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国産材で家を建てる住宅メーカー

国産材にこだわる日本で一番小さな住宅メーカーです。

今年も、暮の風物詩である子供餅つき大会が、人形町の大通りで先日開かれました。


今年で何と、40周年だそうです。


そんな理由からか、今年は、私どものテントの近くで交通少年楽器隊の演奏やら日本橋中学校の鼓笛隊の演奏、人形町太鼓などずいぶんとにぎやかでした。


日本橋消防署の方々も各町会のテントを廻り、それぞれ自慢おうどんをご馳走になっていました。


私が、蛎殻町の町会にお世話になり、もう15年近くになります。


距離にしたら、ほんの2~3キロしか離れていない、深川とは、まるっきり違います。


隅田川ひとつ離れた場所ですが、お祭りや様々な催しも違います。


下町には、違いませんが、深川と日本橋では、全然違うのです。


日本橋といっても、私どもの住んでいる蛎殻町と室町では全然ちがいます。神社の管轄も様々です。


私どもは、神田神社の氏子ですが、少し離れた同じ日本橋人形町でも銀杏八万や松島神社など細かく分かれています。


二年に一度の例大祭では、三社合同で行なっています。


少し離れた、日本橋(本物の?橋です)を渡れば、そこは赤坂の日枝神社の管轄となり、神田のみこしも日枝のみこしも日本橋の真ん中でUターンします。


そして、天下まつりと言われる二社は交代で例大祭を行なうため、ぶつかる事はありません。


再来年は、私どもが「当番町会」となり、私の家の前にみこしが並ぶそうです。


いままで経験した事が、ありませんので今から楽しみです。


これから、神輿好きの人々はちょっとお休みです。


それでも、この餅つきが終わると、今年も一年無事に終わってよかったと思える

行事なのです。


今年は、ついたお餅をあんこもきなこもつけてもらわずに、事務所でお雑煮にして美味しくいただきました。


ありがたい事です。





昨日は、お不動様(成田山 新勝寺 深川別院)の縁日でした。


28日は、お不動様、1日、15日は富岡八幡宮の縁日で月に3日は、縁日がある東京でも珍しい場所です。


この縁日は、門前仲町の名前のとおり、富岡八幡宮や深川不動尊の門前にちなんでと思われる方も多いかと存じ上げます。


さもありなん、この門前は、江戸時代に「永代寺」というお寺があり、その別当として八幡宮があり、成田山の出開帳として永代寺が使われたにすぎなかったそうです。


その後、時代は明治になり、永代寺は神仏分離令により廃寺となりました。


その敷地は、今の深川公園だそうです。


その後境内だったところに、明治11年に現在の場所に成田不動尊の分霊をおまつりし、「深川不動堂」として存続する事が認められたそうです。


明治14年に本堂が、完成したのですが、この深川は関東大震災や東京大空襲で一面焼け野原になり焼失しましたが、ご本尊だけは焼失を免れたそうです。


その永代寺も、その後、認められ今のお不動様の参道にあります。


色々、ありがたいこの地で育った私は、縁日がとても小さいころから楽しみでした。


冬になれば、お酉様の縁日も立ち、クリスマスとは全く無縁のこの深川もとてもにぎやかです。


もうお酉様は、終わってしまいましたが、これから年末から正月にかけてもにぎやかに成ります。


あと、ひと月あまりで今年も終わります。


有終の美を飾るべく今年ももう一踏ん張りです。




あれだけ、大きな台風が3つも来ましたが、ようやく一雨ごとに寒くなってまいりました。


隣の富岡八幡宮では、お酉様の飾りつけもあり、七五三とともにかなりにぎやかになってまいりました。


今年は、11/4が一の酉で12日ごとにくるお酉様は、今年は三の酉まであります。


十二支のひとつである「酉」は、しゅう:「ちぢむ」の意味で、果実が成熟の極限に達した状態を表しているとされます。


後に、覚え易くするために動物の鳥が当てはめられました。


十二支は、それぞれ意味があります。


また、色々なところにもその意味合いは、表されます。


たとえば「午(うま)」です。


時間表示では、午の前が「午前」であり午の後が「午後」といいます。


また、午は南を表し、子(ね)は北を表します。午と子を結んだものが「子午線(しごせん)」です。


このように、十二支は方位を表すとともに時間を表す単位でもあります。


また、この十二支に十干(じっかん)をともに表すと年齢にもなります。


この十干と十二支を足したものが干支(えと)に成るのです。


そして十干十二支は60で一回りです。暦が還ると書きますが、「還暦(かんれき)」です。


このように、様々なところで暦は、日本人と結びついて来ました。


それはそうです、ついこの間まで、日本人の所得層の多くは「百姓」だったのです。


いまや、百姓が給与所得者となりましたが、何百年と続いた習慣は、なかなか代わらないものです。


私は、暦を読むのが大好きですが、そんな習慣も神社の隣に居ると色々と情報を与えてくれます。