「関東三十六不動霊場巡礼(その1)」の続きです。
関東三十六不動霊場巡礼の第2回目となります。
本日は東京都江東区の深川不動堂を参拝してきました。
こちらには数年前に参拝したことがありましたが、今回は正月に近い時期であり、多くの参拝客が予想され、雰囲気が全然違うことを期待しての参拝となります。
参道となる「人情深川ご利益通り」の入り口です。
東京メトロ大江戸線の門前仲町駅から2分という好立地です。
正月の3が日は過ぎているとはいえ、屋台も出ていて、結構な人通りです。
寺内は参拝客でごった返していました。護摩札待ちは数時間だとか。本堂の通常参拝も数十分待ちでした。
本堂の近影です。堂内撮影は禁止となっています。この先をご紹介できないことが非常に残念です。この深川不動堂は他のお寺と比べて、格段に現代的・芸術的で、堂内は参拝者を驚かせるような内容となっています。また、本堂の「お願い不動明王」は木彫り無彩色で全長が5m近くあって、もはや「大仏」といえるもので、大変なインパクトがあります。
本堂の外壁などは、梵字が敷き詰められていますし、深川不動尊は、とにかく至る所で現代的・芸術的です。そして、参拝客は年齢・性別を問わず非常に幅広く、仏教の現代化に成功している数少ない寺院という印象を持ちます。
こちらは、参道にある「永代寺」です。Wikipediaに以下の説明があります。
江戸時代のはじめ、歌舞伎役者の市川團十郎が不動明王が登場する芝居を打ったことなどにより、成田山の不動明王を拝観したい という気運が江戸っ子たちのあいだで高まった。これを受けて、元禄16年(1703年)、1回目の成田不動の「出開帳」(現代風にいえば「秘仏特別公開」)が富岡八幡宮の別当・永代寺で開かれた。これが深川不動堂の始まりである。
(Wikipedia)
ということで、この永代寺こそが、深川不動堂の元々…だったようです。
市川團十郎の芝居がきっかけで江戸の町で不動明王がブームとなり、それが今の深川不動堂の創設につながる。つまり「興行」が発祥となっているわけで、これが深川不動堂が芸術的である所以なのでしょうか。
また、深川不動堂が永代寺から独立して創設されるのは明治時代とのことで、実のところ歴史はそれほど古くない。古さには魅力がありますけど、他方、新しさには権威や伝統に縛られないという良さがある。それを明らかにしてくれているのが深川不動堂なのかもしれません。
さて、お土産です。深川といえば、「深川めし」が有名ですが、聞くところによると、「きんつば」が最高だとのことです。
そこで有名店の「華」を訪問しました。きんつば5個750円です。あと、写真の右側に「日本一硬いせんべい」という看板がありますが、これに魅かれて、せんべいも購入。こちらは1枚200円です(高い)。
きんつばは、個別包装されておらず、竹の皮に包まれていて手作り感がすごい。帰宅後、妻と食べましたが、すごく美味しい。皮が薄く、あんこの甘さが抑えられていて、まったくしつこくないです。これは是非、みなさんにもご賞味いただきたいと思います。
しかし、こういう「お茶がメインでお菓子は脇役」…というお土産は、子供にはまったくウケないですよね。お土産にしても全く喜ばれません。
こちらは、日本一硬いせんべいです。確かに、これまで食べたせんべいの中で最も硬いです。前歯で噛めば、多分折れます。怖いので奥歯で慎重に噛み進めていくんですけど、20分くらい時間がかかったような気がする。
味は良いのですけど、はたして硬いということに何か意味があるんでしょうか…。
参拝客が多すぎて、納経(読経)は本堂の端で、他の参拝客の邪魔にならないように行いました。
この後、さらに2つの札所を参拝します。報告については次回の記事「関東三十六不動霊場巡礼その3」で。