形而上絵画のもたらすもの | ほうしの部屋

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 上野の東京都美術館で開催中の『デ・キリコ展』を観てきました。

 20世紀を代表する前衛画家のジョルジョ・デ・キリコ(1888~1978)の創作の足取りを追ったものです。かなり年代別に展示されていますが、形而上絵画やマネキン(マヌカン)の出てくる作品などは、それらを制作年代を無視して、ひとまとめにして展示していました。

 デ・キリコはイタリア人の両親のもとギリシアで生まれ、青年期をミュンヘンで過ごし、パリで画業を始めます。ミュンヘンなどでは絵画の学校に通っていましたが、もっぱら、ニーチェやショーペンハウエルなどの哲学の研究に没頭していました。このことが、後の画家としての活動に影響を与え、礎となっていきます。どこにもないような奇妙な影の長い建物に囲まれた街に奇妙なマネキンや玩具などが立ち尽くす独特の画風で話題を集めました。とはいえ、背景の風景などは、デ・キリコの慣れ親しんだ、ローマやフィレンツェの広場などをモチーフにしたものでした。

デ・キリコの画風は「形而上絵画」と称され、当時のパリで勃興していたシュルレアリスムの芸術家たちに称賛され、大きな影響を与えました。パリで、デ・キリコは、ブルトンらシュルレアリストと親交を結びますが、後に路線の対立で決別します。アポリネールとは親友関係になりました。シュルレアリスムが追求するデペイスマン(現実にはありえない組み合わせ)という技法を、デ・キリコは先取りしていました。

ところが、第一次大戦後、デ・キリコは画風をがらりと変えて、古典的な肖像画や風景画、静物画ばかりを描くようになります。古典的芸術に回帰して、その現代的な意義を追求しようとしました。それはデ・キリコを慕っていたシュルレアリスムやイタリア未来派などの芸術家たちを失望させます。しかし、静物画といっても、果物をリアルに描いた前景と、奇妙な風景が描かれた後景を組み合わせるなど、デペイスマンの実践と思えるような、シュルレアリスムの感覚が漂う、形而上絵画に近い雰囲気を漂わせる作品も多くあります。演劇の書き割りや衣装、彫刻なども手がけます。彫刻では、おなじみのマネキンを多数制作しています。

そして、デ・キリコは晩年になって、画風を戻し、形而上絵画を数多く制作するようになります。異様で不気味で不思議な美しさと階調を見せる作品群です。過去に自分が描いた作品を複製するような活動も盛んに行いました。おなじみの遠近法の歪んだ広場とかマネキンが何度も登場します。現代の人々がデ・キリコの作品としてイメージする(マネキンなど)作品の多くは、1950年代~1970年代の晩年に描かれたものが多いのです。この複製活動を、ポップ・アートの巨匠アンディ・ウォーホルなども称賛しています。また、デ・キリコの形而上絵画には、窓の外の風景とか、室内のキャンバスなどに、過去の自作で見慣れた絵(広場とか彫像とか)が描かれており、このような作中作を取り入れることで、作品全体を「メタ絵画」に仕上げている面もあります。

 この展覧会は、デ・キリコの形而上絵画を中心としながらも、多彩な画業を辿る構成にもなっているので、肖像画や古典的絵画を描いていた「つまらない」作品もかなり展示されていました。しかし、肖像画や古典的絵画にも、現実に存在するものを素描しながら、形而上絵画につながる奇妙な展開が感じられるものも多くあります。

 

 とはいえ、デ・キリコといえば「形而上絵画」なので、それについて考えてみました。

 形而上絵画というものは、普通に目に見えるもの(形而下のもの)の背後に隠れている理想型とか人間の観念などに目を向けてそれを描き出す試みです。哲学者プラトンが提唱したイデアあるいは、アリストテレスの言う形相を絵画作品として描き出すことが目的です。それは一種の「普遍性」を描写するものとも考えられます。コスモポリタンとして、イタリア、ギリシア、フランス、ドイツ、アメリカなどを渡り歩いたデ・キリコは、古今東西の様々な芸術作品や芸術運動に触れることで、それらの(自分にとって)糧となるような良いところを取り入れつつ、それらを消化して、自分にしか描けない普遍的な作風を追求していたとも考えられます。どこかで見たような、それでいてどこでもない風景や、顔の無いマネキンなどは、普遍性を追求するからこそ出てくるモチーフとも考えられます。古典を取り入れるのは、過去と未来が循環するニーチェ流の永劫回帰の思想の実践のようにも思えます。

 プラトン的なイデアは、人間が決してたどり着けない理想型であり、デ・キリコの絵画で言えば、無機質なマネキンです。現実の顔つきや表皮を剥ぎ取って見えてくる人間の原型ともいえるマネキンを描くことで、デ・キリコは、普遍的なイデアの世界を表現しようとしたのです。

 しかし、デ・キリコは形而上学的思考そのものを支持していたわけではありません。デ・キリコは、形而上学を厳しく批判してプラトン流のイデアの存在を否定した哲学者ニーチェに大きな影響を受けています。そのため、デ・キリコの描く形而上絵画つまりイデアの世界に出てくる光景は、見方によっては美しくもありますが、楽しさとは真反対の、得も言われぬ不安感や絶望感、空虚感を観る者に与えます。つまり、ニーチェ流に解釈するなら、イデアのような理想型を求めることの空しさを、デ・キリコは形而上絵画として示したのだと思います。形而上絵画という手法によって、逆にイデアを追求する形而上学(古典哲学)の不可能性を暴いて見せたところに、デ・キリコの新奇性があると考えられます。

 デ・キリコは、形而上絵画を通して、目に見えるものの背後に隠された本質をさらけ出すとともに、そのような目に見えないイデアを追い求めることの不毛さを訴えかけているのでしょう。ニーチェ流に言うなら「神(イデア)が死んだ」現代を生きる私たちの不安感や空虚感あるいは焦燥感を、デ・キリコの形而上絵画は醸し出しています。これが、デ・キリコの作品が現代人を引きつける理由なのでしょう。