『セス・マテリアル ジェーン・ロバーツ著』 より

 

キング牧師暗殺を契機に、全米の大学で学生の暴動が起こりました。あるセッションで、暴徒について議論していたところ、「私も暴力には反対だわ、でも時にはそれが正当化される‥」

 

この発言を遮るように、突然セスの声が部屋中に文字通り轟きわたりました。

 

      

 

暴力に対しては、いかなる正当化もあり得ない。

憎しみを正当化することはできない。

殺人を正当化することもできないのだ。

たとえどんな理由にせよ、暴力にふける者は、

彼ら自身が廃れ、彼らの目的の純粋さが穢されるのだ。

 

もし、君たちの世界の状況が気に入らないなら、

君たちが変えなければならないのは、

個人的にも集団としても、

君たち自身だということは話したはずだ。

それが唯一変化を確実にもたらす道なのだ。

 

君たちの世代にしろ、あるいは別の世代にしろ、

変化を起こすとしたら、方法はその1つしかない。

 

私が今話していることは、何世紀にもわたって

以前から言われてきたことだ。

その言葉に従うかどうかは、君たち次第だ。

 

      

 

花を罵ることは間違っているし、

人を罵ることも間違っている。

どのような人に対してであれ、

敬意を評さないことは間違っている。

 

そしてどのような人であれ、

あざ笑うことは間違っているのだ。

 

君たちは自分自身に尊敬の念を抱き、

自分の内部に、

永遠の生命力をもったスピリットがいることに

気づかねばならない。

 

そして他人ひとりひとりにも

同様に敬意を払わなくてはならない。

なぜなら、その人たちの中にも

永遠の生命力のきらめきがあるからだ。

 

      

 

他人のことを罵れば、自分自身を罵ることになる。

そしてその悪態は自分に戻ってくるのだ。

暴力を振るえば、暴力が戻ってくる。

 

誰かが平和のためにという名目で、

暴力を振るうかぎり、戦争は起こり続けるだろう。

 

憎しみを持てば、その憎しみは必ず物質的な

形をとって外部に反映され、

そして愛すれば、その愛は

必ず物質的な形をとって外部の世界に反映されるのだ。

 

 

※ 三信条のなかで、「人の人たる道を守るべし」とお大師さんも仰っていますね。

※ 宗教組織は大っ嫌いですが、宗教心である霊性や仏性は肯定します。

※ 脳科学的にも人間には、道義心や洞察力が遺伝子にインプットされています。