前回記事「仏典を読む(その17)無量寿経(下巻)5」の続きです。

 前回記事の終盤で、お釈迦様が「我々の世界は五悪とそれがもたらす苦しみに満ちている」と発言しました。今回はその「五悪」についての説明となります。この部分については、無量寿経の中でも「五悪段」(ごあくだん)といって有名な部分です。

 ですが、この五悪段ですが、あまりに散漫すぎる文章で、整理するのが非常に困難です…。そのため、今回の記事作成にあたっては、何度も何度も経典を読み込むことになりました。

 浄土宗大辞典や岩波仏教辞典では、この五悪段における「悪」について、①殺生②偸盗③邪婬④妄語⑤飲酒の5つであるとしていますけど、原典を読んでみても、どうにもそのようには読めない…というのが私の感想です。そんなわけで、権威には頼らず、私は私の見解を以下に示します。

 

【無量寿経(下巻)】6

 

  釈迦は「五悪とは何であるか、これから説いて聞かせよう」と、以下のとおり仰せになった。

⑰ 天人や人々をはじめ小さな虫の類に至るまで、全ての者が様々な悪を犯しており、強い者は弱い者を虐げ、互いに傷つけ合い殺し合っている。これを第一の悪と言う。

 

⑱ 世間の人々は、道義や規則をわきまえず、贅沢を好んで淫らであり、他人を見下して勝手気ままな振る舞いをし、快楽を求めて互いを欺きあっている。言葉と思いが別々で、へつらい上手で真心に欠け、賢人を妬んで他人を貶める。これらは、人々が貪りと怒りと愚かさを抱くからである。これを第二の悪という。

 

⑲ 世間の人々は、常に邪な想いを抱き、淫らなことばかりを考えて、悶々と思い悩み、愛欲の心が入り乱れている。そして、あくまで執念深く、淫らな思いを遂げようとする。美しい人を見ては流し目を使って淫らな振る舞いをし、自分の妻を疎ましく思って密かに他の女性のところに出入りをする。そして財産を使い果たし、遂には法を犯すようになる。これを第三の悪という。

 

⑳ 世間の人々は、善い行いをしようとせず、互いに次々と人をそそのかして、様々な悪を犯している。二枚舌を使い、人の悪口を言い、ウソをつき、言葉を飾りへつらって、人を傷つけ争いを起こす自分自身は尊大に構えて、自分ひとりが正しいと傲慢な思いを抱き、教え導いていも聞く耳を持たず、手の施しようがない。これを第四の悪という。

 

㉑ 世間の人々は、怠けてばかりいて自分の仕事に励もうとはせず、一家は飢えと寒さに困り果てる。親が諭しても荒い言葉で口答えし、その様子はまるで敵を相手にするようであって、こんな子ならいない方がいいと思われるくらいである。そして自分の得だけを考えて、他人の物を奪い取り、好き放題に使ってしまう。それが習慣となって一人贅沢な生活をし、美食を好み美酒にふける。これを第五の悪という。

 

㉒ このような悪を犯した者は自ずから地獄や餓鬼や畜生の世界で計り知れない苦しみを受け、その中を転々とめぐって果てしない時間を過ごすことになる。その苦しいことはちょうど燃え盛る火に身を焼かれるようである。

 もしこのような迷いの世界の中で、善行を積んで悪を犯さなければ、苦しみから逃れて功徳を得て浄土に生まれて悟りを得ることができるだろう。

 

 【メモ】

 非常に難解なパートでしたが、やたらと長い文章の中で「悪」としてあげられる人々の振る舞いについて、具体的な記述部分を抽出してまとめる作業を行いました。それぞれの内容を確認していきます。

 まず、⑰ですが、「弱肉強食」と「殺生」が挙げられています。これらを合わせると、第一の悪とは、「暴力による生命や尊厳の蹂躙」というところでしょうか。文章をよく見れば、悪を行う主体に天人も含まれているのが仏教らしいですね。天国の人でも罪を犯す可能性があり、すなわち天国から地獄へ落ちる可能性があるということです。

 次に、⑱ですが、「道理・規則をわきまえない」「他人を見下して欺く」「言行が一致しない」「賢人を妬んで陥れる」などが言及されています。これらの内容から考えると、第二の悪とは、「社会や共同体の規範・共栄の軽視」というところでしょうか。

 そして、⑲については、比較的分かりやすく、「愛欲に溺れる」「妻ではない他の女性のところに出入りする」という記述から、第三の悪が「邪淫」であることが分かります。2000年前のインドでも不倫は社会問題だったんでしょうね。石田純一の「不倫は文化」という発言を彷彿させます。

 ⑳については、「二枚舌」や「悪口」「嘘」といった言葉に関するキーワードが多く出てきますので、「不適切な言葉を使うこと」が第四の悪ということでしょう。社会人は犯しがちです。気をつけましょう。

 最後の㉑については、「働かない」「他人の財産を奪う」「美酒にふける」という記述から、第五の悪は「怠惰」ということかと思われます。

 なお、㉒は、第一から第五の悪のそれぞれの説明の結びで必ずついてくる内容です。五悪を犯す者は、地獄・餓鬼・畜生といった六道輪廻のうち、苦しみの世界(三悪趣)に生まれかわるが、一方で五悪から離れる者は、浄土に生まれ変わることができるとしています。

 

 今回は大苦戦でしたが、しっかり味わったという満足感はあります。

 お釈迦様、もうちょっと分かりやすく説明してください…。ホント。

 

 次回に続きます。