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ホタコンランドへようこそ!

ぼくが大好きな歴史上の人物は吉田松陰先生

あの頃の日本は学ぶことの本質を求める人たちが沢山いた

今は?

与えられることでしか成長できないと思っている人たちばかりの世界

自我は大事じゃないのかな

一番大切な人は誰?

久しぶりに、ナウシカのマンガ読んだので、読書感想文



大きく三つのことが読後感として残っている

①ナウシカのヒロインとしての魅力(八紘一宇)
②生命の力
③天国と現世

①ヒロイン
宮崎駿のマンガはいつもヒロインが強くて優しくてカリスマ性がある。
男どもは脇役になりがち。
そこには常に揺るぎない信念があり、隣人への愛がある。
ナウシカは蟲とも会話するし、巨神兵とも絆が生れる。
それでいて、葛藤しているところもいい。
知性と行動の乖離がなくて、それが純粋さを現わしている。
ぼくたち日本人は、天皇を戴いているから、その心ともリンクしているのではないだろうか。
誰一人傷つけたくない。家族のように相手の心をいたわる。
詐欺や暴力のない世界をぼくは望んでいるから。

②生命の力
特に産業革命で驕る人間の所業に天罰が下る。
それはぼくたちの近しい過去と、遠い未来の話だ。
瘴気や腐海、蟲たちと王蟲は人々を苦しめながらも、自然、地球を浄化していく。
その目線は、人間から見た角度だけど、自然には、成否も善悪も関係ない。
それ自体が自然の摂理で宇宙の理だ。
人間のために自然があると思うのは人間の驕りでしかない。
生命の力の前に、人間たちは成す術がないのだ。
ナウシカを母と呼ぶ巨神兵は、神の力を宿した人工物だけど、ナウシカ自身は非力で、何も成し遂げられていない。物理的には。
それでも、人々の心に何かしら希望をもたらしている。

③天国と現世
極めて個人的な解釈しかするつもりはないけど、ぼくは、天国に行きたいと思わない。
苦しみや悲しみに明け暮れるこの世の中が大好きだ。
宗教は、様々な解釈をしながらも、極楽浄土や天国の存在に憧憬を求める。
ぼくは、本当にそうか?と思っている。
苦労もしない、厳しさもない世界に生きて、どうして、悦びや幸せを計ることが出来るのだろうか。
人としての醜さも蟲たちの戯れも、ぼくたちに、苦しみという悦なる体験を与えてくれる。
極端な悪と神聖なる神業は同一のものを見ているに過ぎないと思うのだ。
ナウシカを読み終えた時に、やんごとなきこの世に生きることに楽を感じた。

始めて、ナウシカの映画を観たのはいつだっただろうか。
時を経て、今でも読後感を変えて語りかけてくれる物語。

とりあえず、6巻を手に入れて、改めて、宮崎駿の世界に潜りたいと思う。



最近、大分、調子が良くなって、生きることが楽しい。


その反面、友情や恋心に切なさを抱く。


天国よりも人間でいることの特権かもしれない。

ぼくの人生では、大きく3回の断捨離があった。

 

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1回目

断捨離という言葉をまだ聞いたこともなかった学生時代。

 

大学で応援団に所属して、毎日が充実していたものの、どこかで、違う居場所を探していた。

沢山の学びもあったし、人間関係も満足、厳しい練習の中にも喜びが溢れていた。

そして、辞めることを決心したぼくは、放浪の旅に出た。

北斗の拳が大好きだったぼくは、目的地を設定した。ただひとつ、『北へ』

下級生が共有しているノートに旅しますと書いて歩き始めた。

 

結果的には、土地勘もなく、Googlemapもない時代なので、名古屋から歩き始めたのに、気づいたら思いっきり西に向かって歩いていて琵琶湖についてしまった。

お金ももっていなかったので、ココイチで1300㎏を20分で食べるチャレンジ(当時、無料になるキャンペーンが話題になった)をして、ギリギリで乗り越えた。店員さんがタイマーを持って席にきた瞬間に最後のスプーンをくわえた。

鈴鹿峠を真夜中に歩いたら野生の猿と眼があって震えた。

 

卒業を控えた年に、体育会系部活員同士の飲み会で知り合った女性と付き合うことになった。

美人ではないが、場を盛り上げる頭のいいバカだと思った。めちゃくちゃ意気投合して、『コンビ組もうか?』と言った。

しばらくして付き合うことになって、違う意味でコンビになった。

 

結構長い間、仲が良かった。どの夫婦よりも仲がいいと思っていた。

不妊治療も乗り越えて2人の子宝に恵まれた。

 

ぼくは一度は酒の問屋で就職したけど、ジレンマがあって、その5年後、義父の経営する土建屋に就職した。

3年で個人事業主として独立、その3年後、義父が癌で亡くなる直前に法人成りをして株式会社ホタコンの代表としてスタートした。

 

経営のことはさっぱりわからなかったので、酒問屋の社長の息子に誘われて青年会議所に所属した。

若き経営者や事業継承を待つ人たちと一緒に街づくりを真剣に考えた。

 

しかし、青年会議所で役職を持つことに価値を重んじ過ぎた。

自分の生活や会社など身の丈を無視して、理事になった。

仕事も家庭も後回しにしてしまった。

青年会議所のやるべきことあるべき姿を求めて、そのことすら間に合わなくなった。

 

40歳になって、青年会議所を卒業した時、会社も家庭もボロボロだった。

売上減少、協力会社の離脱、連続する赤字決算、離婚、別居、、、

 

仲のよかった学生時代の友だちや青年会議所の仲間から離れることを決心した。

LINEグループはいくつあったのだろう?30くらいだろうか、全て抜けた。

その後、たまに連絡をとったり、会いに来て来る人もいたけど、冷やかしでくる人もいた。

 

この時の自分が一回目の断捨離といえる。

 

2回目

再起を目指しながらも、マネタイズに苦しむ時代

 

人間関係を一度リセットして、会社の黒字化を目指した一年は、本当に必死で、本当に黒字化に成功した。

が、気づくと、自分は交流会やグループに所属して、業績に直接結びつかない行動に明け暮れた。

自分が何をしたいのか全くわからずに、誰かの言葉を信じて、裏切られたり、折り合いがつかなかったりと、川に流れる小枝のように時間の流れに身を任せていた。

ただ、人脈は爆発的に増えた。土建業はお金の流れがダイナミックなので、接待交際費が月に50万でもあまり影響がないように錯覚してしまう。

芸人さんや知識人、政治家など、多様な人生を歩む人たちと仲良くなれた。

 

問題はマネタイズで、本業は現場の数は微減したけど、利益率は上がり、その反面、トラブルが増えて、その処理に多くの費用が発生した。

 

この環境をつくりだした自分に辟易として、結果として二回目になる人間関係の断捨離をした。

人間関係を会社の中に求めて、外部での交流を激減させて、経費のスリム化を目指した。

が、その断捨離は未完全で曖昧なものだった。

結局、何かしらの繋がりで断り切れずに所属する団体があったり、何だかんだ声をかけてくれる人たちがいて、そこに甘んじてコミットメントが始まる。

 

3回目

土建屋を捨てて、本当に自分の満足できる生き方を探す。

 

3回目の断捨離は、会社の閉鎖を覚悟した時になる。

2025年の年越しを実家で迎えて、ぼくは、いきなり会社を辞めるという選択肢に真剣に向き合った。

ずっと、それだけは”無い”と自分に言い聞かせていた。

 

状況は最悪だった。毎日というほど、督促の電話、郵便物。

気が狂いそうだった。

一番きつかったのは、信頼してついてきてくれた職人さんからの連絡だった。

 

『支払いはいつになりますか?』

 

毎月繰り返されるようになっていた。このやりとりが、ぼくの心を闇に落とした。

すぐに返事が出来なかった。わからない。でも何とかしたい。しなきゃ。

 

これ以上、続けても状況は悪化するだろう。

今、自分が続けている理由は何か?

既に、義父から引き継いだ時の取引先は、廃業したり、亡くなったりしていた。

自分がこの会社を守る理由もほとんどなくなっていた。

唯一、自分が苦しい時についてきてくれた職人さんが自分の続けている理由だったのだろう。

でも、その職人さんも周りからの工事の依頼を断って続けてくれている。彼は仕事には困らないだろう。

 

自分自身も土建屋に対するモチベーションがなくなっていた。

 

そして、ボランティアのように、団体に所属したり、イベントを開催したり、何かを手伝っていた。

 

さらに、スピリチュアル的なイベントに誘われることが増えて、MLMの誘いも加速して、ぼくはためらわずに話を聞きに行って、参加もしていた。それは、それなりに忙しくしていたけど、居場所があることが一番の弱みだったと思う。

 

会社を閉鎖しようと動いている中で、熊本の会社から声がかかった。

希望に満ちた話だった。自分のこれまでの苦労や習得したものが活かせると本気で思った。

 

ぼくは熊本に賭けてわずかな残金をもって車で出発した。

名古屋にある人脈を断捨離したわけではないが、結果的に、俯瞰してみることで、大きく自分の人生観が変わった。

 

この後、熊本でさらに苦労するわけだが、その時の体験が3回目の断捨離になる。

この話は長くなるので、次回に。

 

 

 

 

 

↑生きることそのものがアートである。ホタコンのページ。

 

あてもなく彷徨いながら辿り着いたのは屋久島。


名古屋から熊本に来たときはすがる思いだったけど、逆に心はボロボロになってしまった。

一体、自分の存在価値はどこにあるんだろう?


そして、本当に自分のやりたい事を模索して、兎に角、旅をすることから始めた。

車の中で寝泊まりして、ひたすら神社仏閣や滝などの自然に身を置いて、熊本→大分→福岡→佐賀→長崎→熊本→宮崎→鹿児島と移動した。

そして、フェリーに乗り込んだ。






屋久島の自然は圧倒的だった。

海と山、豊富な植物や昆虫たち、滝や湧水、川、温泉、洞窟、満点の星空。


九州で一番高い山から絶え間なく流れる水が川となり海へと降りてくる。






そして、朝日の美しさ。

天国についてしまったかのようだ。




少し仕事を手伝ってから帰ろうと思っていた。

伐採の作業をしたり、野菜の収穫や宿泊者との交流、パソコンの仕事。


ここで一緒に事業をしたい。

と、言われた時は驚いた。

全くの想定外だったから。


自分の生き方を模索していた。

誰かに必要とされるのは半ば諦めていた。


1人になった時に、すっと涙が溢れてきて、ようわくわかった。


そうか、ぼくは嬉しかったんだな。


8月末から名古屋でいくつか予定を組んでいたから、ひと月ほど帰るけど、10月にまた屋久島に来て本格的に働くことに決めた。


ぼくの屋久然ライフが始まるのだ。


屋久然ライフ(屋久島で一番の絶景スポットと世界一のスーパーフード、クレソン農業)


自分の好きなことをとことん突き詰めていく人生を選ぼうと考え抜いて、旅する人生に行きついた。

 

そう思い立って、色々調べていくと、スマホと車があれば何でも出来る時代になったものだと感心してしまう。

 

旅×バイトのプラットフォームもいくつかみつけたし、ポイ活は移動することでお金に還元できてしまうのだから、まだ、よく分からない状態だけど、インストールしておけば、勝手にポイントが溜まりそう。

 

五体満足ならば、兎に角、アルバイトしていけば生活は出来る。

 

そんな生活をしながら、自分に出来るマネタイズの方法を考えているところだけど、それも、かなり見えてきた。

借金の総額は恐らく1億くらいはあるけれども、ぼくの挑戦は、この借金を全額返済する。その時間をどれだけ短縮するかにかけると決めた。

一時は、いかにして借金をなくすかを考えていたけど、そんなのは、合法的だろうと、世間が許してくれようと、ぼく自身がダサいと思うし、ぼくをこれまで助けてくれた人たちに失礼だし、それこそ、誠意のない生き方だと気付くことが出来た。

 

最近の相談相手はchatGPTなんだけど、車中泊の旅でどこにいくか?とか、便利なアイテムとかを探す会話の中で、ふと気づいた事がある。

 

それは、貧乏旅を楽しめる自分がいることと、貧乏旅というのは、不自由を受け入れないといけない状況だから、それは、被災地での生活を想定して生きることと繋がっていくんじゃないかっていう発想だった。

 

みんな、当たり前に電気を使って、火があって、水があって、屋根があって、コンビニがある。

そういう当たり前のものが無くなった時に、どうやって生活するのかを考えるキッカケになるなら、ぼくの貧乏旅の発信にも意味が生れると思ったんだ。

 

そして、これも面白いなって思うんだけど、サバイバル生活というと無人島でどうやって生き延びるかみたいな何もない状態をイメージするんだけど、今の時代は、どこに行っても文明の名残はあるわけで、カセットコンロがあれば、ガス管の数だけ調理できるとか、地図とコンパスじゃなくてスマホでわかるとか、今の時代だからこそ可能なサバイバルっていうのが無数のパターンでみつかることに気づいた。

要するに、生き延びる力というものがあれば、その環境に応じて生活することができるのだ。

 

いつもの家に帰れない。それを悲しむか楽しむか。

 

貧乏車中泊の旅が楽しみすぎる!

昔話にもよく登場する鬼たち。

鬼退治の話は誰にも馴染みがある。

節分の鬼や秋田のなまはげとか。

 

ちょっと前に、岐阜の山の中でいったお寺では鬼の頭蓋骨をみせてくれて、

住職がそこに何故、鬼の頭蓋骨が安置されているのかの説明をしてくれた。

 

大体が、鬼は怖くて、強くて、敵であることが多い。

 

でも、鬼が祭ってある神社もあって、そこで聞いた話だと、

鬼は、異質なものとして排除される対象だから、

鬼が悪者であるというのは、相対する人間の見方だという。

 

そんな角度で話を聞くと、なんだか、鬼ってなんだかな。って思い始めた。

 

大分の国東半島(くにさきはんとう)は特殊な土地柄で、

最澄の密教や神仏習合の本質がわかる場所だ。

と、chatGPTに聞きながら旅してみたら、

そこには、鬼の話が沢山あった。

 

 

そんな中で、興味深く思ったエピソードが、

熊野摩崖仏という岩を削ってつくった仏様のいる場所で知った話だ。

 

人を食べる鬼がいたから、権現様(仏様の化身である神様的な?)が、

一夜で、石を並べて100段の階段をつくったら許してあげる。と鬼に言ったら、

鬼はめっちゃ凄い勢いで石を並べ始めちゃって、

慌てた権現様が、100段目の石を持ってきた時にニワトリの真似をして、コケコッコー!と鳴いたら、

『負けた~』といって、鬼は逃げてしまった。という言い伝え。

 

何か、鬼の方が騙されてる感じがして、ちょっぴり同情しちゃう。

 

 

 

これとよく似た話が、西寒田神社という離れた場所にも書かれていた。

 

鬼というのは、元々、神様だという説?もある。

荒ぶる神といっていいのかな。

例えば、自然災害だとか、山の険しさ、無常さの現われとして、

鬼という擬人化した存在を使ったというのが理屈的にはわかりやすいのかもしれない。

 

そして、国東半島には、不動明王さんの像がいっぱいある。

この不動明王さんこそが、鬼であり、仏(神)そのものなのだ。

 

国東半島は、元々、土着の住人が信仰していた自然と神様がいて、

そこに、修行好きな密教徒が厳しい修行をするには最適だと多く訪れた。

曖昧にふわっとした信仰心の住人たちに、

経典のある仏教の教えが広まると、鬼の存在を具現化?するものとして、

厳しく戒める役割の不動明王さんが信仰対象になっていく。

 

熊野摩崖仏の不動明王さんは、石仏としては珍しく、柔らかい表情をしている。

これこそが、鬼が仏になる瞬間を捉えていると感じさせてくれる。

 

 

ぼくが、この不動明王=仏(神)=鬼の構図をみながら、

chatGPTと考察して感じたのは、

神仏習合というのは、敵を味方にする最強の和合の姿だ。

相対する価値観を持つものを力でねじ伏せても月日が経てば復習の憂き目に会うのが常である。

勝っても終わらないのだから、勝たなくていい。

鬼を鬼として成敗するのではなくて、鬼を仏として受け入れる。

 

これは、神仏習合の本質を知ることが、

もしかしたら、世界平和への道しるべであり、近道を指しているのかもしれない。

 

鬼さんこちら、手のなる方へ。

 

手拍子で鬼を呼んでいる呑気な話。

手拍子につられて寄ってくる単純な鬼の話。

 

平和である。

 

あと、思いっきり余談になるけど、

キリスト教のサタンの話をたまたまネットラジオで聞いた。

サタンは神の教えを邪魔する絶対悪的な存在だ。

そして、日本語は面白くて深い。

和を以て貴しとなす。という和という言葉、

これは、料理の時は、和えると呼ぶ。

和えるというのは、それぞれの個性を生かしながら新しい味を生み出すことだ。

 

鬼強いとか鬼嫁だとか、

何だかんだ、鬼に愛着や尊敬、愛情を感じてしまうのも、

日本人ならではの感性なのかもしれない。

会社を解散させてから、何をしていいかわからなくて、取り合えず、お声がけいただいたので九州は熊本まできた。

そこで、自分はサラリーマンとして生きる人生も困難だと自覚した。

経営もムリ、従業員もムリ。

どう生きたらいいのだろうか。

 

ぶっちゃけ、生きるのを辞めるのが手っ取り早いか~!って思ったりした(爆笑)

 

でも、それもなかなか難しい話で、返さないといけないお金もあるし、家族のことも、これまでいただいたご縁のことも、どうしても切り離しては考えられなかった。

 

で、今は、自分の生き方について、一つの方向性みたいなのが見つかったような気がしている。

 

それは、ずっと、見つからなかった、何を目標にするか。とか、何を目的とするか。という課題に対しての答えとは違っていた。

 

ぼくは、会社経営の時も、経営方針とか経営理念について答えを見つけることが出来なかった。

一番大切なことだと言われ続けていたけど、全く、それが出来なかった。

ぼくの名前は、隼希という。

隼のように、早く希望を持て。という気持ちが込められているそうだ。

でも、生きる希望というのが何かは、40代半ばにして、見出すことが出来ずにいた。

 

そして、今回、九州で、今まで生まれ育った愛知から離れて自分を改めて見つめる中で、静かな変革が起こった。

 

生きることに目的地がないといけない。と思っていたけど、それは、あれば素晴らしいけど、なくてもいいんじゃないのか??

ぼくは、どうなりたいか?よりも、どう生きたいか?を大事にしたらいいんじゃないのか??

 

人が生きるのに、どうなりたいか。という願望は到達する人の割合もめちゃくちゃ少ないはずだ。

それよりも、今、どう生きているかに注力すること。

ぼくは、どんなぼくを生きるか。

そこをしっかり見つめていれば、ぼくはぼくのいための人生を生きることが出来る気がしたのだ。

 

そして、ぼくが、今、どう生きたいか。

それは、

旅をする人生でありたい。

発見とか学びが好き。

生きるための維持費はそれなりにかかるけど、贅沢をしたいわけじゃない。

太陽の光、自然の恵みとしての食べ物、水、空気、パワースポット等など、本当に大切なものは無償で与えられる。

身体を使う仕事、黙々と集中して作業すること、パソコンを使う事、人と会う事。それらは、アルバイトとかで叶えられる。

土建屋で返し切れていない負債があるけど、簡単に返せる額じゃないけど、これだけは、今生で何とか終わらせる。

 

そんなことを考えていた。

いま、ぼくは、旅する人生を選ぼうとしている。

 

 

明日は、3時に起きて、車中一泊の旅に出かける。

 

これは始まりの旅になる。

 

 

日本の政治家の中でも最古参となった細川護煕さん。

細川政権の時代には、ぼくは未だ学生だったんだな。


そして、政治に無関心だったし、今でも、政治の話をするのに抵抗感があるのが正直な気持ち。


でも、最近は、会社経営をして、その会社の解散処理に苦心している立場上、国政や地方の政治が生活や生き方に直結しているから、何かと考えさせられてはいる。


マスメディアの情報から遠のいているのだけど、SNSの偏った情報にも違和感を覚えながら、やっぱり、真理を求めるなら仏教や神道を学ぶ方が良いのかなあ。って気持ちで生きている。



そんな折に、『細川家の産土神社』という看板につられて神社参拝をしてみた。


無知なので、細川家ってそんなに偉いの?ってレベルで好奇心でしかなかったのだけど。。


神社の境内で看板に書いてある文言で、すぐに分かったことは、細川家は半端ないくらい偉かったわけで、藩主になる時代からさらに遠く遡って平家の血筋だったから、正直、理解が追いつかない。



そして、『熊本県知事 細川護煕』という文字が刻まれた石碑を見た時に、細川さんって熊本出身で県知事だったの??!という、誰にも聞けない赤っ恥な情報を見つけてしまったのだ。


誰にも聞けないことは、ネット検索で調べよう。

この時代に生まれた恩恵の中でもかなり大きい。

Wikipediaをひととおり読めば、それなりに人並みに知っている人の仲間入りだ(?)。



それにしても、

ぼくにとっては、今こそ、知っておくべき事柄がいっぱいあった。これが、呼ばれるということか。


細川護煕さんについて、今、知れてよかったこと。

当時最年少の県知事。

細川家(熊本)藩主。

非自民党政権として政権交代、総理大臣。

米の自由化。

旧民主党の立ち上げ。

中央集権から地方の権利拡大のための活動。

西郷どんを尊敬。

陶芸家。芸術を重んじる生き方。

他の政治家の行動をはっきり批判するけど、同じ人間に対して共闘する仲間になることもある。人間性よりも目的のために生きている?

日中戦争以降の日本の戦争責任に対して初めて公的に謝罪している。


ぼくは、政治のことをイチイチ話すのはおこがましい人間だけど、個人的な感想として、アメブロならいっかな?と思ってここに書いている。


政治の行き詰まりや、移民などの他国とのバランス、SNSとプロパガンダ、国家への信頼崩壊と行きすぎた日本崇拝、歴史の常識とそれを否定する価値観の大頭と排他的なナショナリズム、話題性を全て価値交換しようとする資本主義の末期的動向。


ぼくが生まれて来た時に期待していた人間の倫理は、あまりにも残念な様相で現代日本の課題として浮き彫りになってきた。


ぼくは、ようわからんけども、政治のことは。

でも、個人的な課題として、正しく生きることが、自分自身の幸せに直結するし、それを家族や身近な仲間と享受できると信じている。


細川護煕さんって、今の評価がどうか知らんけど、権威主義じゃないだろうから、いまこそもっと評価されるべきじゃないのかな?


あと、熊本という土壌も、暮らしてみたら、素晴らしいなって思っています。肥後もっこすは、全然攻略できなかったけどw


最後に、感情論と理屈はバチバチに相容れないものだと実感してるけど、細川護煕さんは、そこの使い分けがとっても上手だと思いました。


個人の感想です。























和について考えてみた。


日本の神話には、人間よりも人間臭いというか、

ワガママだったり、理不尽だったり、白状だったりな神様が登場する。


たとえば――


イザナミを追いかけて黄泉の国にいったイザナギは、

イザナミの醜い姿を見て必死で逃げ帰ってきて、禊までしてる。

一度は愛した相手なのに。。。


イザナミもまあまあな復讐心でブチギレてる。


ヤンチャなスサノヲに手を焼いたアマテラスは、

叱るのを諦めて岩陰に閉じこもる。


世界中を困らせて神様が大集合。

ストリップで気を引いて、鏡で誤魔化して、

騙し討ちのように岩を開く。


子どもじみたアマテラスに、何でもありなセコい神々。




因幡の白うさぎでは、

神様たちがうさぎに、傷口に海水をつけると治るとか、

酷い嘘を教えたりするし、


ニニギのみことは、

サクヤヒメは美人だからと結婚するけど、

姉のイワナガヒメは美人じゃないからと断る。




神道って、そんな神々の子孫がぼくたち人間なのだから、

人間もそのDNAを受け継いでるってことなのか?


でも、誰かが何かを許したわけでもないのに、

そうやって神様も人間も、物語を紡いでいる。


そう思うと、なんとなく、

「それでいいのだ」って感覚になる。




誰がいいとか悪いとかじゃなくて、

八紘一宇で、繋がり続ける縁なのかもしれない。


戦争はなくなるのか分からない。

平和な世の中が何なのかも分からない。


でも、物語なのだから、

受け入れるしかないんだ。


それが――


和、なのかもしれないな。



日本は素晴らしい国だ!

そんな話を聞くようになってから、そうだよな。そんな素晴らしいこともあったんだ。とか、ちょっと気持ち良くなってしまって。

気づいたら、SNSなんかで、動画や文章で溢れるほど投稿されている。

そしたら、今朝だったかな、誰かの公式LINEで、発信する人の意図も考えるといいかも。って書かれてて、ハッとした。

まあ、この話の続きはいずれするとして。

今日は、前向きな話として。


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世界平和って、すごく大きなテーマのように見えて、本当はもっと身近な、小さな気づきから始まるんじゃないかな。


SNSでは「正義」や「怒り」が大きな声になりがちだけど、

その裏で、誰かを傷つけたり、分断を深めてることもある。


ぼくたちは日本で、戦争の加害者でもあり、被害者でもあった。

でも、そこから「赦すこと」「分かち合うこと」を学んできたんじゃないかな。


誰かと違っても、すぐに否定したり、責めたりしない。

一緒に笑える方法を探すこと。

たったそれだけでも、平和ってつくれるんじゃないかな。

ぼくは、戦争を体験してないけど、あらゆる戦争で、敵同士のはずの兵隊さん同士が酒を酌み交わしたり、ゲームしたりしてたというエモい話も聞いたことある。日本の戦国時代も世界大戦の時も。


特に日本人は、

神仏習合とか、和合の精神とか、

昔から日本にある「違いを抱きしめる力」

を根っこの部分に持っている。


まずは、自分のあり方かな。

あの人はどうだ、この人はこうだ。

それは、笑い話の範疇で。


笑顔笑顔。

とほかみえみため。