明らかに観る(諦める)のさらなる意味 | 『唯唯普通に生きる』

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『感情』を超えていきたい人の戯言です。

諦めるという言葉は、

昔は、明らかに観る、

という意味だったのが、

断念するという意味に

真逆に変わってしまった意味の考察を

以前に書いた。



諦める、という言葉はこの12年で

いくどとなく想念が浮かぶ言葉であり、


因果応報を知らずに、物事を短絡的な

勢いだけで始めてしまい、


その無意識の前提条件の人を

巻き込んでしまった因果から、


人の心は簡単には変わらない事に気付き

後になって嘆く、という

無限ループに陥り、


十二縁起の法則性を学び、


日々ダルマの教えを

実践しても、周りの人間にまでは、

中々現象化できないという現実を直視

せざるを得なくなり、


その度に、諦める、という言葉が

想念として浮かんでくる。


意味が真逆に変わってしまったのは、

正しい事なのに素直な気持ちになれない

から、それは今でない、という宙ぶらりんを

受け入れて生きるのは辛いから、


断念する、と意味を決めてしまった

のではないか? 


と推察した。


だが、これは、本来の意味である

明らかに観る、という意味の言葉に

戻れば、日本がもっと朗らかになって

いくのだと思う。