前回記事「仏典を読む(その2)浄土三部経」の続きです。

 では、浄土三部経の一つ「阿弥陀経」を要約していきたいと思います。要約作業については、①過剰な説明を省略する②回りくどい表現を簡潔なものに改める③同じ内容の繰り返しを一つにまとめる…というルールで進めていくことにします。

 

 

【阿弥陀経】

 

 ある時、釈迦は祇園精舎で1250人の弟子たちと一緒にいた。その中には、舎利弗や目連といった阿羅漢や、文殊菩薩や弥勒菩薩といった優れた菩薩、また、帝釈天などの神々もいた。釈迦は舎利弗に以下のとおり説き聞かせた。

① ここから西に向かって10万億の仏の国を過ぎたところに、極楽と呼ばれる世界がある。そこには阿弥陀と呼ばれる仏がいて、現在も教えを説いている。極楽という名称は、一切の苦しみがなく楽しみだけを享受できる世界であることに由来している。

② 極楽には、宝でできた池があり、不思議な力を持つ水に満たされており、底には金の砂が敷き詰められている。そして、池に浮かぶ大きな蓮の花は美しい光と清らかな香りを放っている。池の岸には立派な建物があり、金・銀・瑠璃・水晶等で美しく飾られている。また、常に優れた音楽が流れており、天上界の花が降り注いでいる。人々はこの花を器に盛り仏たちを供養している。人々は食事の後、しばらくの間散歩して心身を整える。

③ 極楽には、白鳥・孔雀・オウムなどの美しい鳥がいて、その美しい鳴き声は七菩提分や八正道などの優れた修行法を説いている。住民はこれらの鳴き声を聞いて仏・法・僧を念じている。極楽には地獄や畜生や餓鬼の者がいない。したがって、極楽の鳥とは、畜生ではなく阿弥陀仏が教えを説くために現わしたものである。また、極楽には、宝の網飾りがなされた並木があり、そよ風に揺れて美しい音楽を奏でている。この音色を聞く者は、誰でも自ら仏・法・僧を念ずる心を起こすのである。

④ 阿弥陀仏が放つ光は無限であり、その光を妨げるものはなく、全ての国々を照らす。また、阿弥陀仏と極楽の住民の寿命は計り知れないほど長い。また、阿弥陀仏の元には数えきれないほどの阿羅漢・菩薩が存在する。極楽に生まれる人々はみな不退転の位に至り、また、一生補処という最上位の菩薩たちもたくさんいる。仏弟子たちは極楽に生まれ変わりたいと願うべきである。なぜならば、優れた聖者たちと共に同じところに集うことができるからである。

 

 前半はここまで。ここまでの内容はかなり分かりやすいですね。阿弥陀経における話し手は釈迦で、聞き手は釈迦の十大弟子の筆頭とされる舎利弗です。舎利弗が話す場面はなく、釈迦が一方的に教えを説くスタイルとなっています。

 釈迦が話す内容については、「遥か西に阿弥陀仏の国である極楽が存在し、そこでは一切の苦しみがなく楽しみしかない」という説明から始まり、その後、極楽の描写が続きます。極楽の描写では、まず、五感に快楽を与える内容、例えば、美しい宝石や優れた音楽、あるいは素晴らしい花の香りが強調されますが、その後、食事の後の静かな散歩や、七菩提や八正道といった仏道修行、また、阿羅漢や菩薩との交流についての説明がなされます。この説明の流れは、快楽やお金が大好きな衆生と、禁欲的で修行大好きな仏教徒、その両方の価値観にうまく配慮しているように見えます。

 

 ちなみに、個人的に興味深いと思ったのは、「天上界の花を器に盛って仏たちに供養する」というくだりで、「なぜ仏像やお墓に花を供えるの?」と聞かれたとき、「阿弥陀経というお経に書かれているんだよ」とか回答ができますね。

 

 次回に続きます。