『習慣を無理にでもつけた方がよい事』
→
客観的な絶対的真理、道理を知る習慣を
つける場合は、無理にでもつけた方がよい。
→ その時に意味がわからなくても、
『いずれ意味がわかる』
例えば、
般若心経を毎日唱えて、
物事の捉え方次第で、
心や感情は簡単に変わる、
即ち、全ては常に変わりゆく
『諸行無常』という原理を
理解していく為の習慣を
作る。
反対に、行動を起こす動機が
主観的なものであり、
目立ちたいや不安を解消したい、
などであると、
この思考で乗り越えてしまうと、
この思考が自分自身に
教化されてしまうし、
要らないプライドと執着心、
人に対する優劣感、などいらないもの
を手にしてしまう。
また、
乗り越えられない場合は、
自己否定につながり、
自信を無くす。
動機は、はじめは、
主観でもよいと思うが、
根源が主観の場合は、決して無理は
しない。
反骨心と対処療法で乗り越えて
しまうと、それが癖になり、
その後の人生も、その思考と行動が
パターン化されているから、
自分で作った檻に気付かない価値観で
生きていく事になる。
親鸞さんの
『教行信証』では、
人それぞれ自分を支える支えがあって、
それが崩れた時が一番苦しい、と
おっしゃる。
その支えが、過去の成功や
つまらないプライド、
だったとしたら、
それに意味がないと、
暗に気付いても、
それを離せないのも人間なのかもしれない。
だから、真実の教えを学び、
得ないでよいものは得ず、
得るべきものを得る、
というのが、幸せな人生を歩む
秘訣なのだろう。