増田俊也著「七帝柔道記」読了 | BOOGIEなイーブニング!

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2週間ほど前に、この「七帝柔道記」を巨悪を暴くジャーナリストのI氏から借りた。さほど興味が湧かなかったが、2~3ページと読んでいく中で面白くてグイグイ加速した。この小説に出てくる七帝柔道とは、北海道大学、東北大学、東京大学、名古屋大学、京都大学、大阪大学、九州大学の旧帝大のみで行われている寝技中心の高専柔道の流れを汲む柔道である。いや、通常の講道館ルールとは違い寝技の引き込みが可能だったり、ポイント制がないというルールなため、どうしても寝技が有利になるのだ。

立ち技とは違い、寝技は練習すればするほど強くなる。
より多く練習した者が勝つ柔道。

北大の主人公や部員たちは自ら過酷な練習量をこなして一年に一度の七帝戦に挑むのだ。この寝技の半端なく苦しい練習の描写が凄くリアルである。読んでるこっちまでタップしたくなる。落ちて、鼻水垂らして、泣いて、負けて、また泣く毎日なのだ。そして、魅力的な登場人物。個性豊かな同期や先輩たちが登場する。

読んでいるうちに、スーッと過去の記憶が甦る。

僕の中学生時代だ。僕は中学の3年間柔道に打ち込んだ。1年生で柔道部に入部したのは僕だけだった。2年生は部員ゼロ。3年生は部員8人。後輩が一人なのでとても可愛いがられた。夏の総体を最後に先輩は引退する。うちの中学は部員も少なく、弱小チームだった。公式戦でも目立った結果は出なかったが、当時主将の川島先輩や近藤先輩は毎日激しい稽古に打ち込んでいた。特に主将の川島先輩は背は高いがカラダが細く、いつも副主将の近藤先輩に乱取りで負けていた。しかし、川島先輩はカラダの柔らかさを活かした投げ技に磨きをかけていた。トシちゃんのダンスのマネが役にたっていたのだ。近藤先輩は別名クラッシャーと呼ばれ、他校の生徒からも恐れられていた。しかし、大味なよく言えばダイナミックな柔道だった。いつも、あと一歩の所で優勝を逃していた。大会が近づくにつれて、川島先輩と近藤先輩は口をきかなくなっていった。

僕ら弱小チームの上には必ず優勝する豊富中が君臨していた。そして、夏の総体。ららぽーとの隣、浜町公民館で行われた。みんなで自転車をこいで会場に着くと朝から畳のむせるような臭いとサロンパスの香り。いつもの練習試合とは違い、会場にはお母さんや保護者だろうか、ヤクザみたいなオジサンがイッパイいた。先輩達は道着に着替えてすぐさま畳の上でストレッチをしている。念入りに、念入りに。これで最後なのだ。先輩たちみんな、多分もう柔道はやらないだろう。高校になったらバイトやって遊んで暮らす。先輩達はみんな口々にそう言っていた。個人戦トーナメントは3年生4人が参加した。生徒会長で文房具屋の娘さんと付き合っていた森先輩は2回戦で敗退した。副主将の近藤先輩は順調に勝ち上がり、豪快に得意の大外刈りで勝ち上がる。何人も病院送りにした禁断の技だ。僕も受けた事があるが胸を激しく打つ巻き込み式の大外刈りで、喰らうと呼吸が出来なくなる。主将の川島先輩も綺麗な内股で勝ち進んだ。そして、意外なのは千田先輩だった。先輩は毎日、同期と乱取りをやらずに僕とプロレスごっこをしていたが、その変則的な投げ技でこれまた勝ち進んだ。絶対本命の豊富の選手にカニばさみのような捨て投げで勝ったのだ。準決勝で負けたがよもやのベスト4入りと本命潰しでヒーローとなった。

そして、決勝はなんと川島先輩と近藤先輩の組み合わせになった。中学最後の戦い。まさか大好きな先輩2人が決勝で当たるとは。練習乱取りでも意識して全く当たらなかった2人が、畳の上で相対する。もちろん目を合わせてはいない。

無情にも試合は開始された。

まさに一進一退の攻防。川島先輩の鋭い内股を近藤先輩はなんとかかわし、力尽くで持っていく。試合は延長戦。僕らは泣いていた。先輩たちもぐちゃぐちゃに泣いていた。泣きながら試合をしていた。


残念ながら川島先輩と近藤先輩の試合結果が今も思い出せない。


鮮やかな内股を川島先輩が決めたような気もするし、近藤先輩が強引に大外刈りを決めた気もする。


泣き過ぎてスッポリと記憶が飛んでしまっていた。


そんな昔の記憶が甦る本だった。

茶をしばきながらこの本の話しをブル氏に話すと、彼の柔術道場の師範がまさに七帝柔道出身者だと言う。道場の方性というか精神がまんま七帝そのものだった。

僕らはその偶然に鳥肌が立った。

作者の北大柔道部の後輩に中井祐樹という格闘家がいた。

視力を失いながらも勝利したこの試合には七帝柔道の全てが詰まっていた。

▼中井祐樹 vs ジェラルド・ゴルドー