前回「坐禅談義(その7)」の続きです。

 

 坐禅の開始時には様々な雑念が湧いてきます。男性は「52秒に1度は必ず性的なことを考える」という迷信(学説?)がありますが、もはや生物としての「仕様」ではないかというくらい、様々な雑念が絶え間なく湧いてきます。

 禅宗には「莫妄想」(まくもうそう)という言葉があります。この言葉は「湧き上がる雑念に囚われるな」ということを意味します。「本日、上司から嫌なことを言われた。坐禅中も、上司に言われたことがずっと頭から離れなくて苦しい」…といった状態をどうしたらよいか。まさに坐禅における最大のテーマとなります。

 

 坐禅中に湧き上がる雑念を何とかしたい。そこで「考えるな」と、心の中で自分に命令をしてみます。すると「考えるな」という命令自体を新たに考えることになり、湧き上がる雑念に加え、更に余計な情報を頭の中で展開して混乱することになります。例えれば、コーヒーに砂糖を入れすぎて甘くなりすぎたので、塩を入れてみたところ、不味くなって飲めなくなった…と同じようなイメージでしょうか…。

 

 この「考えない」ということについて、心理学において「皮肉過程理論」という非常に興味深い理論があります。Wikipediaでまとまった記事がありましたので以下に示します。これは、坐禅をする人は、全員知っておくべき理論だと考えます。

 

アメリカの心理学者であるダニエル・ウェグナーは、以下の記憶力を試す「シロクマ実験」を行い、その説明のために皮肉過程理論を提唱した。

  • A・B・Cの3つの実験参加者グループを用意する。
  • すべてのグループにシロクマの1日を追った同じ映像を見せる。
  • Aグループの参加者には、シロクマのことを覚えておくように言う。
  • Bグループの参加者には、シロクマのことを考えても考えなくてもいいと言う。
  • Cグループの参加者には、シロクマのことだけは絶対に考えないでくださいと言う。
  • 一定の時間が経ったあと、実験協力者に映像について覚えているかを尋ねる。

この実験において、最も映像について詳しく覚えていたグループは「絶対に考えないで下さい」と言われたCグループであった。

Wikipedia「皮肉過程理論・シロクマ実験」

 つまり、この理論は、「人間は、何かを考えないように努力すればするほど、かえってそのことが頭から離れなくなる」ということを説明しているのです。この理論に従えば、座禅中に雑念が湧き上がることに対して「考えるな」と命令して対処することは、完全に間違いということになるでしょう。

 

 となると、座禅中の雑念にどう対応すべきか。私は、以下の2パターンあると考えています。

① そもそも雑念が湧かないようにする。

② 雑念が湧いても全く気にならないようにする。

 私の経験からは、①と②の両方共に、坐禅での実現が可能であると考えます。

 

 次回「坐禅談義(その9)」に続きます。