学級崩壊の根底にあるもの | ほしゅぶろぐ

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純粋に「日本に生まれてよかったなぁ」という幸せな気持ちを、日本人みんなで共有できればいいなと思ってます。
※決して他国を貶めることを主な目的としてる訳ではありません!(ここ重用)

学級崩壊

この単語、
皆さんもよく耳にすると思います。


先生が尊敬されていない、生徒同士に一体感がない、イジメが止まらない、
そして生徒の親がクレーマーと化す。
こんな状況で「真の教育」が行われるはずがありません。

しかし、
これが日本の教育現場の現状と言ってもいいでしょう。

なぜこのようなことになっているのか。
今日はこの「学級崩壊」に関する僕の考え方を述べたいと思います。


まず最初に断言しておきたいことは、
この「学級崩壊」なるものは、本来あるべき日本の姿からはあまりにもかけ離れているのだということ。
少なくとも、これは従来の日本からは想像もできないほど酷いものだということ。

では
どうして最近そのような事態に陥ってしまったのか。


実は、
その答えは日本国憲法の中に書かれています。

これは常識だと思いますが、
現行の日本国憲法は、日本が先の大戦に敗れた直後にアメリカのGHQによって支配されている状況の中で作られたものなのです。
つまり、
この憲法はアメリカ人が作ったものなのです。

ではその憲法の中身の何が問題なのか。
まず、具体的にし数字を出します。

日本国憲法に登場する単語の回数
・権利16回
・自由 9回
・責任 4回
・義務 3回

これを見て、おかしいと思いませんか?

権利・自由という単語が、義務・責任という単語の倍以上も登場してきているのです。
これは異常だと思います。

僕は、「権利・自由とは、必ず義務・責任が伴うものなのだ」と思っています。
単語の定義から言いますと、
「権利・自由」は個人が享受するものです。
「義務・責任」は個人が公に対して果たすものです。「公」というのは世の中のこと、自分以外の人間のことです。

言い方を変えると、
「権利・自由」は自分が貰うもの。
「義務・責任」は自分以外の誰かのために果たすべきもの。
ということです。

つまり、日本国憲法では
自分が貰うものばかりが重視されていて、自分以外の誰かのために果たすべきものが軽く扱われているのです。

これは完全に自己中心的な個人主義と言わざるを得ません。


これが今の日本国の最高法規なのです。
このような考え方が「日本の国柄」に合っていると思いますか?


日本は遠い昔から「和の国」でした。
和を以て貴しとなす」とあるように、
聖徳太子が十七条の憲法を定めた時代から長い歴史の中で培われてきた日本精神の中心にあるのは、常に「和の心」だったはずです。

自分のことばかり考えていてはいけない、相手を思いやる気持ちが大切だ、みんなで強調して助け合って生きていこう、というような精神が「和の心」だと僕は思います。

しかし
現行の日本国憲法に書かれている内容は、僕たちのご先祖様が守ってきた伝統・文化・精神とは真逆の内容なのです。



ここでもう一度、
学級崩壊」に話題を戻します。

まぁ今回は学級崩壊という一例を挙げただけで、本当はあらゆる問題についても当てはまるのことなのですが。


全ての人がそうだとは言いませんが、
学校は自分に何かサービスを提供してくれる場所だ」と勘違いしている人がとても多いです。生徒も親も。

生徒にとっては、
面白い授業をしてくれる先生が良い先生、つまらない授業をする先生は駄目な先生。
親にとっては、
自分の子供の成績を上げてくれたり自分の子供を褒めてくれる先生が良い先生、自分の子供を評価してくれなかったり説教してきたりする先生は駄目な先生。
このように考えている人が実はかなり多い。
すべて自分中心でしか考えていない。

だから、
「いちいち説教してくるウザい教師の言うことなんて聞きたくねえ」と言う生徒がいたり、
「うちの子を悪く言う教師なんて許せない」と言って暴れるモンスターペアレンツがいる。


こういう話を聞いて、
「この人たちは本当に日本人なのかな?」と耳を疑いたくなりますが、これが本当に現実の問題として存在しています。

(僕自身も以前まではこういう思考回路だったので今になって猛省している訳ですが…)




僕がこの記事で言いたいことは、
日本人にもう一度「自分は日本国民なんだ」という自覚を取り戻させるような教育が必要だ、ということです。

そしてそのためには
やはり国の最高法規である憲法の内容も、
日本の国柄」というものを大切にしながら日本人の手で書き直していくことが必要であると僕は思います。

何も、「人権を奪え」と言ってる訳ではありません。
「権利・自由」そのものが悪いんだ、と言っている訳ではありません。
少なくとも「権利・自由」と「義務・責任」のバランスを調整して欲しい、
そして日本人にとって一番大切な「和の心」を強調して欲しい、と言っているのです。


そういう部分から一つずつ正していかないと、
どこかの大阪市長のように表面上だけを見て「システムが悪いんだ!公務員や組織が悪いんだ!だから改革するんだ!」と叫んだところで、
本当に大切な部分は何も変わりません。
(彼の問題点に関しては後日、別の記事でじっくりと書きます)


日本人が和の心を取り戻し、
自分の権利・自由ばかりを振りかざす態度を改め、公に対する義務・責任というものを意識するようになれば、
現在のようなレベルの「学級崩壊」という問題は解消されていくのではないでしょうか?


敗戦によって日本の伝統・文化が破壊されてしまって以来、数十年という時間を掛けてじわじわと浸食されてしまった日本人の精神を復活させるのは
至難の業だと思います。

もう一度、国家の基礎基盤をしっかりと作り直して、
数十年という時間をかけてゆっくりと、一つずつ取り戻していくしかないかもしれません。気の遠くなるような長い道のりです。

それでも、諦めてはいけない。
“今”を生きる僕たちの世代がここで頑張れば、
数十年後の日本が良い国になるかもしれない。


ここまでの話を一言で要約すると、

「学級崩壊の根底にあるものは、日本精神の崩壊である。」
ということです。


日本精神を取り戻すために何をすべきなのか、一人一人が真剣に考えていくべきでしょう。


それと、最後に誤解されたくないので言っておきます。
僕は全てをアメリカのせいにしている訳ではありません。
あれから60年以上も経っているにも関わらず、その中で日本人自身がこの問題について真剣に議論してこなかった、という点に関しては戦後の日本国民全員の責任です。平和ボケしてお金持ちになってしまったせいで、本当に大切なものを見失ってしまったのでしょう。
一人一人が自分にも責任があるんだという気持ちを忘れないことが一番大切です。

他国を恨み謝罪や賠償を求めるのではなく、自分の国の将来をどうしていくべきなのかという課題について自分たちで建設的な議論を深めていきましょう。