客観性を無くして、
その世界に没頭してしまえば
苦しみからは解放される。
客観性というのは、
裏を返せば、相手から見てどう見えるか?
や、相対的なもの、相対比較とも言えるから
仏教でいう、証分、自証分、証自証分などの、
自分からの見解、他人からの見解、
自分と他人から離れた見解、
など、
物事を多角的に観ていく修行に
ばかり囚われてしまうと、
やれもしないのに、
課題と希望ばかりが観えてきてしまい、
それがより理想と現実のギャップを
作り出し、苦しみが増してきてしまう。
この客観性であっても、
全ては、空であり、実態はないわけだから、
ここからは、客観性の修行は一度やめて、
今の世界に没入する、没頭する、
無我夢中になる、時間や空間などの概念は
忘れてしまおう。
そうするしかないな。