迷うことなきテクストの迷宮 | ほうしの部屋

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 ポール・オースターの長編小説『幻影の書』を読了しました。

 著者オースターについては、過去のブログで紹介しましたので、省略します。1947年生まれの、現代アメリカを代表する作家の一人です。小説以外にも、翻訳、詩作、評論など幅広く活動し、映画の脚本、監督も務めています。この映画の仕事の経験と知識が、本作品『幻影の書』に存分に生かされています。

 飛行機事故で妻子を亡くした大学教授で作家の主人公が、心の穴を埋めるために、世界中に散逸した、1920年代の無声映画時代の、失踪した、ほぼ無名ながら実力のある映画俳優の作品を観て回り、その俳優についての研究書を出版したことで、人生が思わぬ方向に進んでいきます。

 本作品は、メタ・フィクション(メタ・テクスト)の権化のような小説です。メタ・テクストの手法は、著者が得意としていますが、本作品ではこれでもかというほど出てきます。幻の俳優の映画作品、その映画群についての評論、登場人物の口で語られる俳優の後生の秘密、主人公が取り組む、革命期のフランスの政治家シャトーブリアンの回想録の翻訳、俳優が後半生に撮った誰にも見せなかった映画作品、などなど、数多のテクストがちりばめられており、それが主人公の手記(本作品)をメタ・テクストとして成立させています。極めて複雑な構成であるにも関わらず、読者はほとんどつまづくことなく読み進められます。高度な小説技法を、技に溺れることなく、さりげなく使って、読者が読み進めやすい体裁に仕上げているのは、さすがに著者オースターの構成力、筆力のなせる技だと言えます。

 

 それでは、本作品の内容を紹介します。

 

 サイレント映画時代の喜劇俳優ヘクター・マンは、1922年に失踪し、1988年の現在まで60年間行方不明になっています。私(主人公=デイヴィッド・ジンマー)は、ヘクターの映画についての研究書を出版しました。すると、ヘクター・マンの夫人と称する女性から、ヘクターが私に会いたがっているという手紙が届きます。私がヘクターの本を書いたのは、飛行機事故で突然亡くなった妻子に関する消失感と、人生の喜びを失った失望感を埋めるためでもありました。ヘクターの12本の喜劇短編作品は、世界中のフィルム・アーカイブにバラバラに送り届けられていました。散逸したヘクターの作品を観るだけでも、欧米各国を旅行するはめになりました。外国旅行の費用は、亡くなった妻の保険金でまかなわれました。ヘクターの出演作品を観て、私は、ヘクターが才能ある俳優であることを確信しました。映画を観ながら詳細なメモを取り、関連する資料を漁り、すべてのシーンの詳細まで把握しました。移動に飛行機を使うため、私は妻子の事故死以来、飛行機に乗る時のパニック症状を防ぐため、睡眠薬を大量に処方してもらっていました。ヘクターが映画で見せる姿のポイントは、口ひげと白いスーツでした。ヘクターは根っからの喜劇俳優に比べて、背が高すぎて、ハンサムすぎました。しばしば予測不能にふるまい、たがいに矛盾する衝動や欲望を抱え込んだヘクターのキャラクターは、のんびり眺めるにはあまりに複雑でした。喜劇なのに、観る者を不安にする要素がありました。ヘクターの英語にはひどいスペイン語訛りがあり、トーキー映画に出るのは困難だと思われました。『ミスター・ノーバディ』という作品を最後に、ヘクターは失踪しました。私は、ヘクターの映画についての本を9ヶ月足らずで書き上げました。私は、ニューヨークを離れ、山村に山小屋風の一軒家を購入しました。誰とも会いたくなかったからです。仕事仲間が、フランス革命期の大政治家シャトーブリアンの膨大な『回想録』の翻訳を持ちかけてきて、私は請け負いました。これでまた孤独のうちに籠もれると思いました。友人のパーティに招かれましたが、失態を演じて、嫌われ者になってしまいました。シャトーブリアンの翻訳は順調でしたが、ヘクターの妻を名乗るフリーダという女性からの手紙が、仕事を中断させました。ヘクターの生きているうちに会ってほしいと言います、ヘクターは失踪後も映画を制作していましたが、それは死後に焼却するようにヘクターが命じていました。生きているヘクターに会えば、未公開の映画作品も観ることができます。しかし、私は、このフリーダからの手紙に懐疑的でした。いたずらにも思えたのです。参考資料として集めていた、映画俳優だったころのヘクターのインタビュー記事を読み返すと、ヘクターが嘘ばかりついていることが露見しました。1920年代のアメリカで、映画産業にも台頭してきたギャングの騒動に巻き込まれてヘクターも殺されたのではないかという当時の記事が、最も信憑性がありました。私は、飲酒運転で物損事故を起こして、車の前方を大破させてしまいました。壊れた車でなんとか帰宅すると、アルマ・グルンドという女性が待っていました。ヘクターの妻フリーダの使いで来たといいます。アルマは私に食い下がり、話を聞いてほしいと言います。ヘクターは老衰で呼吸器に疾患があり、危篤状態にあり、今すぐにでも私に会ってほしいといいます。アルマは、ヘクターの映画の撮影技師だったチャーリー・グルンドの娘でした。ヘクターの伝記を書いているといいます。私の、ヘクターの映画論は、あれ以上のものは書けないほどの傑作であり、ヘクターの映画の一番の理解者だといいます。アルマは、ヘクターが住むニューメキシコまで一緒に来てほしいといいます。ヘクターの死後24時間以内に焼却されてしまう未公開の映画作品群を観てほしいといいます。その長旅の間に、ヘクターの失踪後のいきさつを語って聞かせるといいます。アルマは私を拳銃で脅しましたが、私はそれを取り上げました。しかし、そのことが話の真実味を増し、私はニューメキシコまで行く決意をしました。その晩、アルマは私のベッドに入ってきました。アルマは美しい女性でしたが、片側の頬に大きな痣がありました。アルマはそのことで思春期から悩んでいましたが、ナサニエル・ホーソーンの短編『あざ』を読んで救われたといいます。科学者によって痣が消された主人公は死にます。痣こそが主人公の人格を作っていたのです。この小説から、アルマは痣とともに生きる決意をしたといいます。ニューメキシコまでのフライト、そしてヘクターの住む砂漠の中の家に向かう車中で、アルマは私に、ヘクターの失踪後の話を聞かせました。女癖の悪かったヘクターは、結婚を約束した恋人ブリジットを裏切って、有名女優と婚約します。妊娠していたブリジットとヘクターの婚約者の女優が言い争いになって、拳銃が暴発し、ブリジットを殺してしまいます。その遺体を山中に埋めて、ヘクターは逃げました。ブリジットの遺体は白骨化して1980年代に見つかりましたが、身元不明として処理されました。しかし、ブリジットが死んだ当時のヘクターは、捕まることを恐れて逃げ続けました。ヘクターは地方都市を巡り、日雇いなどの賃仕事で食いつなぎました。ひょんなことから、死んだブリジットの実家のスポーツ用品店で身分を隠して働くようになり、信頼を得て、店の運営を任されるまでになりました。ブリジットの父は、警察だけでなく探偵にまで依頼してブリジットの消息を追っていましたが、かんばしい報告はありませんでした。ブリジットの妹ノーラがヘクターのスペイン語訛りを矯正してくれました。しかし、ノーラがヘクターとの結婚を望んでいると聞かされて、ヘクターは自分には実は妻がいると嘘をついて逃げ出しました。拳銃自殺を企てて死にきれなかったヘクターは、娼婦のシルヴィアと組んで、自分たちのセックスを金持ち連中に見物させるビジネスで稼ぎました。客の前で、ヘクターは顔がばれないように仮面をつけてシルヴィアと交わりました。ところが、シルヴィアがヘクターの素性を知り、自分の取り分を増やそうとしてヘクターを脅したため、パートナーシップは崩れてしまいました。ヘクターは再び逃避行に出ました。ある街の銀行で並んでいると、銀行強盗が押し入ってきて、女性を人質に取りました。ヘクターは死ぬつもりで、強盗に飛びかかり、拳銃で撃たれました。ヘクターが救った人質の女性が、フリーダだったのです。ヘクターは片肺を摘出するほどの重傷でしたが、フリーダの献身的な看病もあり、一命をとりとめました。フリーダは、過去に観た短編映画の記憶があり、ヘクターの素性を知っていました。ヘクターとフリーダは結婚しました。新婚旅行で訪れたニューメキシコの砂漠地帯に土地を買い、家を建て、植物園を造りました。フリーダは挿絵画家としての仕事などで稼ぎ、ヘクターは、本を読み、日記をつけ、植物の世話をして過ごしました。フリーダの母が亡くなって莫大な遺産をフリーダが相続したことから、ヘクターは映画制作をする計画を立てるようになりました。ヘクター夫妻に生まれた子供がハチに刺されてアレルギーで死んだショックからヘクターを救うために、フリーダが映画制作を持ちかけたのでした。砂漠に撮影所を建造し、地元の住民やハリウッドで食いっぱぐれた俳優を呼んで、映画を撮影しました。撮影技師だったアルマの父も仕事に加わりました。アルマの母は美しい女優として出演しました。しかし、この映画群は決して公開されることのない、誰にも見せない映画でした。アルマによると、ヘクターの映画は、ヘクターの死後24時間以内に燃やすように言われており、90分以上の長編11本、1時間以内の作品が3本あるといいます。アルマは、ヘクターの映画が失われることを防ぐため、ヘクターがハリウッドで現役だったころの無声映画群を、欧米各地のフィルム・アーカイブに送りつけました。それを観て、ヘクターの映画論を書いたのが私だったわけです。そういうわけで、アルマは、私のことを一緒に仕事してきたパートナーのようなものだといいます。アルマも、ヘクターの死後に出版する約束で、ヘクターの伝記を書いていました。内容の多くは、ニューメキシコに至る二人の旅程でアルマが私に話したことを含んでいました。ヘクターの家に着いた私は、フリーダに招かれて、ヘクターに会うように言われます。病床のヘクターは肺炎で、生きているのがやっとの状態でした。ヘクターは、私の書いたヘクターの映画論を褒め、私に未公開の自分の映画作品を観てくれるように頼みました。フリーダに言われて、短い面会時間でした。その晩に、ヘクターは亡くなりました。その間、アルマと私はアルマのベッドで愛し合っていました。朝、アルマに起こされて、フリーダの気が変わって、ヘクターの映画作品は数時間内にも燃やされてしまうかもしれないと言います。慌てて支度した私は、アルマが上映準備した、一本の作品のみをようやく観ることができました。執筆中の作品について脳内で造った女性が現実に現われ、作品の完成とともに死んでしまい、作品を燃やすと生き返るという、作家の幻覚の話で、よくできた映像作品でした。観られたのはその一本だけで、あとは、フリーダによって燃やされてしまいました。フリーダは私を追い出そうとしていました。フリーダにとって私はあくまでもよそ者でしかありませんでした。フリーダは、ヘクターとの思い出を家族だけ、いや二人だけの秘密として燃やしてしまいたかったのです。フリーダの私に対する扱いに、アルマは激怒していました。ヘクターの作品群が燃やされる数時間の間、アルマの部屋に籠もった私は、ヘクターの日記を読みました。それはアルマが私に語り聞かせた内容を裏付けるものでした。私は、アルマに、私の家で一緒に住んで、二人で執筆活動をしようと約束し、ニューメキシコから帰りました。家に戻った私は、アルマがいなくて寂しかったのですが、翻訳の仕事に没頭しようとしました。アルマと私は電話やファックスで連絡を取り合いました。ところが、5日目の晩、アルマからの電話がかかってこず、長いファックスが送られてきました。なんと、フリーダはアルマの書いていたヘクターの伝記の原稿を燃やしたのです。コンピュータのデータも壊されていました。怒りにかられてアルマがフリーダを突き飛ばすと、フリーダは頭を打って死んでしまいました。アルマは絶望して、大量の睡眠薬を飲んで自殺してしまいました。私は、アルマの埋葬された墓碑銘に「著述家」という肩書きを加えました。ニューメキシコから戻って、11年が経ち、私は一連の出来事を誰にも話さずに過ごしてきましたが、心臓麻痺で倒れて、自分の余命も限られていると悟り、ここに文章化することを決意しました。この本は、私の死後に出版されることになっています。

 

 ストーリーはざっとこのようなものです。

 

 著者オースターは、映画の脚本や監督を担当したこともあり、映画業界に深く関わってきました。その経験や知識が、本作品にはふんだんに盛り込まれています。撮影テクニックや演出など、現場を知らない者にはなかなか書けないことが盛り込まれています。かといって、映画産業の内実を明かすような浮薄な展開にはならず、文学的に奥行きのある方向へ話が進んでいくので、深い思索を促します。

 ヘクターの映像作品に関する評論、アルマが語るヘクターの後半生、ヘクターの誰にも見せないつもりの映画など、1章まるまるが、原テクストになっているような場合もあり、その内容や台詞の一部などが、主人公など登場人物たちの言動にも関連してきます。極めて複雑な構成を取っていることが客観的にはわかりますが、難解さは皆無です。読者は、普通に読み進めていくことができます。そして、人生の皮肉、人生の深遠な秘密、波瀾万丈な生涯などを、追体験することになります。この構成の見事さが、著者オースターの作家としての偉大さの証だと言えます。難しいことを難しく書くのは容易ですが、難しいことをわかりやすく表現することは非常に大変です。オースターは、構成(プロット)の段階で、何度も練り直しをして綿密に物語を織り上げています。文学的実験に触れるスリルを味わいながら、普通の小説を読む愉しみも与えてくれるという、名作を完成させています。

 ポール・オースターという作家の技量、懐の深さが存分に味わえる作品と言えます。2002年に刊行されたこの作品は、オースターの円熟をうかがわせる傑作と言えます。