相手の為とか自分の為とかに分けない本質的な慈悲や利他というのは、相手の為とか自分の為とか物事を二つに分けてしまう分別心を超えて、正しい事を唯やる、誰かや何かの為でない、という心が宿り、それがデフォルトの人でないと、本物の慈悲ではないのだ。自分はまだまだ、到底その境地にはいけてないし、一生かかってもいけるかわからない。だが、葉隠的に考えたら、必ずその境地に到達できるのだと思う。