生きる意味も
何かをする意味も、
意味は、はじめから
見い出すものでなく、
その人の準備が整い次第、
その意味が少しづつ知らされて
くるものであり、
はじめから意味がないとか、
意味を見出そうとするのは、
傲慢さの現れである。
傲慢さは卑屈さからくるのだから、
その状態の時は、それをありのままに
認めて、
意味をわかろうとするのでなく、
わからなくても、
真理を会得した先人や
現代でも真理を追求している人は沢山
いるのだから、
そういう人の言葉や
芸術や技術に触れて、
少しでも近づけるように、
日々少ない時間でも自分で
自分を真理の方向性へ仕向ける
だけでよいんだ。
ただこんなシンプルな事だったのに、
昔は、卑屈さと傲慢さの
思い込みや観念が壊れず、
全く気付けなかった。
だから、強烈な不安と恐怖に
襲われ、心療内科にも通うほど、
精神が崩壊したのは、
この観念を壊す意味だったのだ。
そんな意味なんて、
その時に気付ける訳はないし、
その時に、医者にいこうが、
家族や友達に相談しようが、
本当に心の底からは、
誰も助けてなどはくれない、
事に気付いて、
自分の本当の甘さに気付けるのだ。
誰も助けてなどくれないし、
心の無意識の何処かに、
助けてもらえない、という依存的な甘さに
気付いてないから、卑屈さと傲慢さの
乱高下が治らないのだ。
自分でなんとかしよう、
どうにかしようと、もがいてもがいて
いるうちに、本当の支援者が現れる、
というのが、本質的道理であるから、
昔の自分に言ってあげたいぐらいだ。