ボタンを押してすぐに音楽が止まった。店内に緊迫した空気が張り詰める。


カラオケの機械の所から自分の席に戻る途中に下手な歌声の彼女と目が合って、彼女は私を睨んでいたが気にしなかった。


「リカちゃんえらい~」と満足気な声でそう言ってくれたキョウちゃんの顔を見て私は嬉しくなる。目の前のホスト達は何が起こったのかわかっていないようで不思議そうな顔をしている。


そんな事をしている間に私達3人はいい気分で酔っ払う。3人でカラオケを歌う事になってホストに曲を入れてもらう。そしていよいよ曲が始まった、と思った矢先に曲が止まる。一瞬戸惑ったが原因はすぐに理解した。私はさっきの下手な声の彼女を睨みつける。


一瞬その彼女と目があったが、すぐに彼女は目をそらした。つまらない女…そう思う。


気を取り直してもう1度歌を入れ直す。曲が流れ始めて10秒も経たないうちにまた曲が止まる。…またあの女か…キョウちゃんの顔を覗くと不機嫌な顔で一言だけ呟いた「行け。」キョウちゃんのGOサインを受けた私はすぐさま手にもっていたビール瓶を床に叩きつける。バリーン!と景気のいい音を立ててビール瓶が砕け散る。一瞬の静寂、そして次の瞬間には下手な声の彼女のもとへ駆け出していた。店の注目が一気に私の所へ集中する。


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28歳、風俗嬢…未来なんて、考えたくない。


女でいたい…一生を女として生きたい。そう願う。


欲しい物の為ならどんな事だって私には出来る。





いつものように仕事を終えた私はお店の女の子2人と一緒にホストに行く約束をした。


男漁り…今通っているホストはあるのだが、半年も通って刺激もトキメキもなくなっていた。そろそろ新しいホストを探さなきゃ…そんな思いでホストの新規開拓に毎晩繰り出している。


時間はAM2:00 仕事の時はやる気のなかった化粧も、今度は気合いを入れて丁寧に仕上げる。この時間から私は女になるのだ。


私が化粧を終える頃、一緒に飲みに行く子達は、今日はどこのお店に行くかという話で盛り上がっていた。私も話に混ざり合う。一人は私と同期の子で、話も合う。名前はさゆりと言う。もう一人は、店のナンバー1で、プライドがとても高くあまり人に馴染まないのだが、なぜか私にはいつも優しい。私の憧れの存在。キョウと言う名前だ。


結局、お店から近い場所にあるホストに決まった。歩いて5分くらいの距離だけど、歩くのも面倒でタクシーをとめる。タクシーから降りると足元に気配を感じてよく見ると黒い猫が寝そべっていた。人が近づいても逃げないなんて変わった猫だ。


店に入ると1番奥の席に案内され、飲み物を聞かれる。ビールを焼酎を頼んだ。


…この店つまらない。一緒に来ている子達も同じ気持ちみたいだ。それにさっきから下手な歌を何度も歌っている他の客がウザイ。そんな事を思っていると一緒に来ていたキョウが耳元で囁いた「リカちゃん、消してきて。」


その指令を受けた私は嬉々とカラオケの機械に走る。あった!これだ!そして私は『演奏停止』のボタンを勢いよく押した。

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いつの間にか1匹ののら猫が歓楽街に棲みついていた。


のら猫は、のら猫としては体格のいいほうなのかもしれない。性格ものんびりしているようで、人が近づいてきても、あまり逃げ出したりはしない。むしろ、人に食べ物を請っているような感じすらある。


のら猫の全身は真っ黒だが、所々傷ついている。


その傷は、恐らく人間の仕業によるものと見て間違いないだろう。


こんな歓楽街に棲んでいれば、それも仕方ないのかもしれない。


日が暮れてから、太陽が昇るまでの間、この街は酒に支配されている。


酔っ払いどうしの喧嘩など日常茶飯事だし、酔っ払って物にあたる人間など珍しくも何ともない。ましてや

その対象が猫であったとしても大した事ではないだろう。


そんな中で、1匹ののら猫がここまで生き抜いてきたと言う事実は、奇跡なのかもしれない。



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