群像を群像のまま描く群像劇 | ほうしの部屋

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 ポール・オースターの長編小説『サンセット・パーク』を読了しました。

 著者オースターは現代アメリカ文学を代表する作家の一人です。1947年生まれで、ニューヨーク三部作で脚光を浴び、2000年代に入っても旺盛な執筆活動を続けています。映画の脚本、監督も務めています。ニューヨーク(特にブルックリン)を舞台にした小説が多いのですが、本作品『サンセット・パーク』もブルックリンが舞台です。2008年のリーマン・ショックの最中、不動産価値の暴落を受けて、廃屋になったブルックリンのサンセット・パークの屋敷に、勝手に住み着いた若者たち4人が中心の、群像劇です。

 主人公は、少年期に義理の兄を交通事故で死なせてしまった責任を背負い込んで、自分の人生を過酷に追い込むことを意図して行動します。ニューヨークの大学を中退して、父母(義理の父母も含めると4人)に別れを告げて失踪しました。アメリカ中を彷徨い、肉体労働に明け暮れ、フロリダでまだ高校生の少女と恋愛関係になり、それが公にバレそうになり、少女が学校を卒業するまでの間、身を隠してニューヨークに戻ってきました。そこで、旧友と再会した主人公は、ブルックリンの「サンセット・パーク」の廃屋に住み着くことになります。自分の過去と折り合いをつけ、両親と和解し、少女との結婚を夢見る主人公は、行き当たりばったりの行動を続け、最後には、全ての計画が台無しになるような行動に走ってしまいます。

 

 それでは、本作品の内容を紹介します。本作品は、主な登場人物が入れ代わり立ち代わり、主人公のように描写されており、まさに群像劇の体を成しています。一応の小説全体の主人公はマイルズ・ヘラーですが、サンセット・パークに住む他の3人や、マイルズの父母なども、個別に章を設けて主人公と同等に扱われ、彼らの視点から物語が進行していきます。

 

[マイルズ・ヘラー]

 主人公のマイルズは、フロリダ南部で不動産会社に雇われて、住宅ローンが払えなくなったり転売目的でうち捨てられた住宅の残存物撤去の仕事をしていました。仕事の傍ら、捨てられる物たち、すなわち住んでいた家族の記憶を、写真に撮っていました。28歳のマイルズは、ニューヨークの大学を中退し、人生に野心を持つのをやめていました。マイルズは、公園で、読書をしていた女子高生のピラールと知り合い、恋人関係になります。未成年者との恋人関係は、社会的に危険であり、秘密にしておく必要がありました。ピラールの両親は事故で亡くなっており、姉3人と暮らしていました。ピラールは非常に頭が良く、マイルズの知的な会話についてきており、高校を優秀な成績で卒業し、有名大学への進学が期待されていました。マイルズは、仕事でくすねてきた家具や電化製品などを、ピラールの家に寄贈し、ピラールの姉たちに歓迎されました。マイルズには、ピラールに秘密にしている家族関係や過去がありました。父のモリスは出版社を経営しており、離婚した父が再婚したウィラの息子、つまり義兄のボビーは交通事故で亡くなっていました。しかし、この事故についてマイルズは自分の責任を感じていました。小学生の頃、マイルズはボビーと連れだって道を歩いており、ちょっとした口論からボビーを突き飛ばし、車道に出たボビーが車に轢かれて死んだのです。事故として処理されましたが、マイルズは、自分がボビーを殺したのだと気に病み続けていました。父母のモリスとウィラが悲しみに沈む中、マイルズは秘密にしていた自分の責任を痛切に感じ、それがもとで、両親のもとから去りました。そして大学も中退し、アメリカ各地を放浪し、フロリダに行き着いたのでした。マイルズは、高校時代からの親友である、ビング・ネイサンとだけは連絡を取り合っていて、住所変更も知らせていました。ビングは、ニューヨークのブルックリンのサンセット・パークという地域にある、空家に住んでいるといいます。もちろん不法です。男1人、女2人との共同生活です。ビングによると、男の同居者が近々出ていくので、マイルズがその気なら、一緒に住めるといいます。ピラールの長姉アンジェラが、マイルズにさらなる家具などの贈り物を要求してきて、それができないなら、ピラール(未成年)との関係を警察に通告すると脅迫してきました。マイルズは、ピラールが高校を卒業して18歳になるまで、姿をくらますことにします。そこでニューヨークに戻って、サンセット・パークのビングが不法居住している家に滞在することに決めて、荷物をまとめて高速バスに乗りました。ピラールはしばしの別れを悲しみましたが、冬に学校が休みの時に、マイルズのもとを訪れることを約束しました。マイルズは、ニューヨークへ行ったら、父母に連絡を取ろうかと考えました。マイルズには母が2人います。産みの母は、メアリ=リーというハリウッド女優です。彼女と離婚した父モリスが再婚したのがウィラで、マイルズの育ての母であり、マイルズが死なせてしまったボビーの産みの母でもあります。

[ビング・ネイサン]

 マイルズの親友であるビング・ネイサンは、不服従を貫き、現代生活の仮面を暴こうとする闘士ですが、あらゆる党派に所属せず、一人で闘ってきました。携帯電話もコンピュータも持たず、ジャズバンドでドラムを叩き、「壊れた物たちの病院」という、古道具を売ったり修繕する店を経営していました。ニューヨークのブルックリンにあるサンセット・パークという地域の空家の情報を聞きつけ、仲間を集めて共同生活を始めました。自分の思想を実践する良い機会だと思ったのです。空家は、友人で不動産会社に勤めるエレンから教えられたものでした。持ち主が死んで、固定資産税を払えなくなり、市の所有物になっているそうです。空家は、修理が必要でしたが、電気も水道も通っていました。ビングは、エレンとエレンの大学時代のルームメイトだったアリスを共同生活者に選びました。もう一人、ビングが恋していたミリーという女性も同居人に選びましたが、ミリーはダンサーの仕事口があるといってサンフランシスコへ行ってしまいました。そこで、マイルズに手紙を書いて、一緒に住まないかと誘ったのです。アリスの恋人のジェイクも居住者候補でしたが、ビングはマイルズにも誘いをかけたのでした。

[アリス・バーグストロム]

 アリスは博士課程の大学院生で、家賃滞納でアパートを追い出されて、サンセット・パークにやってきました。空家に住み着いて、一部屋を手に入れ、博士論文の執筆をしています。昼間は、パートタイムで人権活動団体の職員をしています。恋人のジェイクとは次第に疎遠になっています。アリスの論文の考察対象は、第二次大戦直後のアメリカであり、その時代の大衆的な犯罪小説やハリウッド映画に描かれた男女の葛藤の分析です。アリスは、第二次大戦に従軍した兵士たちが、国に帰ってから、過去を振り返って話すことをほとんどしないことに気づきました。

[エレン・ブライス]

 エレンはビングの友人であり、勤め先の不動産会社で、サンセット・パークの空家のことを知りました。それをビングに勧めたのです。エレンは、絵描きを目指していましたが、自分の作品の凡庸さを指摘されて、しかも恋人もいない寂しさ(肉体的疼きも含む)もあり、鬱状態でした。エレンはかつて、サマーキャンプの引率の仕事をしているとき、キャンプに参加したベンという少年と性的関係を結び、ベンとは夏の終わりとともに別れましたが、妊娠していました。中絶手術を受け、自殺未遂を起こして、グループセラピーに参加して、アートスクールに通って絵を描くことを始めました。静物画で挫折を味わい、大胆で表現豊かな人物画を描こうとしていました。最初は自分の肉体をスケッチしていましたが、他のモデルが必要になりました。そこで、アリスの部屋を訪れます。アリスが論文で『我等の生涯の最良の年』という戦後すぐに制作されたハリウッド映画を扱っており、その映画をエレンも観ていたことから、話がはずみました。エレンは、ドローイングのモデルになってくれるようにアリスに頼みましたが、アリスは体型に自信がないと断りました。

[マイルズ・ヘラー]

 マイルズは、恋人のピラールが高校を卒業するまでの6ヶ月間を刑期と考えていました。ピラールにはクリスマスとイースターにしか会えません。6ヶ月間、ピラールなしで、ニューヨークで隠遁生活を送るのです。マイルズがビングの店を訪れると大歓迎されました。マイルズが失踪してから7年間文通を続けていたビングは、変わっていませんでしたが、マイルズのほうが変わっていました。ビングは、マイルズの動向をマイルズの両親に知らせていました。そういうわけで、マイルズが7年ぶりに両親に会うことを勧めてきました。マイルズは、ビングに案内されて、サンセット・パークの空家に入り、ミリーが使っていた部屋をあてがわれました。かくして、マイルズの「刑期」が始まりました。マイルズは、アリスを手伝って、買い物や食事の用意を分担することになりました。マイルズを迎えるパーティーが開かれましたが、マイルズが酒を断っていることで、若干しらけました。アリスの恋人のジェイクも来て、自分のことばかりベラベラとしゃべりました。マイルズは、父親に電話をかけましたが、イギリスに行っていて不在でした。母親の舞台が始まることを新聞で知りました。マイルズは、サンセット・パークの近辺を散歩して、大きな霊園を見つけ、墓碑を写真に撮ることを趣味として始めました。

[モリス・ヘラー]

 マイルズの父親であるモリスは、自分の会社で出版している作家の娘が自殺し、その葬儀に出るために、イギリスから1週間早く帰ってきました。娘のことを赤裸々に話す作家を見て、自分はボビーとマイルズのことをここまであけすけに語ることはできないと思いました。その後、会社の売れっ子作家のレンゾーと食事します。レンゾーは飛行機の中で観た古いハリウッド映画『我等の生涯の最良の年』の話をしました。そこに出ていた俳優が、レンゾーの父親だというのです。レンゾーの父親は母親と結婚しませんでしたが、ロケハンで乗っていたヨットの中で感染症を患って死にました。それから、モリスは自分の母親が孤独死を遂げて、数日後に死体が見つかったことを思い出しました。彼の母もレンゾーの母も、戦争の子供であり、妙に楽天的だったと思いました。モリスが出版社を始めたときに出資者になってくれた父親は早くに亡くなっていました。モリスは、一夜限りの浮気相手から性病をうつされて、それをよりによって妻のウィラにうつしてしまったことがあり、ウィラが1年間イギリスで教鞭をとることになったのも、そのせいだと思っていました。ウィラは、自分の息子のボビーと、モリスの息子のマイルズ以外に、二人の間に子供をもうけることを望みませんでした。モリスの会社は不況であり、モリスは、会社と妻を失う危機に瀕していました。マイルズが失踪して以来、モリスは探偵まで雇って探しましたが、次第に、マイルズは死んだのだと思うようになっていました。しかし、マイルズの消息がビング経由で入ってくるたびに、モリスは現地を訪れ、空缶集めのホームレスに扮装して、マイルズの動向を見つめていました。マイルズがニューヨークに戻ったことを知ったモリスは、再び、ホームレスの扮装をして、マイルズを見守ろうとしました。マイルズはボビーの死後、罪責感から野球をやめてしまいましたが、マイルズが少年野球の優秀な投手だったことから、モリスは惜しいことをしたと思っていました。マイルズが書いた優秀な読書感想文のことも思い出しました。マイルズの産みの母である女優のメアリ=リーがニューヨークで演劇に出演することになり、彼女の現在の夫であるインディペンデント映画制作者のコーンゴールドと3人で、モリスは食事を共にする約束をします。メアリ=リーは、自分の留守電に、マイルズからのメッセージが入っていたことを打ち明けました。マイルズは電話で「ごめんなさい」と言っていました。その晩、妻のウィラから消沈した電話を受けたモリスは、急遽、イギリスへ戻りました。

[マイルズ・ヘラー]

 クリスマス休暇に、未成年の恋人ピラールがフロリダからやって来て、マイルズは幸せな一時を過ごしました。ピラールはニューヨークの大学に進学することを考えていて、マイルズが空家に不法に住んでいることを心配していました。マイルズは自分の過去の秘密をピラールに打ち明けられないでいました。ピラールと結婚することになれば、マイルズは両親とも和解しなくてはなりません。マイルズは、父親と連絡がつかないので、母親に電話をかけました。

[エレン・ブライス]

 エレンは、自分の絵画のセンスを磨くために、人体をモデルに、おびただしいドローイングを描いていました。医学写真からヌード写真、エロ映画にいたるまで、自分も含めて、あらゆる裸体をモデルにして描きました。ドローイングは、しばしば未完のままで放り出されました。生きていることの奇跡を伝えたいとエレンは思っていました。ビングがエレンの絵を絶賛しました。エレンはビングにモデルになってくれるように頼み、了承されました。裸になるだけでなく、マスターベーションもしてくれるように頼むと、ビングはこころよく応じました。エレンは、ビングを自分の口の中で果てさせました。エレンは、マイルズに恋心を抱いていましたが、クリスマスにやって来たピラールを見て、諦めました。エレンは、自分の産まれなかった子供のことを考えました。人体はほかの人体なしには存在できない、人体は触れられる必要がある、とエレンは思いました。

[アリス・バーグストロム]

 アリスは、博士論文執筆の傍ら、PENアメリカン・センターで非常勤の仕事をしていました。PENは、世界中の人権状況を見張り、人権保護を訴える団体です。特に「書く自由」を標榜しています。中国の有名作家が当局に拘留された際も、妻と会えるように仕向けたのはPENでした。アリスは、恋人のジェイクとますます疎遠になり、別れが近づいていることを悟ります。アリスは、他の面々とは異なり、マイルズがほとんど自分のことを語らないのを不思議に思っていました。恋人がフロリダにいるのに、ニューヨークに来たのはなぜなのかも疑問でした。ただ、マイルズがピラールをひたすら愛していることはわかりました。自分の恋人のジェイクと比べてマイルズが大人に見えるのは、マイルズが戦争に行ったからだと、アリスは勝手に想像しました。アリスは、市の執行官から、空家に不法に住み着くのはやめるようにという退去命令書を受け取りました。

[ビング・ネイサン]

 ピラールをもてなしたことや、母の出演する演劇のチケットを高値で買ったことなどから、マイルズは懐が寂しくなっていました。ビングは、自分の店をマイルズに任せることを考えました。そうすれば、バンドのツアーにも自由に行けるようになります。ビングは、自分の現在の生きる姿勢は、高校時代からの友人であるマイルズによって作られていると思っています。かつて、二人の怒れる若者は、アメリカ式生活の偽善への軽蔑に共通の大義を見出し、反抗の価値を教え、社会が強要する無意味なゲームに加わることを拒む道もあることを周囲に説きました。ビングはマイルズを崇拝していました。マイルズが大女優のメアリ=リー・スワンの息子であるからこそ、立派な立ち居振る舞いをするのだと思っていました。マイルズがようやく両親と和解する気持ちになったことが、ビングを喜ばせました。今まで、スパイのように、マイルズと連絡を取り、マイルズの動向をマイルズの両親に伝えていたのです。ビングは、自分はマイルズに恋をしているのではないかと思いました。そのため、自分が実はゲイなのではないかと煩悶するようになります。学生時代に、マイルズの勃起した男根に興味をそそられたことを思い出しました。ビングは、アリスの恋人のジェイクを対象にして自分がゲイかどうかを確かめようと思いつきましたが、エレンのヌードモデルを買って出たことで中断しました。ビングは、マイルズから母親に会って夕食を共にすることにしたと明かされます。サンセット・パークの空家に戻ると、アリスとエレンが、市の立退き勧告書を前に、落胆しているのを見つけます。心配ない、そんな書類は来るたびに破り捨てろ、こんな空家の不法入居者に関わるほど当局も暇じゃない、警官が来るまで(来るかどうかもわからない)慌てることはない、とビングは勇気づけました。

[メアリ=リー・スワン]

 夫のサイモンが仕事で不在で、メアリ=リーはアパートメントで一人、寂しくしていました。息子のマイルズが会いに来るのを待ちわびていました。彼女は息子を取り戻したいと思っていました。マイルズがやって来て、メアリ=リーは抱きついて泣き、自分を許してほしいと言いましたが、マイルズは、悪いのは自分だと言います。メアリ=リーは、ビングからマイルズの7年間の動向について逐一報告を受けていたことは秘密にしていました。マイルズは、より良い人間となるために失踪していたと言います。でも、ニューヨークに戻ってくることになって、ゲームはもう終わりだと思ったといいます。メアリ=リーは、事故で死んだマイルズの義兄ボビーのことで、マイルズが悩み続けていることを悟ります。もう忘れるように言いますが、マイルズは無理だといいます。

[モリス・ヘラー]

 マイルズの父モリスは、イギリスへ戻って肺炎に罹り、危うく死ぬところでした。モリスの妻は、モリスを看病することで、精神的危機を脱することができました。妻のウィラは、夫の死、息子の死、義理の息子の失踪、二番目の夫の不倫、二番目の夫が肺炎で危篤になる、という度重なる苦難で、精神がボロボロになっていました。ニューヨークに戻っている間、モリスは自分の出版社が潰れかかっているにもかかわらず、誰も解雇しないと宣言しました。そして息子のマイルズに会いました。二度目は、メアリ=リーが出演する演劇を観に行くことで、メアリ=リーも交えて3人で抱擁しました。モリスは、マイルズから、義兄のボビーが交通事故で死んだのは自分のせいだ、その償いのために、自分は過酷な人生を歩むことを自分に課したと告白されました。モリスは、マイルズの現在の生活を見て、大学に戻りたがっていることを察し、文学的素養のある息子を自分の出版社の跡継ぎにしても良いと思うようになりました。サンセット・パークの空家にも招かれ、そこの住人たちを紹介されました。立ち退き命令が出ていて危ないのではないかと言いましたが、ビングが最後の最後まで動かないと宣言するので、了承しました。マイルズから恋人ピラールのことも聞かされて、マイルズが未成年に恋をするのは、マイルズ自身の精神年齢が18歳ぐらいで止まっているからではないかと思いました。モリスは、妻のウィラにマイルズの告白のことを話しました。ウィラは、マイルズは自分の息子ボビーを殺したのだと言いますが、マイルズは十分に責めを負ったのであり、もう許してもいいだろうと、モリスは説得しました。マイルズから連絡があり、恋人ピラールが試験に合格して、6月にニューヨークの大学に通うことになる、そしてマイルズも大学に復学したと聞かされました。

[アリスとエレン]

 アリスとエレンは、ビングのいないところで、度重なる立ち退き勧告にどう対処するかを話し合いました。アリスはもうすぐ博士課程を修了するのですが、大学で教鞭をとることに倦んでもいました。恋人のジェイクがゲイであることも判明し、別れは決定的になりました。エレンは、勤めている不動産屋に、客として、何と、かつて自分を妊娠させたベンが、大人になって訪れたことに驚愕しました。エレンとベンの恋愛関係が復活しました。アリスとエレンは、共同生活の実験が終焉を迎えていることに同意しました。マイルズはフロリダに戻る予定です。あと10日ぐらいで警察が来ると予測されます。ビングは残ると言い張っています。

[マイルズ・ヘラー]

 マイルズは、アリスとエレンが共同生活から抜けるつもりでいることを知ります。また、自分も、ピラールと住むように、父親のモリスがアパートメントを借りてくれることになり、引っ越しを考えています。しかし、ビングを一人にしておくわけにはいきません。そんな時、ついに警官がやって来ました。抵抗するビングに手錠をかけ、アリスを殴って階段から転落させました。怒ったマイルズは、警官の顎を殴りつけ、エレンと一緒に逃げ出しました。警官を殴ったマイルズの手は腫れていて骨折が疑われました。しかし、下手に病院に行くこともできません。エレンが公衆電話で、マイルズの父モリスに連絡を取りました。ビングは留置場に入れられており、アリスは脳震盪を起こして入院しているといいます。モリスは、情状酌量の余地があるから、マイルズに自首するように促します。マイルズは、父や恋人ピラールの期待を裏切ってしまったと悔います。そして、未来がないのに未来に期待を持つのは意味があるのだろうかと問います。これから先は、何についても希望を持つのをやめて、今だけのために、この瞬間、このつかのまの瞬間のためにだけ生きるのだ、ここにあって次の瞬間にはもうない今のために、永久になくなった今のために生きるのだ、と自分に言い聞かせるのでした。

 

 ストーリーはざっとこのようなものです。

 

 本作品の主人公は一応、マイルズ・ヘラーですが、各章で、中心人物が入れ代わり、その人物の視点で、マイルズの言動だけでなく、登場人物自身の境遇や内面が描かれています。究極の群像劇とも言えるでしょう。これは、著者オースターが得意とするメタ・フィクション(メタ・テクスト)の手法の応用とも言えます。各章の登場人物の物語が原テクストであり、作中作のような役割を果たし、それが、主人公マイルズの物語(メタ・テクスト)に包み込まれているのです。複雑な構成ですが、オースターの筆力は、スムーズな読書をサポートするように働いています。中心になる6~7人の人物については、その性格、行動パターンなどがわかるように描かれており、記憶に残るようになっています。そのため、「あれ?これは誰だったっけな?」といった戸惑いを読者が抱かずに読み進めることができます。

 2008年のリーマン・ショックで不動産価値が暴落して、ニューヨークの中心部でも、空家や廃屋が出現するようになった時代背景があります。登場人物たちの仕事や商売はいずれも下り坂が多く、サンセット・パークに住みついた4人も同様です。沈み行く日没に抗ってロウソクを灯しているような、ぎりぎりの生活が営まれています。しかし、世間は不景気とはいえ、登場する若者たちは、やはり、いつの時代も変わりなく、自分探しに没頭しています。廃屋生活のリーダー格のビングは、古道具屋と額縁修繕の店を開き、廃屋居住に人生哲学を持っており、自分がゲイなのか否かで悩んでいます。アリスは、恋人との破綻に悩み、博士論文の執筆に邁進しています。エレンは、自分の絵の才能を再発掘すべく、エロチックなヌードのドローイングに勤しんでいます。そしてマイルズは、少年時代に義理の兄を死なせてしまった罪責感に苛まれ、少女ピラールとの幸福な生活を夢見て、まるで懲役刑のような生活を送ります。義理も含めて父母4人との和解も模索しています。このように、ギリギリの生活の中でも、若者たちの生命力、未来を夢見る力は、衰えることなく、生きていると言えます。アメリカの凋落という事態における光明が、若者たちの言動から見てとれます。

 廃屋に住みつくという行動は、かつて1960年代~70年代のイタリアなどヨーロッパで広がったアウトノミア運動の影響を受けているとも考えられます。「近代的制度の中央集権化された意思決定と階層的権威構造とは対照的に、自律的な社会運動は人々が日々の生活に影響を与える決定に直接関与する。彼らの目指すところは民主主義を拡大し、外部から強制された政治構造や行動パターンから個人が抜け出すのを助長することである」というコンセプトのもと、先頃亡くなった哲学者のアントニオ・ネグリなども参加して、イタリアでは、労働運動の傍ら、中心都市の市街地の空家や廃屋に住み着くという活動が営まれました。2008年のリーマン・ショックで、アメリカ経済が破綻しかけ、最も弱い下層労働者や若者たちが生活の危機に見舞われました。それは、1960~70年代のヨーロッパと似た状況です。ビングのアイデアで始まった、サンセット・パークへの住み着きには、アウトノミア運動のような左翼的発想が潜んでいるとも考えられます。とはいえ、ビングはともかくとして、他の3人の同居人たちは、廃屋占拠に思想的背景を持っていたとは言えません。みな、個人的事情や経済事情で、住み着いたのです。アウトノミア運動における廃屋占拠にも、若者たちのサンクチュアリ形成の夢が生きていたとも考えられます。そういう意味では、本作品におけるサンセット・パークへの住み着きも、若者らしい夢のために生きるという純粋な動機が隠れていたとも言えるでしょう。実際、住み着いた4人は、自分探しの途上にあり、漠然とした夢を抱えつつも、日々の生活に追われるという青春の葛藤を抱えています。実際、リーマン・ショックの直後からは、空家に勝手に住み着いたり、退去を拒んだりする人々も数多くいたと思われます。とはいえ、若者たちによる廃屋住み着きという行動を、著者オースターが、アウトノミア運動を意識して描いたとも思われるのです。

 本作品は群像劇ですが、群像を群像のまま描くという冒険をしています。ややもすれば、各々の登場人物がバラバラになって収拾がつかなくなりそうですが、そこを、見事に、主人公マイルズに収斂させていく筆力を、著者オースターは見せつけています。