前回記事「関東三十六不動霊場巡礼その2」の続きです。

 深川不動堂への参拝後、東京都中央区の薬研堀不動院と台東区の寿不動院を参拝しました。

 

第21番札所「薬研堀不動院」

 都営地下鉄浅草線「東日本橋」駅の出口を上がると「薬研堀不動尊」ののぼりが多く掲げられており、行先を地図で確認することが不要です。そして駅から徒歩2分と楽ちんです。ちなみに「薬研堀」は「やげんぼり」と読みます。

 

 薬研堀不動院は真言宗智山派のお寺です。外観はかなりユニークです。やや角度のきつい階段を上ると本堂の入口があります。私の参拝時は、ちょうど堂内で参拝者に対する御祈祷をされている最中でしたので、邪魔をしないように、入口の前で読経を行わせていただきました。ちなみに本堂は、収容人員10名くらいの広さです。 

 

 薬研堀不動院の発祥については、1585年に豊臣秀吉が根来寺を攻撃した際、同寺の大印僧都が同寺の不動明王像(覚鑁上人作と伝わる)をつづらに収めて脱出して東国に下った…というエピソードが伝わります。御本尊の不動明王像は写真のとおり小振りであり、これを見て、「つづらに収めて、迫る秀吉の軍勢から逃げ切った」という伝承を実際にイメージすることができます。

 御本尊は、薬研堀不動院創設の当初から、江戸の町で「霊験あらたか」と知られていたようで、目黒不動・目白不動とともに、江戸三大不動として知られていたようです(仏像は大きさじゃないですね)。
 

 なお、薬研堀不動院で行われていた歳の市(毎年12月中旬から下旬に寺院や神社の境内や参道で開かれる市のこと)は、江戸の町で最も遅くまで(大晦日まで?)開いていたとのことで、年末の風物詩として有名だったらしく(「年末の準備がまだ終わってない。でも、薬研堀の市はまだやってるから何とかなる!」…などど)、現在でも、伝統行事として「薬研堀不動尊納めの歳の市」が行われているとのことです。

 

第22番札所「寿不動院」

 寿不動院は、東京都台東区にある真言宗智山派のお寺です。都営地下鉄浅草線の蔵前駅から徒歩10分程度でです。正直、ここで本当に正しいのかな?と思ってしまうような、何というか、お寺っぽくない外観です。

 

 門の後ろが本堂となります。1階は寺務所になっており、2階に御本尊が安置されています。寺務所というよりは会社の事務所という雰囲気があって、入堂にちょっと緊張していたところ、寺務所におられる方がこちらに気づき、親切に案内していただき、安心しました。

 

 2階の御本尊はかなりの古仏で「凄み」があります。伝承によると、奈良時代における華厳宗の僧侶、良弁の作だそうです。良弁といえば、奈良時代に東大寺の開山・別当となった高僧として有名ですが、幼少期に母と別離したというエピソードがあります。良弁は、別離から30年後、母親との再会に成功しますが、この自身の体験から、「親子が離れ離れにならないこと」を願って不動明王像を作った…と伝わります。そのため、寿不動院の不動明王像は、「子守り不動」と呼ばれているそうです。

 

 寿不動院は初詣先にという雰囲気はなく、私以外の参拝者がいませんでした。そのため、十分な発声で読経することができ、本日参拝した前の2つのお寺と比べて贅沢な時間を過ごせました。お祈りはやはり静かな環境で行いたいですね。

 

 関東三十六不動霊場巡礼(その4)に続きます。