ぼくは何を諦めていたのだろうか | ホタコンランド

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テーマはバラバラですが、基本的に酔っ払って書いてます。翌日になって自分でも新鮮な気持ちで読み返すのが楽しいです。
仕事や仕事以外のお金にならない活動にたくさんの時間を割いているので、そんなお話を書いていきます。

ランドマークという講座を受けた

4か月くらいで9回のコース

zoomで学ぶ150分程度

 

その中で、ぼく自身が人生の中で諦めていたことがらについて考えることを薦められた

そして、それは、自分自身が気づいてなかったことがらについて発見するというものだった。

 

ぼくは比較的、人を許せる方の性格だと思う。

廻りの人が何といおうとそれはそれで、物いうヒトも言われるヒトも受け入れることが美徳だ。

 

それなのに、縁切りしてしまう場面が訪れる。

 

そんな会話をしている時に、考えさせられた。

 

廻りに迷惑をかけて、みんなから距離を置かれている人がいたけど、

ぼくはその人を否定したくなかった。

本当はみんなと仲良くなって欲しかった。

 

廻りの意見は違った。

あの人と一緒にいることでぼくの価値も下がるとか、

あの人と一緒にいることでぼくの人間関係も変わってしまうとか、

あの人と一緒にいることで廻りの人にも迷惑がかかるとか、、、

 

確かにそうだと思った。

だから一緒にいることを辞めた。

 

だけど、それこそが、ぼくの諦めだった。

しょうがないという言葉で説明していたけど、

確かに諦めだったことに気づいた。

 

ランドマークのスキームとしては、その諦めがいけないと否定している訳ではない。

寧ろ、その出来事を承認することで、新しい可能性を見つけて欲しいと言われる。

 

僕は確かに諦めていた。

ぼくが信頼したい廻りの人たちの言葉を大切にして、一人の嫌われ者との縁が切れた。

 

ぼくは、どうなることを一番の理想としていたのだろうか。

こんな時、ぼくに出来ることの至上の言動は何だったのだろうか。

 

思い出した。

 

小学校の中学年の時に、学年の嫌われ者がみんなから追いかけられていた。

廊下を走って逃げる嫌われ者を庇う自分がいた。

それは夢の中で起こった出来事だった。

 

そんな奴、厄介者だと思われて仕方ないだろうな。

でも、それがぼくだとしたら、ぼくの諦めはそこにあるのだろう。

 

さてはて、どう生きていくのがぼくらしさのだろうか。。。