あなた方の地球が存在する「以前」に、現在の地球が占める空間と同じ場所に存在した惑星に棲まわっていた人々がいました。彼らは自身の過ちから、その惑星の破壊を招くことになりました。そして、その惑星があった場所に地球がもたらされた時点で、彼らは地球に転生しました。

 

 かつて9つの惑星が、太陽の周りを宝石のように、一団となって取り巻いていました。それらの惑星は互いに等距離を保ち、太陽から外側へと向かって均一に分散していました。そしてこれこそ、人類が居住した最初の太陽系だったのです。

 

 それらの惑星は、爆発しては再創造されるということを繰り返し、消滅しては、再び出現しました。まるで脈動しているかのように見えました。この惑星系は、あなた方の物理的宇宙では最初のものでした。これら太陽と原初の9つの惑星からなる惑星系は、あなた方の観点からすると、遠い昔に形を変え、別の宇宙体系へと移行してしまいました。

 

 原始人類から始まった人間の歴史が、現在まで続いているとお考えのようですが、それ以外にも別の発達した科学文明が存在しています。人類という種に定められた歴史的発展の道筋は、現在の考古学で明らかにされているものだけではないのです。

 

 現在のあなた方の物質的進化レベルに達していたり、すでにそのレベルを超えていたり、あるいは自分たちの属していた特定の文明を崩壊させた場合もあるのです。

 

 そうした場合、その文明に属していた人々には、その滅亡の事実のみならず、滅亡の背後にあった理由までも無意識層にとどめた状態で、別の転生の機会が与えられました。そして彼らは、改めて原始的な共同体を創り、心の状態も新たに再スタートを切ったのです。

 

 そうでない人々は、問題解決に取り組む過程で、あなたがたの物質的惑星(地球)を離れて、物理的宇宙の別の場所に移る人々もいました。

 

 現在の彼らにとって、地球は伝説上の故郷ということになっています。新しい種である人種に進化している彼らは、あなたがたの存在する大気の状態のもとでは、もはや物質的な適応ができないのです。

 

 それでも物質的現実に暮らす限り、彼らもまた輪廻する存在のレベルで存続しています。しかし彼らの中にも、突然変異によって輪廻のサイクルを去って久しい人々がいます。

 

 輪廻のサイクルを離れた人々は、概念的存在へと進化しています。物質的存在が、常に同時に概念的存在でもあるというのはご承知の通りですから、彼らとてそれまでも概念的存在であったわけです。つまり彼らは、肉体という形態を放棄したにすぎません。

 

 この<存在>のグループは、今でも地球に大きな関心を寄せており、地球にエネルギーや支援を送っています。今なら申しあげられるのは、彼らはある意味で、地球にいる人類によって「神々と見なされてきた存在」であると言うことです。

 

     

 

 あなたがたの惑星において、彼らは特定の三つの文明に関与しました。それらはアトランティスの時代よりずっと古いものです。実際、当時は地球自体がいくぶん違う位置に存在していました。

 

 地球の両極が入れ替わったことがありました。これにはあなた方の惑星史の中の三つの長き時代が関わっています。それらの時代の文明は極めて発達した技術を有し、とりわけ二番目の文明に関しては、実際、科学技術の発展という点から見た場合、あなたがたの文明より遥かに進歩していました。

 

 その文明では音が極めて効果的に利用されていました。治療や戦争のためだけでなく、移動用乗り物の原動力や物体を動かすことにも、音を使っていたのです。音は重量のあるものを大量に運搬する手段でした。

 

 この二番目の文明の主だった力の中心は、現在のアフリカとオーストラリアがある地域に集まっていました。もっとも当時は気候も地表の占める位置も、現在とはまったく異なっていたのです。当時の陸塊の集まり方は、変換された両極の位置と関係がありました。

 

 その文明は局地集中型で、拡大の試みはなされませんでした。その文明は内側へと成長する性格をもち、やはり当時、広範囲に散在していた非組織的な未開文明と同時期に、この惑星上に存在していたのです。

 

 この二番目の文明は、そうした未開文明をあえて啓蒙しようとしなかっただけでなく、総力をあげてそれらの文明化を阻もうとしたのです。こうした特記すべき状況は長い間続きました。

 

 この文明を構成していた人の大半が、それ以前に栄えた文明の非主流派集団でした。そのかつての文明に生きた人のほとんどは、あなたがたの物理的宇宙の別の領域で存在し続けることを選択しましたが、二番目の文明を築いた人々に関しては、地上の生活に格別な愛着を持っていたのと、最後まで関与してきた体験的試みを更に推し進めたいと考えたため、別の存在レベルに移行することができたにも関わらず、地球に居残る選択をしたのです。

 

 地球に残った彼らは、未発達な文明としてゼロから始めることには関心がなく、別の分野を目指していました。そこで過去の文明で得ていた知識の大半が彼らの天性となり、そのためその特異集団は、あなたがたの言う「さまざまな技術発展の諸段階」を物凄いスピードで達成していきました。

 

 文明初期にあった彼らがとりわけ関心を向けていたのが、あなたがたの言う「本能」に極めて近いものだったのです。彼らの身体機構は、脳が強い攻撃性の信号を送っても、肉体はそれに反応を示さぬように変化していました。今でも心理的観点から、この性質の痕跡を特定の個人に見てとることができます。そうした人は、自分が他への暴力破壊行為であると見なすことを行いそうになると、その前に気を失ったり、自分の身体を痛めつけようとさえします。

 

 彼らは過度に用心深く、大きく拘束された精神と肉体をもつ存在へと変化していくことになりました。彼らの文明の知的進化はめざましく、その技術はとどまることを知らずで、そうした彼らの努力を裏切ることなく次々と先端技術が推進されていきました。その一例としては、己の存続のために他の生き物を犠牲にする必要をなくすため、人工食が開発されていました。

 

 彼らはまた同時に、自分たちの環境も損なうことなく、元のままを維持しようとしました。あなたがたのような自動車時代、蒸気機関車時代などといった段階を、彼らは体験することなく、文明のごく初期段階から音の技術開発に熱中していました。彼らが用いていたのは、耳で聞くことのできない音でした。

 

 この文明は「ルマニア(Lumania)」と呼ばれていましたが、その名称そのものは伝説のなかで語り継がれ、後世でも再び用いられたことがありました。(ルマニア≠レムリア)

 

     

 

 ルマニア人はたいへん細身で、肉体的には虚弱な民でした。彼らが自分たちの技術をして、他の集団を攻撃したり破壊したりということは無論あり得ませんでした。ルマニア人の中にも、自分たちの行ってきた実験的試みが、決して成功しているとは言えないことに気づく人が徐々に増えていきました。そして肉体的な死をきっかけに、物理的宇宙にある別の惑星体系へ移住していた、自分たちに先立って栄えた文明の民と合流せんと、ルマニアを去る人もいました。

 

 彼らは暴力や破壊行為に耐えられず、それに同等な行為をもって応戦できなかったため、みな早くに死んでいきました。そうした状況のなかで彼らが自らの子孫に望んでいたことは、異種婚による突然変異の結果、破壊行為に走る傾向をもたないまま、なお且つ自然な反応を阻止してしまう生得の神経的制御機能が取り除かれることであったのです。

 

 ルマニア人の文明は、物理的には滅亡したことになります。突然変異による子孫たちのうち、ほんのひと握りはのちに小集団を作り、続く世紀には動物の大群を引き連れてその地域を移動するようになっていました。彼らと動物は相互によく助け合いました。半人半獣にまつわる古い伝説の多くは、単なるこうした過去の結びつきの記憶が長い歳月を経て、語り継がれたものです。

 

 彼らは、初の偉大な文明のまことの生き残りとして、自分たちの起源を潜在的な記憶として常に心の奥底に強くとどめていました。私はいま、ルマニア人について述べています。この事は彼らの技術面での急成長を説明するものでもあります。しかしながら、彼らが一途に目指していたことが、創造的潜在能力の平和裡で建設的な発達というよりは、むしろ暴力破壊行為の回避ばかりであったため、彼らの体験は著しく偏っていたのです。

 

 そのような訳で、ルマニア人の文明はしごく活力に乏しいものでした。それはエネルギーの流れや表現の自由が、外側である肉体レベルで一定の方針に則して自動的に堰き止められていたからです。地上に暮らすものとして、ルマニア人は暴力破壊行為の弊害をよく理解していました。

 

 しかし、そのことを個人が独自のやり方で学ぶ権利を否定していたため、個人が自分なりの方法論や創造性を用いて、攻撃性を建設的と見なしうる行動範囲へと変容させていくことが阻まれていたのです。この点に関しては、自由意志が放棄されていたと言えます。

 

 母親の子宮から外に出た子供には、その後しばらくは病気から身を守る免疫機能が働くように、生後間もない子供は、霊的な災いからも短期間は守られています。また子供は、みずからの過去世での存在や、ゆかりの場所などに関する記憶を慰みとして持ち続けています。

 

 よって、ルマニア人の場合も何世代かにわたり潜在意識の奥深くに存在していた、大昔に興隆衰退した文明の記憶に支えれていたのです。しかし、そうした記憶も最終的には徐々に薄れていきました。彼らは恐れに関しては自身を守ることはできなかったのです。

 

 したがって、ルマニア人は人類にとってごく日常的な恐れの数々に右往左往し、破壊を伴う自然の力にさえ物理的に対応策を講じることができなかったため、そうした恐れは彼らの間でどんどん過大視されていきました。

 

 何かに襲われた場合、彼らには逃げる以外に術はありませんでした。「戦うか逃げるか」という行動指針は、ルマニア人には当てはまらなかったのです。つまり彼らにとって唯一の手段が「逃避」だったのです。

 

 ルマニア人の神の特徴は、力が強く、その肉体も筋骨隆々とした男性の姿をしており、己の力で自分たちを守れなかったルマニア人を代わりに守ってくれる存在でした。この神は、ルマニア人の信仰と並行して発展していきました。みずからが表現し得なかった資質を、ルマニア人はその神に投影したのです。

 

 この神は、ずっと後になって、神の選民と呼ばれる人々を守る天罰の神、古の神ヤハウェとして登場します。ルマニア人にとっては、自然の脅威が記述の理由により当初は並々ならぬものであったため、人を育んでくれる自然との間に隔絶感が生まれました。ルマニア人は地球上の破壊から身を守ることが叶わなかったため、地球を信頼することができなかったのです。

 

 ルマニア人の並外れた科学文明は、主として地下空間に存在していました。よって、彼らはそうした意味では最初の穴居人類であったとも言えるのです。地下都市から外に出るときにも、彼らは洞窟を通って地上に現れました。

 

 あなた方が現在、石器時代と呼んでいる時期に、やはりあなた方が祖先と見なしている穴居人類たちが住んでいたのは、しばしば自然の洞窟ではなく、後方が壁の滑らかな通路へとつながる人造の洞窟であり、またかつてルマニア人が暮らした廃墟でした。穴居人類の手による石器のなかには、彼らがそうした場所で見つけた道具のこしらえを模倣し、歪めた作りのものもあるのです。

 

 ルマニア人は審美眼のある民であったため、壁面には線描画などが施され、地下深い路地沿いには彫塑が並べられていました。エスカレータに似たさまざまな設備も利用されました。その中には歩行者を運ぶものも、物資や荷物を運ぶものもありました。

 

 彼らの居留地はたくさんの地域に散在していましたが、その相当数が現在スペイン、そしてピレネー山脈と呼ばれる地域にありました。それには幾つかの理由があったのですが、一つはその山岳地帯に棲んでいた巨人人種と関係がありました。洞窟は外界に開く出入口としての役割を果たしており、洞窟の奥の行き止まりと思われていた箇所は、「外側から見ると不透明だが、内側からだと透けて見える」素材を用いて造られていました。