未来に対する不安が魂の喜びを妨げる | 南青山えこ ブログ

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おはようございます!石毛紀代子(えこ)です。

『得意な事をして、人の役にたつ』と、魂が喜ぶというお話をさせていただき、その理由をいくつか解説してきました。

人の役に立つ事は、人の本能であり、使命であり、生きる目的なんですね。
だから、人の役にたつと、人は感情的に嬉しくなります。
どんな人も、人の役にたつと、幸せに包まれます。

けれど、駅前などでたまに見る募金活動など、人の役に立てる機会に出逢っても、人は、必ずしも行動する事ができません。

それは、未来に対する不安が強いからです。

もしも、未来に対する不安が弱ければ、募金活動に100円支払うことなんて、何も考えずにできます。

それで、「ありがとうございます!」なんて、言ってもらえたら、嬉しいですよ!

好きな事をして、人から喜ばれている。そういう感覚を取り戻せます。
未来に対する不安が弱ければ、人は、幸せになれる機会をたくさん得られるんですね。

明治維新よりも前の日本では、人の役にたつ事が幸せの源だという認識が、広く普及していました。
未来に対する不安は、200年後の今よりも、ずっと少なかったと思います。

だから、物を独り占めしたりする人や、我欲に走る人の事を、普通に軽蔑していました。
「あの人は、我になってる。恥ずかしい。」
そういう感覚を、みんなが共有していました。

恥ずかしいという言い方をしていますが、今の感覚とは、少しだけ違います。

詳しく解説すると、
「この人は、我欲に目がくらんでしまっている。
それは、天に対して、恥ずかしい行為だけれど、そうせざるを得ないんだ。
可哀想。病気か苦しみに囚われている状態なんだ。早く良くなるといいね。」
こういう感じです。

我欲=病気
見栄を張る=何かに取り憑かれて、本来の自分が見えなくなっている
独り占めする=心が貧しい可哀想な人

そういう価値観を、昔の日本人は、持っていたんです。
私は、昔の日本人を、本当に尊敬しています。かっこいい!と思います。

今の社会に未来への不安がもっと少なくなり、
私たちが日本人のアイデンティティーを取り戻せたら、必ず、昔の感覚が戻ってきます。

だから、私は、多くの人に、日本人のアイデンティティーを取り戻してもらいたい!と強く思っています。


この続きはまた来週!!ヾ(@⌒▽⌒@)ノ☆