人は〇〇したものを見る | 中川賢太郎のブログ

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自分的に気づいたことを書いてます♪

昨日はGW恒例の山菜採りに行ってきたのだ!

 

二年前に思いつきで行ったんだけど

 

宝探しみたいで楽しすぎて

 

それからはGWの時期には必ず行っております

 

 

 

 

 

ニヤついて笑っております

暖かくなってきて山にも変質者が出るようになりました笑

 

 

 

山菜採りってなんか歩きやすい山道を歩いて

 

「あ、見つけた♪」

 

みたいなポップなイメージを持っている人もいるかもしれないけど…

 

 

 

 

 

 

 

実際は

 

こんなスギちゃん顔負けのこんなワイルドな斜面を

 

薮をかき分けながら採るのだ

 

写真で臨場感伝わるかな

 

 

 

 

見つけた!

 

 

 

 

 

もう三回目だからかなり手馴れたもので

 

少ない労力でたくさん採れるようになったけど

 

一回目に行った時はめちゃくちゃ疲れた割にそんなに採れなかったのね

 

 

 

 

 

 

その大きな違いというのが

 

山菜を具体的にイメージ出来ているかいなかったかの違いだと思う

 

 

 

 

 

 

 

今では「何を見つけようとしているか」が映像ではっきりしているので

 

その影響でぼくの中の山菜センサーが磨かれて

 

微妙に遠くにあるものや

 

背景の草木にカモフラージュされていても

 

ピンと来てすぐに見つけることが出来るようになった

 

 

 

 

 

 

だけど初めてのときは

 

どれが山菜なのか全然分かっていなかったから

 

っていうか何をみても山菜に見えたし

 

もしその場に生えていたとしても華麗にスルーをしていたんだろーね

 

 

 

 

 

 

けどこういう経験ってあなたもあるよね?

 

例えば

 

「この車ほしいなー」って思っていたら、頭の中に描いていた車ばかりが目についたり

 

「このブランドのカバンがほしいなー」って思ったら、やたらそのブランドが目に入ってくることってない?

 

 

 

 

 

 

 

人は意識しているものを見つけるようになっているもので

 

それは車やカバンや山菜とかモノの場合もあるけど

 

チャンスや豊かさみたいに目に見えないものも意識することで感覚が磨かれるし

 

感じるアンテナも磨かれて情報をキャッチできるようになる

 

 

 

 

 

 

だけど

 

それは「何を見つけようとしているか」がどれだけはっきりしているかによって

 

確率とか頻度が全然変わってくるものだよね

 

 

 

 

 

 

「なんとなーく、ほしいなー」って思っていても普段から意識していないと

 

いつでもそこに来てあるのに華麗にスルーしてしまうもの

 

 

 

 

 

 

 

あなたは普段何に意識を向けているでしょーか?

 

 

 

 

中川賢太郎