真理には、出来るとか出来ないの概念がない例えば、物を上から落としたら下に落ちる。重力には、出来るとか出来ないとかの概念はない。だから、真理や自然の摂理や宇宙の法則には、出来るとか出来ないの概念はない。ただそうなっている、ただそこにある、だけだから、原因と結果の因果の道理を考えていく根源としてよいと思う。重量が何故9.8m/sec なのか?に興味を持って追求していくのは学者であって、実践者はそこを追求する必要はなく、ただただ、そうなっている、と素直に捉える事ができるか?ただそれだけなんだな。