ホタコンブログ

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ホタコンという屋号で個人経営を始めたのは、義理の父親から引き継いだ土建業が始まり。
山田コンクリート工業株式会社は名古屋市東区で2代続いた土木施工業者だった。

久屋大通周辺の自転車駐輪に関するアンケート[名古屋市政アンケート] 久屋大通周辺の自転車駐輪について「3つ」のご質問です。集計結果は名古屋市の9月議会資料として提出させていただきます。リンクdocs.google.com


【会場周辺の自転車駐輪に関するアンケートのお願い】

大会会場エディオン久屋広場の周辺、久屋大通公園の自転車駐輪に関するアンケートです!

30秒ほどで終わる簡単なものなのでぜひご協力をお願いします!

#RTキャンペーン
#拡散希望

井上陽水と玉置浩二のデュエット

夏の終わりのハーモニー


名曲だけど、意外と歌詞について深く触れている投稿が少ない


僕の個人的な解釈では

これは恋人の別れの歌ではない気がする


恋人から夫婦になる感じの方があってる


一夏の恋は刹那的で

夏の夜空は自由すぎて

価値観の違いを一気に飲み込んでしまう


恋は刺激的だから

夫婦のマンネリは避けられない

だけど、あの夏の思い出を

忘れたくない


他人同士だから

ぼくたちは美しく調和する


夜空

あこがれ


ああ

生きることの喜び

出会ったことへの畏怖

このご時世だけど

このご時世だからこそ

お笑いライブには価値がある

 

今日、

名古屋の伏見の地下街は

人も疎らで飲み屋さんも殆ど閉まった状態だった

 

新しい飲み屋街だったはずなのに

シャッター街と変わらない景色

 

この芸人さんは毎日ライブ配信している

毎日欠かさず、一日に何度も

 

だけど、リアルライブをナゴヤで開催するのは久しぶり

 

本当は逆だよね

リアルでしか見れないのがライブだった

遠くにいたらライブじゃなかった

その場にいるのがライブ

 

会場にいる人たちは遠慮しながら笑ってた

マスク越しに笑ってた

 

ぼくはもっとちゃんと笑えって思ってた

 

現場の相棒 塩ビタミンゼリー

 

 

ゼリーという駄菓子

だがしかし

侮ってはいけません

塩分補給を目的にしたゼリーが存在するのです。

 

特徴は、

美味しい

一口サイズ

塩分とマルチビタミンを同時に補給

食べやすい

瞬間チャージ

冷やしても凍らせても美味しい

 

これからは、ゼリーな世の中になりそう。

どうですか??そう思いませんか?

 

 

あなたはゼリー派?プリン派?

▼本日限定!ブログスタンプ

あなたもスタンプをGETしよう

今日、個人と会社で口座を持っていた銀行との取引を解約した。

その銀行のホスピタリティの低さに辟易したのだ。

その銀行は、効率化、合理化を求めているのだろうけど、人間同士の会話としては全く成立してない酷い状況だった。

 

何がって、その銀行は僕の地元の企業や個人なら8割以上がお付き合いのある銀行だと思う。銀行取引は、例えば、企業にとって取引手数料の関係上、大手との付き合いがあった方が目先のメリットを享受しやすい。

そこに甘んじているのか、その某銀行がシステマティックに業務を効率化しているのをひしひしと感じてしまった。

間違いなく大手企業や組織にに求められてるのは作業の効率化とオートメーションだ。だけども、イレギュラーに対する対応力が低ければそれは真の意味での効率化とはいえない。

特に、銀行は安売り競争をしている業界ではないのだから、顧客側はそこまで深読みせずに口座を開設して利用している。高利貸しとしての銀行に対する国の補助もまだまだ健在である。銀行が潰れる時代があって世間を賑わせていたけど、一時の話。今でも銀行は国策にとって重要なポジションにある。

それこそ利用者の9割以上が何も疑問を持たずに銀行口座を開設しているのであれば、その銀行のルールに従うこと自体が当たり前の行動に仕組まれてしまう。

だがしかし、民意を蔑ろにしては続かない。人々は急速に情報を得られるようになってきている。

合理主義も資本主義もいよいよ不具合を指摘され始めている。人類は今、土の時代から風の時代へとシフトし始めた。

人間はロボットとは違う。イレギュラーだ。感情や感覚で判断している。それを蔑ろにしているのが大手企業の戦略になってしまった。

マスの時代の終焉をぼくは感じている。

 

具体的なぼくの体験を記述する。

某銀行との体験談である。

 

前から疑問を感じる点は多々あった。

例えば、だいぶ前にネットバンキングの解約をしようとした時に不具合があった。

窓口に足を運んで、ネットバンキングを解約したいと申し出た。

窓口では、ネットバンキングは管轄が違うので対応が出来ないという回答をされた。ネットバンキングの対応窓口に電話で連絡して解約の意志を伝えてくれと。。

ビックリした。顧客からしてみたら同じ銀行なのに、銀行の窓口で対応してもらえない理屈がわからない。

でも仕方ない。その銀行の仕組みでネットバンキングの解約が地域の窓口で対応できないのであれば、ネットバンキングの対応窓口に問い合わせるしかしょうがない。窓口にいる人に何の過失もないのは明白だし。

僕はネットバンキングの解約の意志を某銀行が提示する適切なネットバンキング窓口に伝えた。すると、解約に必要な書類が届いた。解約する取引番号と銀行印を押して送りつけた。すると、2週間ほどして封筒に入った書類が返送されてきた。そこには、銀行印が異なるので正しい銀行印を押して送りなおすようにと書かれていた。こちらのミスだと思い、正しいと思われる銀行印を押して送りなおした。さらに2週間ほどして、返ってきた封筒には、その銀行印も異なるものだと書かれていた。僕自身、どの印鑑で契約したのか覚えがなかったのでこのやり取りを繰り返すしかないのだと覚悟した。

ただ、このやり取りをしながらも、毎月契約料を払っている状況は変わらなかった。

実は、このやり取りを3,4回繰り返したぼくは、ネットバンキングを使わない状態で何年も無駄銭を払い続けた。解約の術を見いだせなかったからだ。

 

数年経って、ぼくは、すでにその銀行口座を利用することはなくなっていた。放置していたわけだが、定期的な銀行引き落とし契約が残っていたようだ。毎月の支払が自動的に行われていて、ぼくの銀行口座の残高は底をついていた。ぼくがどこで同意したかわからないけど、自動的にローンで10万円の貸付が行われていた。銀行口座の残高が0を下回った時点で切り替えらていたのだ。

このことがわかったのは、催告書というものが送り付けられてからである。ローン会社が提示する日時までに3万円払わなければ、法的処置をするという文面が送り付けられてきた。

とりあえず、その文面を解釈して他行から支払い手続きをした。

指定口座に振込手続きをした。

よくわからないけど、数時間して、振込がエラーになったと連絡がきた。

 

振り込めといわれて振り込めない理屈もわからないけれど、とりあえず、振り込むべき銀行の窓口にいくのが解決するのに一番手っ取り早い方法だと思った。

そして、ぼくは催告書を送ってきた銀行に直接向かった。

 

その銀行はコロナ禍ということで、顧客の動線に気を使っていた。ATM利用の顧客の動線を確保して、窓口に向かう顧客の動線にはシャッターやロープで区画して、窓口に入る手前でマスクの着用を促したり、検温したり、消毒させたりしてた。昨今のコロナ対策としてはよくある光景である。窓口に行く前にアテンドするオバサン。ご用件を伺います。と。

催告書を見せて、この口座に振り込めと書かれているけど他行の窓口で振込みしてもはじかれた。と経緯を説明した。

受付のオバサンは窓口では手数料がかかるからATMで対応すると言った。実は、すでに一度自分でATMで手続きしてはじかれていたのだが、一緒に操作しましょうと、ATMで操作に付き合ってくれた。結果、エラー。

お調べしますと窓口の手前で、待たされた。

しばらくして、オバサンが催告書を見せながら、振込みする前にこの電話番号に連絡するように書かれているので、アナタが連絡してからATMで入金してくれと言ってきた。

この時点で、15時をまわった銀行は、窓口への入り口を締め始めていた。

ぼくは、これでATM手続きが不可能だったら窓口に戻って行けないが、本当に大丈夫かと念を押した。

オバサンは、ATMで手続きが出来なければ窓口でも対応できないと言ってぼくを追い出した。

 

窓口から追い出されたぼくは、催告書にある連絡先にその場で電話した。今から振り込みたいのだが、銀行にいて窓口で対応できないと言われて、指定の口座に入金するにはどうしたらいいか、と聞いた。

回答に驚いた。

 

ATMでは対応できません。窓口で対応します。

はぁ?

言ってること全く真逆じゃないか。

シャッター閉まっちゃってるよ。

窓口で確認してATMに行けと言われて、確認の電話でATMでは対応できないから窓口に行けって。何が起こってるのか全く理解出来ない。

電話のオペレーターとの会話。
いま、銀行の窓口がそこにあって、シャッター閉められてるけど、この支店に連絡して対応してもらえないかな?ATMで対応できるって言ったオバサン間違ってたなら窓口対応してもらうのが筋じゃんね。

返ってきた答え。

今すぐには対応しかねるので改めてご案内差し上げます。

え?今日は帰れって言ってるの?

申し訳ございません。後日の対応となります。

オウオウオウ、イテマウゾコラー!!!って、

セックスマシンガンズのファミレスボンバーが脳裏に流れる。

 

ホント、あかん、おれは誰と会話しているのかよくわからんくなってきた。

窓口手前の関所のオバサンも電話先のオペレーターも全くもってゴールに連れて行ってくれない。

ぼくだって、それなりに時間に価値があって、数時間を無駄に使うことは企業活動でのコスト計算が必須なの。なにこの時間。。

 

いつも穏やかに誰かを問い詰めたり攻撃したりしない性格のぼくも、この案件については、ちょっと怒ってしまった。

 

お金を払えと言われて払いにいったら受け付けてもらえない。

どうしたらいいの?その答えが全く出てこない。

何がしたいの?

 

お調べしますの某銀行から翌日電話がきた。

 

大変失礼しました。対応した女性とはまだ連絡とれていませんが、

お客様のおっしゃる内容で相違ないと思います。

などと前置きしながら、要所要所で変な含み笑いをする女。

クレーム対応で笑っちゃってるんだね。

人間としての価値が低すぎる。

どうでもいいけど。

 

この銀行とお付き合いする気が全く失せてしまったので、

催告書の案件と同時に銀行口座の解約の意志を伝えた。

 

手続きのために銀行に行く。

そう伝えたら、待ち時間がかかるので窓口の予約ができますと案内された。ネットで予約も出来るし、支店に直接電話で予約も可能です。

じゃあ、この電話で予約してもいいの?って聞いた。

可能です。HAHAHA。最初からそれでいいよね。

明日の14時に予約できますか?

14時の空きはあるのですが、解約手続きに時間がかかるので、その後の予約の対応が出来なくなるので明日は無理です。

じゃあ、いつならいいの?

来週ならお時間作れそうです。

あのね、催告書で3万払えって期日付きで脅されてるのよ。こっちは。

それがすぐに対応できないってのは理屈がおかしいでしょ?

そういったら、明日、ご来店していただいても大丈夫です。って即答。

今回はクレーム対応として特別に処理させてくれるんだって。その会話の流れが失礼千万ですわ。

しかも、このやり取り自体が無駄な時間だったよね。

 

翌日銀行に出向いて、手続き対応したのは、前述のオバサンでも電話のオペレーターでもない担当者。そんな人に失礼しましたって謝罪されてもしょうがないよね。不手際で不快な思いさせた人間がどこにいったのかもわからない。

ぼく経営者。そんな程度の低い従業員かかえてたら絶叫しちゃうよ。

 

解約手続きに2時間くらいの時間をお付き合いさせていただきました。

 

その翌日。

158円の利息をお渡ししたいのですが、取りに来ていただくかこちらから御社へお届けさせていただきたいのですが、、、

いらない。募金にでも回して下さい。

証明が必要なので、会社の印鑑と署名が必要です。

 

そんな数百円のやり取りのために何度も電話してくる行員。

何度も電話していただくのも結構ですが、

その時間は私の経済的価値のある時間です。

人の時間を削ることは人の命を削る行為だということを認識していただきたい。

 

あなた方の理屈はすでに死んでいます。

別にお客様が神様というつもりは毛頭ないけれども、相手はATMみたいな機械じゃないんだから、人間としてのコミュニケーションをとっていただきたい。

 

システマティックな経済活動も結構でございますが、

社会を構成する同士として歩み寄る術を持つべきではないでしょうか。

 

人とひと。

根本的なことで大きなズレを感じてしまう出来事でした。


 

 

 

 

僕は何かと怒られる機会が多い。

自分のキャラなのか。そういう場所や人に喜んで突っ込んでいっているからなのか。

 

『怒る』のメカニズムを科学的に解明していくと、誰も怒らない、怒られない環境が出来るのか。

はたまた、怒る・怒られる力を利用して動力に変えることが出来るのか。

 

 

ぼくなりに『怒る』の根拠を整理すると、

殆どの場合、自分に不都合なことがあると人は怒る。

 

不都合なこととは、

①相手にしてもらえない時。

②当たり前(個人的な正義)だと思っていることに反する時。

③生理的に不快と感じる時。

 

ここで、教育的な立場で『怒る』ということは『叱る』といった方が適切な気がするので、議論の外にしたいけど、

これはこれで曖昧な気もするので曖昧なままで定義せずに進める。

 

 

①相手にしてもらえない時。

これは僕がやらかしてしまうことの多いケース。

タスクが増えると自分の一日で処理出来なかった事柄に対して誰かが怒る。

LINEの返事や電話の折り返しもその日のうちにしなければ怒る人は多い。

見積や資料などの提出が遅くなってしまう時も信頼をなくしやすいが、これはみんなも気を付けてることだと思う。

何故怒るか。②当たり前・・・の要素もあるけど、実際は、相手にしてもらってないことが一番怒りの感情を誘発している気がする。

 

逆に、このケースの場合、ぼく自身はあまり怒りを感じない。

気が長いので連絡がくるまで平然と待てるタイプだし、相手が念押ししたり催促してくる頻度が上がることで重要度を認知できるから。それこそ怒られそうな言い方をすれば、はっきりいって、暇な人ほどここで怒る。

 

②当たり前(個人的な正義)だと思っていることに反する時。

これは僕自身も怒る側になる場合が多くて正直困っている。

特に、車に乗っている時に人の運転に対して怒ってしまう自分がいる。交通マナーに厳しくなってしまうのだ。

信号が変わって直進しようとしたら、対向車線から右折してくる車がいた。とか、

法定速度50km/hの公道で30km/hの車が前にいる。とか、

追い越し車線を全く譲らない車は大っ嫌いだ!

 

でもね。極端な話はさておき、『怒る』の基準は自分ルールだから、

ボクのルールと違う人からしてみれば、僕の運転も不都合なこともあるわけで、そこは人それぞれの環境や性格を認めるべきなんだろうな。

って思いたい。(何でおれ、こんなにイライラしてるんだろ。。。といつも反省しちゃう)

 

③生理的に不快と感じる時。

これはヤバい。僕自身は生理的に嫌いなものが殆どないから、

体臭がキツイとか、清潔感がないとか、見てくれが悪いとか言われても困ってしまう。

なんせ日本人はそういうとこに拘るものだから、こういう指摘があるたびに日本で生まれたことに疑問を感じる。

まあ、これに関しては勉強中です。

 

 

3つのパターンで考えてみたけど、やはり、②当たり前(個人的な正義)だと思っていることに反する時。

この感情については、テコ入れが必要な気がしてきた。

 

①の場合にも当てはまるけど、コミュニケーションによって緩和されやすいのが、

この場合の『怒り』の感情だと思う。

車の運転でイライラが多いのは、ドライバー同士のコミュニケーションが取りづらいからだ。

③はダメ。コミュニケーションとったところで、生理的な嫌悪感は取り除けない。

 

 

自分にとって不都合なことがある時に、その人には『怒る』という感情が起こる。

自分が正しいとか当たり前だと思っていることから反すれば反するほどに強い感情になってオコル。

 

生理学的に何故おこるのか。ぼくにはわからないけど。

だって、怒っていいことあるのかな??

 

もしかした『怒る』というコミュニケーションを通して、人類は発展のベクトルを揃えてきたのかもしれない。

 

最後に、怒るヒトと怒られるヒト。どちらが勝つかという議論。

ぼくは、怒りながら意図を伝えるヒトは勝算があると思う。

だけど、その意図を本人に伝えずに、他者にぶつけてしまうひとが多い。

怒るということは、どれだけその怒る人が正しくてもそれを対象者に伝えて変化を得られなければ何の生産性もない。

怒る側のリスクというのもある。

怒って、他者にそれを伝えても、伝えた相手の価値観が同じとは限らない。

共感が得られなかった時に、怒っている人間の評価は確実に下がる。

叱るのように期待感を持って相手に自分の価値観を伝えて共感してもらえるならば、その時間は有意義。

 

僕自身にも『怒り』の感情がバッと現れる瞬間がある。

でも、そこに価値が見いだせなければ怒らない方がマシだと思う。

中途半端に怒りの感情をみせるべきじゃないし、怒る行為をしっかり知るべきだと思う。

 

怒ったら負け。

怒ることの独りよがりな側面と、

相手のために叱る。

怒ることで生産的な会話にする側目。

 

怒る感情を上手にといりれて日々の活動を充実させることが大事なのかな。

あなたは本当に日本人ですか?

 

島国日本でも古より大陸から移住しているヒトは存在している。

今は新型コロナで渡航が制限されているけど、多くの町では何人かの外国人に出会える。

日本人じゃないと認識される人たちは、国籍が違うとか、生まれが違うとか、人種が違うとか、様々だけど、

そもそも純粋な日本人の定義がどこにあるかまともに答えれる人は少ないのではないだろうか。

 

肌が地黒なボクは、子どものころから、誰かに似ているね。という会話になると大概、野球の助っ人外人の名前を挙げられていた。

朱に交われば赤くなるタイプのボクは、学生時代、ヴェトナムで旅をして、べトナム人よりヴェトナム人らしいと現地の人に認められた。

清潔感、集団意識、緻密で繊細という日本人らしさからはみだしてしまうボクは、海外に住む外国人に受け入れられやすいようだ。

 

日本人が特にそうなのか地球人はみんなそうなのか、

自分のアイデンティティを守るために自分の生活や生き方を意識的か無意識的にカテゴライズしてその枠の中に生きる。

 

冗談だと信じているけど、誰かに人間扱いしてもらえない時に、

ボクは必死になるべく自分が人間に近いということを主張する。

『あ、ボク、ヒト科ヒト属ホタです』

ヒト科にはヒト、ゴリラ、チンパンジー、オラウータンの4属がカテゴライズされている。

ヒトじゃなくてもいいけど、限りなくヒトに近い存在でありたい。

兎に角、一緒に社会活動を営むために、ボクは同じカテゴリーにいることを他人に主張をしてしまう。

 

 

そして、人間には多かれ少なかれ本当のことを知りたいという欲求が存在していると思う。

科学を追求したり、哲学を語ったり、宗教を信じることなどで心を満たしているヒトが多いのがその理由。

 

真実を探求する思想の分野は人それぞれ違うのだろうけれど、

ボクは、ニュートラルにこれらの思想を受け止めたい種族。

 

そもそも日本人はニュートラルな思想が得意だと思う。

八百万の神を信仰していて、神社仏閣を参り、結婚式では教会で賛美歌を歌う。

 

ボクは、漫画家の手塚治虫さんが【火の鳥】で描いた、コスモゾーン(宇宙生命体)という思想が大好きだ。

科学を突き詰めて哲学的な発想に向かっていくような、物質(量子力学??)と生命の本質を突き詰めていくとスピリチュアルな答えにいきついていってしまっている感じ。

3次元~4次元までの範囲で世の中の事象認識しているボクたちの最高級の世界の捉え方だと思う。

 

最近、とても興味深い思想に触れることが出来た。

自然という日本語は、大正時代に大きく意味合いが変わったという話。

それまで日本では、自然(じねん)と読んでいたけど、西洋文化が入り込むことで、自然(しぜん)と発音されるようになった。

『しぜん』は人間とそれ以外の生き物をハッキリと分けた言葉で、

それまで、日本人にとって、人間は動物や草木、土、風などの自然の中の一部だった。

その想念が『じねん』なのだと。

 

とある界隈では、土の時代から風の時代になったという話を聞くようになった。

ボクの勝手な解釈だと、日本人が生活の中で大切にしてきたものの回帰と発展だと思う。

 

 

正直、まだ捉えきれてないのだけど、

 

最近、縁があって、岩盤浴とかサウナに行くようになったり、神社巡りをしているのは、風の時代の流れを感じてしまう。

個人的な話、脳(頭)で活動することを探求していた時はそれが絶対正義だった。

身体を蔑ろにしてしまう傾向が強かった。

 

ミストサウナでブツブツと音を立てながら身体に汗か水滴が発生するのを感じたり、

整体で痛みを感じながら筋肉と血流の変化を感じたり、

科学脳絶対主義だった自分にとって、肌感覚や強烈な実体験は本来のヒトが求めている生活を考えさせてくれる。

 

過去に、視覚、聴覚、触覚、味覚と五感、第六感で物事を捉えていた日本人、もしかしたら地球人は、

西洋と資本主義、科学に偏り過ぎて、今、本質的に体感することに戻ろうとしているのかもしれない。

 

 

 

 

 

ぼくの生き方なんて無駄だらけだ

 

最近ではLINEツムツムに膨大な時間を使ってしまうし

土日関係なく仕事の時間はあるけど、その代わり平日の昼間から爆睡してユメの中

夕方から酒を飲み始めると大事な打合せだって記憶からなくなっている

 

こんなぐうたらな自分の性格に嫌気がさすのは毎度のこと

そんな自分から逃げたくてお酒の量が増えていく

 

それはそれで生きていくためには収入が必要で

脳みその奥では何やら計算がなりたっているのか

ぼくが生きていくために必要なまじめな時間が存在している

 

不思議なくらいぼくはぼくを生きている

 

 

無駄といえば、反対の言葉で、合理主義なんて言葉がある

トヨタ式カイゼンとかめっちゃ憧れる

資本主義の世界では、合理的で無駄のない生産性の高い作業が要求される

 

 

ぼくなんかハナッカラあきらめて、無駄だと思うことに時間を費やす

でも常に罪悪感みたいのがつきまとう

 

 

ぼくは自分を正当化する言葉に出会うたびに胸を撫でおろす

『一見無駄と思われることに大事な意味があるのだよ』

 

甘えちゃいけないけど、そんな言葉が心に残る

 

 

実は今、ぼくがいろいろやってきた無駄なことが結びついていると感じる瞬間が何度かある

ボランティアみたいなこともいっぱいしたし、今の仕事に普段必要のないような勉強もしたし、

誰かのためにお金を使ったり、時間を使ったり

 

う~ん、ぼくはぼくなりに無駄と思ってなかったかもしれない

 

なんだろう、

無駄だとか無駄じゃないとか、正しいとか正しくないとか、そんなこととは違う価値基準で行動した方がいい気がしていて

楽しい嬉しい優しいとかの感情だとか、好きだとか愛だとか非科学的な症状がぼくたちの未来を決める可能性があってもおかしくないと思うんだ

 

遊びは大事だと思う

無駄だと思うことには価値があるのだろうか

最近、LINEゲームアプリのツムツムにハマっていて、他にやることいっぱいあるのになぁ、、、って思いながら、『TIME OVER』でキリをつけれない自分にちょっと罪悪感を覚える日々を過ごしている。

 

ツムツムは凄いゲームだ。

 

数年前にPlayしていた時は、知り合いの何人かがハートを送ってくれるけど、好きな人がPlayするアプリという印象だった。そのうち他のゲームに移行したぼくは、しばらくツムツムのことを忘れていた。

ところが最近、現場の職人さんたちが会話の中でツムツムの話をしていて、経理の女の子までツムツムをしていて、身近な人たちが今でもツムツムしているんだなぁって不思議に思っていた。まあ、みんながやってるならその輪の中に入った方がコミュニケーションが出来てよさそうだ。と感じて、ぼくはツムツムを再開した。

そしたら、仕事で縁がなくなった元請の社長さん(二組)とハートを贈りあう日々が始まってしまった。それ以外にも普段会話や用事がないような人ともハートを贈りあっている。これはこれでコミュニケーションとして成立しているようだ。

 

ツムツムというゲームはたった1分間の時間制限の中で、ディズニーキャラクターを繋げて消滅させると、その連鎖の長さに応じてポイントが付く。設定したキャラクターを一定量消すとボムという廻りのキャラクターを道連れに消える球のようなアイテムが出現する。時間に追われながら毎週更新されるベストスコアを超えることを目標にしながら、LINEで繋がった友だちと点数を比較しながらPlayする。そして、そのライバルの友だちにハートを贈って見返りのハートを要求する。

 

キャラクターの設定の仕方も秀逸だ。ディズニーの作品ごとにキャラクターがあって、それぞれが独特のスキルを発動する。

ディズニーをあまり知らないぼくでも、ここ数週間で一気にディズニーキャラクターを認知することになってしまった。

 

ツムツムは恐ろしいほどに凄いゲームだ。

 

ツムツムというか、ディズニーのブランディングとマーケティングが恐ろしいレベルで凄い。

だって、客にお金を払わせて広報しちゃっているんだ。

基本的には無料で遊べるアプリだけど、点数を稼いで友だちと差をつけたり、欲しいキャラクターを手に入れたり、もう少しゲームを続けたいという欲求に対して、手軽にその欲求を満たすための課金システムが提示される。価格設定も幅があって自己責任で欲しいものと金額を照らし合わせてサービスを購入できる。

ぼくたちは、ツムツムで課金して遊びながら、ディズニーキャラクターや作品の名前を憶えて、映画館やビデオレンタル、そしてテーマパークとそこにあるグッズにお金を払ってしまうんだ。

 

これは、肉食系パワフル西洋文化だからこそ為しえた売り方なんだろう。

 

 

さて、今回は、ツムツムの話を序盤に差し込んで、最近のホタコンがブログネタにしたいことを纏めようと書き始めたわけで。

思いのほかツムツム話が長くなってしまった。

 

書きたい事柄を一つ一つ追っていくと確実に酒に負けそうなので、箇条書き程度でトピックを連ねることにする。

 

 

・ホタコンが神社に行きまくってる今年。これは風の時代(グレートコンジャクション)と関係があるのだろうか

・自然(じねん)≠自然(しぜん)。世界規模で価値観の相違を説明するのには、この概念を知ることが必須かもしれない

・陰陽師?神仏一体?火の鳥から宗教法人まで

・初えびす。あきないえびす。大黒様と恵比須様がわが社に祭られた

・公益資本主義はジャポニズム?

・DX(デジタルトランスフォーメーション)と土建屋

・書籍出版、音楽アルバム、イベント企画、アパレル展開、ゼリー販売、ネットラジオ、オンラインサロン、そして、マルチコンバイン

・娘9歳の誕生日

・1業種1事業の時代は終わった

 

今日はここまで、まずは楽しく!