前回記事「仏典を読む(その1)」の続きです。

 

 仏教を全く知らない人あるいは嫌いな人でも、「なむあみだぶつ」という言葉だけは知っています。中学校の歴史の授業で法然や親鸞について少し学ぶことが影響しているのでしょうけど、テレビドラマやマンガなどのメディアにおいて「なむあみだぶつ」を唱えるシーンがしばしば見られ、我が国における「なむあみだぶつ」の認知度は非常に高いと思われます。

 実際、私の周りで仏教に関心のない人たちに対し、「仏教について知っていることを教えてください」と問うと、多くの人が「なむあみだぶつ。意味はわからないけど」などと答えたりします。一般人の間では、「仏教」=「なむあみだぶつ」のイメージが成立しているのではとも思えます。

 

 さて、この「なむあみだぶつ」の出典・根拠についてですが、法然や親鸞が拠り所としていた「浄土三部経」(じょうどさんぶきょう)という経典にあります

 浄土三部経とは、極楽浄土とその主である阿弥陀如来について説く3つの経典「無量寿経」「観無量寿経」「阿弥陀経」の総称を言います。

 

 浄土三部経を構成する各経典の概要については以下のとおりです。

①無量寿経(むりょうじゅきょう)

 他の2つと比較してボリュームがあるので「大経」と呼ばれます。釈迦が12500人の弟子を前にして阿弥陀如来と極楽浄土の成り立ちについて説明するという内容になっています。念仏によってなぜ極楽浄土に生まれ変わることができるのか、その理由が記されている経典です。

 

②観無量寿経(かんむりょうじゅきょう)

 略して「観経」と呼ばれます。釈迦が、マガダ国王の妃である韋提希夫人の求めに応じて、極楽浄土に生まれ変わるための瞑想方法を説明するという内容となっています。サンスクリット語版(つまりインドの原典)が見つかっておらず、中国で作成された(いわゆる偽経)という説があります。

 

③阿弥陀経(あみだきょう)

 浄土三部経の中で一番短いので「小経」と呼ばれ、読誦(どくじゅ・声に出して読むこと)用として広く用いられています。釈迦が1250人の弟子を前にして、極楽浄土の壮麗な様子や、名号(南無阿弥陀仏)を心にしっかりと持つことによって極楽浄土に生まれ変われることを説明するという内容になっています。

 

 阿弥陀如来や極楽浄土への生まれ変わりを説く経典は他にもありますが、浄土三部経よりも詳しい内容の経典はないとされています。また、法然・親鸞が尊敬していた中国の僧侶・善導や曇鸞もこの浄土三部経を非常に重視していました。

 このうちどの経典が一番優れているかというと、浄土宗は観無量寿経、浄土真宗は無量寿経に重点を置いていると言われています。

 

 これからしばらくは、浄土三部経の要約と私の所感を述べていきたいと思います。

 まずは、手始めに短い阿弥陀経から。

 

 次回に続きます。