行で頭を空っぽにするやりたくないならならなきゃいい。ただそれだけ。必要か必要じゃないか?という考え方は、究極は損得勘定だし、善を行っても、善業では、無意識に見返りを求めているから、業を作りカルマが蓄積されていくからそれが因果応報で自分に返ってきて、げっそり疲れるのだな。仏教は儒教に道徳的には似ているが、道徳的に生きる事を目的にしている訳でなく、真理を獲得して現世を幸せに生きる術だから、この自然な原理がわかれば、頑張るとか頑張らないとかの概念がきっとなくなる。