前回記事「宝山寺・生駒聖天(その2)」の続きです。

 

 宝山寺のある生駒市は、主に大阪へ通勤する会社員のためのベッドタウンとして発展しましたが、昭和30年ころまでは、宝山寺を中心とする一大観光地として存在していました。実際、上の写真(昭和30年ころの宝山寺参道)を見ると、ずいぶん繁盛していることがうかがえます。

 そして、生駒参道の料理旅館群は「生駒新地」として遊郭(風俗街?)としても機能していたことは有名な話で、「女町エレジー」という昭和歌謡の中で「生駒は哀しい女町」などと歌われていたりします。

 

 では、現在はどのような状況になっているのでしょうか。これをイチから紹介していきたいと思います。

 

 宝山寺の入口は、近鉄生駒ケーブル「生駒駅」となります。写真のケーブルカーは「ミケ号」と言いますが、これは宝山寺の更に先にある「生駒山上遊園地」を意識してのものです。全国の歓喜天信者が宝山寺に初めて参拝する時は、まずここで驚きます。

 

 生駒駅から「ミケ号」に乗車し、5分ほどで宝山寺駅に到着します。

 

 宝山寺駅から5分ほど歩くと、観光生駒のゲートが現れます。ここから料理屋や旅館が立ち並ぶエリアとなります。

 

 参道はこんな雰囲気です。20年ほど前から毎年歩いているわけですけど、人通りはまばらで年が経過するごとに寂れていく感じです。しかし、近年になって少し復興の動きが見られます(後述)。

 

 旅館の案内板ですが、廃業が続いて白塗りだらけになっています。このうち「城山」と「やまと」には宿泊したことがあり、吉乃屋については現在も営業していることも知っていますが、その他の営業状況は不明です。

 

 今から15年前くらいだったと思いますが、現在では廃業となった某旅館の女将さんに「このあたりは、昔遊郭だったと聞きますが。今でもそうなのでしょうか?」と聞くと、「細々とですがまだやっていますよ」…とのことで、詳しく聞くと、「コンパニオンと一緒にお風呂に入ったり、宝山寺への参拝デートをしたり、一晩を過ごしたり」「若いのから年寄りまでいる。細いのから太いのまでいる」「最低3万円から」…などと。

 果たして今はどうなっているんでしょうか。以前は各旅館の入口に「18歳未満はお断り」「風俗営業許可店」という表示を掲げていましたが、最近はそれも見なくなったような気がします。

 

 宝山寺参道がなぜ寂れていったか…。それは日本人の宗教離れも一因となっているのかもですが、前々回記事「生駒聖天・宝山寺(その1)」で説明したとおり、現在でも相当数の信者が参拝に訪れ、しかも若者が思いのほか多いことを考えると、他の要因…、私としては、自動車の普及が原因となっているのだと思います。昭和30年まで宝山寺参拝にはケーブルカーを使うしかなく、必ず参道を通ることになりますが、自動車を使えば参道を通らずに宝山寺寺内の駐車場に行けてしまうのです。

 

 ただ、近年、生駒参道の再興が始まっているように感じることがあります。上の写真は「門前おかげ楼」という料理旅館、下の写真は「摩波楽茶屋」というインドネシア料理店で、共に、参道が寂れてから最近になってオープンしたお店です。両方とも利用してみましたが、文句なしの良店で、客入りも良いように見えました。両店とも何を食べても美味しいし、客席から奈良を一望できる絶景を楽しむことができます。訪問された方は是非ともお試しいただきたいと思います。

 

 2020年の春には生駒山麓からの参道の整備が完了し、ハイキングのコースとしても利用されるようになり、人の往来が増えているように感じます。行政・民間の動きも活発になってきている印象もあり、今後を期待しています。

 

 

 最後に、私のおススメの宿がこちら。旅館「やまと」です。他に「城山」や「門前おかげ楼」も良いですけど、特に、この「やまと」はおススメですね。古いけど清潔ですし、何よりも女将さんの人柄が素晴らしい。手作りの朝食も美味しい。

 

 やまとの客室からの眺望です。夜は美味しい料理と旅館のお風呂を楽しみ、お酒でも飲みながら夜景を楽しむ。宝山寺の御利益を感じることは間違いないでしょう。

 

 次回に続きます。