名古屋青年会議所 5月フォーラムに参加してきました。
今回の講師は、池上彰さん。
流石の人気講師に1300名を超える来場者でした。
テーマは、日本の社会制度について、分かりやすく説明していただくというもの。
社会保障制度は誰もが関係することなのに、意外とみんな無関心なのでは??
池上さん登場の前に、まちの人の声を集めたアンケート結果の発表がありました。
やはり、社会制度について、あまり考えたことがないというヒト達が多い結果になっていました。
何故、みんな、年金や健康保険などを沢山納めているのに、国民は社会保障制度についてあまり知らないんでしょう??
今回のフォーラムでは、中学生・高校生・大学生・社会人も登壇して、
池上さんが若者たちの疑問に答える形式で行われました。
一番最初の池上さんから問いかけは、
『社会保障制度が無い世界を想像してみて下さい。どんな世界になるでしょう?』
学生の一人が答えます。
『貧しい人と裕福な人の差ができると良くないです。』
その問いに対して、即座に、池上さんが疑問を投げかけます。
『貧富の差があったらいけないんでしょうか?』
ちょっと意地悪した池上さん。
でも、それはメッセージでした。
何故なんだろう?と疑問を持つことが大事なのだと池上さんは続けます。
学校の教育では、覚えることに専念してしまうのですが、
意味を分からずに、ただ、暗記するだけでは、ヒトは忘れてしまう。
だから、池上さんは、社会制度の現状を説明をする前に、
今の日本の政治形態について歴史背景や世界との比較を通して、今の日本に社会制度がある理由を教えて下さいました。
話は憲法についても触れていて、
特にインパクトがあったのは、国民の三大義務の話です。
学生さんは国民の三大義務には答えれたけれども、何故、この3つなのだろう?という問いかけに言葉を詰まらせます。
正直、私もはてな??です。
教育を受けさせる義務・勤労の義務・納税の義務
この3つが三大義務になっているのに、どんな理由があるのだろう?
『この3つの義務が関連づいていることがわかれば忘れることはないと思います。』と池上さん。
国民の誰もが教育を受けることができれば、誰もが働く機会を得られます。
仕事をして、財産を持てれば税金を払うことができます。
この3つの義務は連動しているのです。
そして、今の日本では、何か不幸があって親がいない人でも、教育を受けることができるし、
病気や怪我で働くことができなくなっても、社会保障制度があるので、社会復帰をして働ける可能性があり、それによって納税の義務も果たせます。
なるほど、この3つの義務は、誰もが社会の構成員として参加できるチャンスを最大限に拡げているのだな。
逆に、この3つの義務を果たすことで、日本の社会になくてはならない存在になれるのだな。
と素直に感じることができました。
池上さんの話は、歴史という時間軸と、世界という空間軸を違和感無く行き来していて、
それが、池上さんの知識の深さと、本質を求める絶対的な安心感なのだと思いました。
世界と比較すると、10年ほど前にあったアメリカ・メキシコの豚インフルエンザの事例が出てきました。
その当時、健康保険制度がない地域で、インフルエンザの死亡率の高さに世界中が警戒したという話です。
結果的に、死亡率としては通常のインフルエンザと変わらないのですが、
その地域では、健康保険制度が充実していなかったため、病院で診療・治療を受けるのにお金がかかります。
それで、特に貧しいヒト達は、病院に行かずに我慢して病状を悪化させて、
病院に行った時点で治療が間に合わない状態だったため、病院内での死亡率が数字上極端に上がってしまったのです。
日本のように、健康保険制度によって、医療費の負担を軽減していれば亡くならずに済んだ方も多かったはずです。
さて、池上さんのお話を聞きながら、今の日本で社会保障制度があることで、
いかに私たちの生活が安全で安心できる社会かということが分かってきました。
それでは、何故、これほど私たちの暮らしに関わりが深く充実している社会制度について、国民が無関心なのでしょう。
例えば、健康保険。
病院に行くと、会計の時に支払う金額は本来、診察や治療にかかる費用の3割です。
健康保険制度によって、その時の支払い負担が軽減されているのですが、
ほとんどのヒトが、その時の精算を病院の経費そのものと錯覚しているようです。
そして、健康保険や年金は、企業に勤めているヒト達には給料天引されることが多く、
関心が無ければ、会社が支払っているような気がして、実際にどれだけ自分が保険料を支払っているかを実感できないようです。
社会保険制度が充実しすぎることが不自由の無さ故に、国民が自覚のない状態に陥ったということでしょうか。
今回のフォーラムで、池上さんのお話を聞きながら、
改めて、日本という国が、如何に民主主義国家として成功しているかを理解することができました。
私も無知で、自分が思っていた以上に、この国の制度に守られて生きているのだと知ることができました。
この時代、この国。
科学の急激な発展や国際的なインフラ整備の進行で、劇的な変化が起こってるし、
世界地図もまだまだ不安定ですが、それでも、日本という国は政治的に成熟しているような気配があります。
それが、当たり前や惰性という感覚、錯覚をひき起こして、『知識だけで考えない国民』に溢れる社会を形成してしまったのかもしれません。
これからの教育は、『知っている』ことよりも、『何故?に答えられる本質を捉える教育』にしていくべきではないかな。
フォーラムの中で、北欧の福祉が充実しているけれども、それが最善なのだろうか、幸せに繋がるのだろうか。というような話もありました。
人間という生き物が短絡的でなく、簡単に幸せの境地に達しないことを感じた瞬間です。
主権者意識、当事者意識。
国任せというのは、他人任せ。それではいけない。
一国民として、幸せの源泉を自分に求め、身近な人、社会のためと昇華していける。
そんな自分であり、それを地域と享受できる存在でありたい。


