前回記事「坐禅談義(その8)」の続きです。

 

 坐禅の開始後に湧き上がる雑念に対しては、ひたすら呼吸に集中し、整えることで対応します。結跏趺坐あるいは半跏趺坐で足を組み、目を半眼(はんがん・目を開けたまま少しうつむき加減にすると、まぶたが半分閉じた感じになる)にし、背筋を伸ばして正しい坐禅の姿勢を確保した上で、鼻だけでの呼吸で数息観を開始します。

 

 1回目の息を吸う時に「いーーー」吐くときに「ちーーー」、続けて、2回目の息を吸う時に「にーーー」吐く時に「いーーー」という要領で、呼吸の回数を心の中で数えていきます。雑念がどれだけ湧いても、とにかくこの数息観を実行します。そして、雑念に負けて無意識に数息観をやめてしまっていることに気づいたら、最初から数え直しを行います。

 私の場合、これをしばらく続ければ(10分~20分くらいでしょうか)、雑念が少なくなり、数息観をかなり継続できるようになっています。まずはこの状態になることを目指します。

 

 数息観が安定してきたら、数息観を停止して目の前の壁に視覚を集中させます。私の坐禅における最大の発見は、「眼球の動きをうまく止めることが、坐禅成功のカギである」ということです坐禅を始めてから、私の悩みは「坐禅中に眼球が勝手に動く」ということでした。眼球が少しでも動くと焦点がズレて脳に投影される画像が変化しますので、これに意識を持っていかれるのです。禅宗のお坊さんたちに相談したのですが、「目に意識せず、そのままにしておくように」と言われるだけで、何も解決しませんでした。いっそのこと、目を閉じてみたら…と思いますが、目を閉じると、あっという間に雑念や眠気に支配されることになります。坐禅中に目は絶対に閉じてはいけません。

 

 そして、それから数年間、色々試行錯誤して気づいたのがこちらです。

 

©wikipedia ステレオグラム

 

 上の画像は、「ステレオグラム」といいます。視力回復に効果があるとされ(疑わしいですが…)、「マジカル・アイ」として書籍化されたりしています。この「ステレオグラム」を目を弛緩して見ると、通常見えない絵が立体的にハッキリと浮き上がって見えます(上のステレオグラムでは何が見えるでしょうか?)。面白いことに、「ステレオグラム」は、目を凝らして見ようとすればするほど、絶対に見えないようになっています(これがまた仏教や禅の思想っぽくて良いです)。

 

 この「ステレオグラム」を見る手法、すなわち、「目の弛緩」を、坐禅中、向かい合う壁に実行するのです。そうすると眼球の動きが止まり、視覚のギアがニュートラルに入ります。この発見以降、私の坐禅は劇的に変化することになりました(ちなみに、この数年後、曹洞宗の藤田一照禅師が著書「現代坐禅講義」の中で、上のステレオグラムの話を紹介していて驚きました)。

 

 眼球が勝手に動かなくなることで、視覚に刺激が与えられなくなります。そして、適度な室温かつ静寂な部屋で坐禅を行っているのであれば、触覚や聴覚にも刺激が与えられていないはずですし、さらに、数息観によって呼吸を整えていれば、雑念が遠ざけられていて意識もニュートラルの状態になっているはずです。

 

 結果として、坐禅者の五感は情報や刺激から、かなり隔絶された状態になります

 

 次回に続きます。