょう。実はこの本に出ている界に、あなたの到着を待ちわびている一団がいるのです。霊団として組織され、すでに訓練も積んでおります。その使命は地上近くの界を訪れ、他界してくる霊を引き取ることです。新参の一人ひとりについて、よく観察して適切な場を選び、そこへ案内する役の人に引き渡すのです。もう、いつでも出発の用意ができており、そのリーダーとなるべき人の到来を待つばかりとなっています。さ、参りましょう。私がご案内します」

 

 それを聞いて彼は跪き、額を天使の足もとにつけて涙を流した。そしてこう言った。

「私にそれだけの資格があれば参ります。でも私にはとてもその資格はありません。それに私はその一団の方々を知りませんし、私に従ってくれないでしょう」

 

 すると天使がこう説明した。

「私が携えてきたメッセージは人物の選択において決して間違いを犯すことのない大天使からのものです。さ、参りましょう。その一団は決してあなたの知らない方たちではありません。というのは、あなたの疲れた肉体が眠りに落ちた時、あなたはその肉体から脱け出て、いつもその界を訪れていたのです。そうです。地上にいる時からそうしていたのです。その界においてあなたも彼らと一緒に訓練をなさっていたのです。まず服従することを学び、それから命令することを学ばれました。お会いになれば皆あなたのご存じの方ばかりのはずです」

 

 そう言い終わると天使は彼を従えてその家をあとにし、山へ向かって歩を進め、やがて峠を越えて次の界へ行った。行くほどに彼の衣服が明るさを増し、生地が明るく映え、身体がどことなく大きく且つ光輝を増し、山頂へ登る頃にはその姿はもはやかつての靴直しのそれではなく、貴公子のそれであり、まさしくリーダーらしくなっていた。

 

 道中は長引いたが楽しいものであった。そしてついに霊団の待つところへやって来た。ひと目見て彼には彼らの全てが確認できた。出迎えて彼の前に整列した彼らを見た時には、彼にはすでにリーダーとしての自信が湧いていた。各自の目に、愛の光を見たからである。