正当化と肯定の違いはこういう事だったのだ | 『唯唯普通に生きる』

『唯唯普通に生きる』

『感情』を超えていきたい人の戯言です。

崇高なものに向かって生きていくには、

真理の哲学や考え方に沿わないと、


どうしてもいつの間にか

自分に都合のよい解釈になり、

無意識に正当化した解釈をしてしまう。


だから、仏教や四書五経や武士道などの

普遍的な考え方を学んで、その戒律を

守る生き方をする必要がある。


だが、戒律を守るのに慣れてきて、

それが普通になってくると、

段々戒律を守る事に

執着している事にも気付けなくなる。


そうすると、

戒律を守らない人や

他人の粗が気になって、

他を否定したくなる想念が生まれてしまい

、それはそれで生き苦しくなる。


誰でも苦しみは感じたくないが、

逃げると苦しみは追ってくるから、


この世は空であって

実態がないという空の概念を

徹底的に理解する必要がある。


その修行をやっていると、全ては

実態がないから、捉え方次第で

想念は全く変わるのもわかってはくる。


だが、同時に生きる事や死ぬ事も

空なのだから、それを感じすぎてしまうと

生きるエネルギーが湧きでてこなくなる。


だから、

五蘊盛苦を感じる事自体を

ありのままに観れたら、


それは空であると同時に全ては

歓喜なのだというのに気付けるように

なるらしい。


この感覚がわかってきたら、

五蘊盛苦を苦しみでなく、

それを感じないように正当化するので

なく、


全てを肯定できるようになるのだ。


そういう日がくるように

今日も精進していこう。