慈悲喜捨をやりなさいというサインなのか?正しい事を心の底ではきっと感じていながらも、表向きは、わざと反対の事ばかりする人がいる。そのような素直になれない人の因果はなんなのだろうか?幼少期に愛情不足で育ったのだろうか?嫌がらせをされたりしても、ほぼ嫌悪感は感じなくなってきたのだが、だけど、そういう事をされると、心はまだまだざわついてしまうから、慈悲喜捨の瞑想を改めてやりなさいという事のサインなのだろうか?