前回「坐禅談義(その3)」の続きです。

 

 昨日は会社で失望する出来事があり、怒り心頭で帰路についたのですけど「このままだと単なるムカつき損だ」と、ちょっと冷静になる瞬間がありまして、それで「せっかくだから、坐禅でこの怒りが何とかなるか検証してやろう。そうすれば今日の出来事もプラスになるはず…」ということで、家に感情を持ち帰ることにしました。

 

 で、帰宅後、風呂に入って夕ご飯を食べ、家族に静かにしてもらったところで書斎に籠もり、心中に怒りの感情があることを確認した上で40分間の坐禅を実施しました。結果としては、その効果は抜群で、坐禅が終わるころには怒りの感情は無くなっており、その後、ぐっすり眠ることができました。やはり坐禅(瞑想)こそが仏教の王道だと実感します。念仏や真言、加持祈祷といった日本仏教の修法の素晴らしさは理解していますが、その中でも、坐禅こそが最上の修法だと思う自分がいます。

 

 さて、私の坐禅は、上座部仏教の瞑想でもなく、マインドフルネス瞑想でもなく、公案を使う臨済禅でもなく、もっぱら只管打坐の曹洞禅です。長年、色々な瞑想を試しましたが、曹洞禅が自分に合っていると思っています。

 

 曹洞禅ですが、面壁坐禅…すなわち、壁に向かってひたすら座禅をするだけです。坐禅会などに行くと、心構えと基本的なルールを教えてくれます。例えば、結跏趺坐や半跏趺坐などの足の組み方、背筋を伸ばしての腹式呼吸、半眼にすることなど、また、「浮かんでくる想いを追いかけない」「想いを手放す」等ですね。ただ、これ以上を教えてくれることは、あまり(ほとんど)ないです。そもそも「浮かんでくる想いを追いかけない」って、どうやってするのでしょう。普通「考えるな」と言われると余計に考えてしまうでしょう。「無になれ」と言われたら、それを聞いて「無になれ」と言語を使って自分に命令するわけですから、その時点で絶対「無」になれていないわけです。座り方を教えてもらってからは、もうそこから各自創意工夫しかない…というわけで、曹洞禅は、その点がめちゃくちゃ不親切だったりします。

 

 「浮かんでくる想いを追いかけなくする方法」。これについては、10年くらい苦労しました。私の坐禅など、恥ずかし気もなく披露できるようなシロモノではないのですが、ひょっとしたら、今坐禅や瞑想をやっている人、これから始めようとしているの人の参考になるかもしれませんので、私なりの坐禅の方法論を披露したいと思います。

 

 そんなわけで、次回に続きます。