1.城下町 岩槻
2022年4月17日
少し曇っている。
さいたま市岩槻区をサイクリングで散策する。
先ずは、「岩槻城址公園」に向かう。
岩槻城は室町時代の末(15世紀中頃)に築かれたと言われている。
扇谷上杉氏と古河公方足利氏の領地の境目に築かれた最前線の城として活用されたり、
豊臣秀吉による小田原討伐で落城、江戸時代には、江戸北方面の守りの要衝となっていた。
城の裏門が残っている。
城内での位置は分かっていないが、1770年に修造され、1823年に修理されたことは分かっている。
廃藩置県に伴う廃城で民間に払い下げられたが、大切に保存していた有山氏という民間人から
寄贈され、この場所に移築されたという。
公園内は菖蒲池があり、朱塗りの八ツ橋が周りの緑の木々とコントラストをなしており鮮やかだ。
また、起伏も多く、岩槻城の土塁が現存している。
春は約600本の桜が咲き、県内でも有数の桜の名所であるようだ。
続いて、「時の鐘」を見に行く。
1671年に当時の岩槻城主阿部正春が渋江口に設置した。
鐘は、叩きすぎたのか、1720年にひびが入り、改鋳したのが現在の鐘らしい。
鎌倉時代から岩槻は交通の要衝にあたり町場が形成された。
室町時代になり岩槻城が築城されて以降、城を中心とした都市が形成され、
城下町として発展していった。
江戸時代には「日光御成街道」として整備され、城下町は宿場町にもなった。
色々と、歴史の勉強をし、腹が減った。
スタンダードな「ラーメン」を注文。
雪化粧のように背脂が降りかかっており、うどんのようなコシのある太麺のちぢれ麺が特徴だ。
普通はラーメンに使わない、強力粉を使っているようだ。
スープは豚骨、鳥ガラを12時間炊いて、煮干し出汁を合わせたWスープとの事。
チャーシューは薄切りだが、脂身多めトロトロ食感。
刻み玉ねぎがさっぱり感を出してくれ、コリコリきくらげも良いアクセントになっている。
ガッツリ、満足の一杯だった。
2.人形の町 岩槻
岩槻駅方面に戻る。
「時の鐘」のすぐ近くに、「さいたま市岩槻人形博物館」がある。
岩槻で一番有名なのは「人形づくり」だ。
江戸時代に、日光東照宮の工匠たちの一部が、
日光御成道の宿場町だった岩槻で人形づくりを手がけたのが始まりと言われている。
また、岩槻周辺は昔から桐の産地だった。
箪笥や下駄などの桐細工の際に出る桐の粉を糊で練り固め、水でといた顔料を塗り、人形が作られた。
土に比べ精巧に作ることができ、量産にも適していたため、代表的な地場産業として発展したのだ。
因みに「その着せ替え人形は恋をする」というアニメは岩槻が舞台で、
主人公の五条新菜が住むモデルとなる人形店は、岩槻にあり、聖地巡礼の地になっているという。
「さいたま市岩槻人形博物館」は2020年に開館したもので新しく、
周りの敷地内は綺麗に整備されており、「にぎわい交流館 いわつき」にはカフェや物産売り場もある。
3.児玉南柯と太田道灌
「岩槻藩遷喬館」は、寛政11年(1799年)に、岩槻藩に仕えていた儒者・児玉南柯(こだま なんか)
が開いた私塾で後に藩校となった。埼玉県内では唯一現存する藩校の建物である。
中に入れる。15畳と9畳からなる二間続きになっており、教場として使用された。
児玉南柯という人物は、「岩槻に過ぎたるものが二つある 児玉南珂と時の鐘」と言われたようで、この遷喬館で人材育成に情熱を注ぎ、多くの人々から慕われたのだろう。
元岩槻警察署を利用した「さいたま市岩槻郷土資料館」に立ち寄り、岩槻の歴史を学んだ後、
「太田道灌」はあまり知らない方も多いかと思うが、「江戸城」を元々、築城した人物として有名である。
15世紀の中頃に関東一円で活躍し、三十数度戦って負け知らずの名将であると同時に、
漢詩や和歌の道にも優れた教養人で、江戸時代は「文武両道の鑑」と称えられたという。
関東一円には道灌が関係した神社仏閣や銅像も多数あるようで、この「法林寺」はそのうちの一つだ。
お墓と違い「霊廟」なのでここには遺骨は埋葬されていない。
4.感想
岩槻区はさいたま市10区の中で一番、面積が大きく、南北に長いが、本ブログで紹介した
歴史的名所は岩槻駅周辺に集中している。
大宮と春日部のほぼ真ん中に位置しているので、どちらかに用事がある際には、
立ち寄ってみるのもいいかもしれない。
また、アニメ好きは「その着せ替え人形は恋をする」の聖地巡礼をしてみるのもいいだろう。
ラーメンマニアの方は「東岩槻駅」の近くにある、「オランダ軒」はご存じかもしれない。
いつも行列が出来ていて、待ち時間が平均で2時間だという。
いつの日か、長い待ち時間を乗り越え、「長岡生姜醤油ラーメン」を食べてみるのが夢だ。