2026年2/7 フクアリ

千葉0-2浦和

 

1/31 柏戦の完敗をうけ、

さて、どうでるか。

監督選手のうでのみせどころである。

 

試合早々、

フォワードからのプレッシングからバックス陣の位置どりは上々だ

ほどなくしてPKで先取さる。

 

JEF千葉の左ウイングが気になっていた。

もっぱらペナルティエリアのそとを仕事場と心得ているのだろうセンタリング数本。

 

ゴールの近くにいる、

にもかかわらず、

進んでペナルティエリアにはいっていく気配がない。

 

センタリング。

きこえはいいが、

逃げているようにしかみえない。

 

勇気をもって攻めてみてはどうだろう。

声をかけても無駄である。

なぜならば、

本人に、

逃げている、

この自覚がないからである。

だから、

なんども半端(はんぱ)をくりかえす。

これが問題なのである。

 

まがりなりにもユースからトップにあがった逸材である。

それなりの自負もあるだろう。

が、

ジェフ千葉はすでに瀬戸際にいる。

未成年者とはいえそこはプロフェッショナルのあつまるところである。

 

おれが決める。

おれによこせ。

口にはださなくても、

態度と結果でしめしてほしい。

 

プロフェッショナルである。

ならば年令は関係ない。

 

 

 

目を見て グッジョブ 握手しようぜ

 

ちびっ子たちと試合をする。

もっぱらゴールキーパーか審判である。

個人的に、

Good Job グッドジョブを口にする。

きみたちは今後、

異国の地で異国の人たちと試合をするかもしれない。

そのとき、

グッジョブ

このひとことがあればいいとかんがえるからである。

 

なぁに、

えらそうなことではない。

相手の目をみて、

グッジョブ、

という。

ただそれだけのことである。

 

が、

慣れないちびっ子たちがおおい。

 

ニッポンは恥の文化だといわれて久しいが、

こちらから握手をもとめても、

はずかしいから、

こばんでしまう。

これはいけない。

へたすると誤解をまねく。

 

そのことを年長者であるわたくしはちびっ子たちに伝えつづけていかなくてはならない。

 

 

 

第30回ちばぎんカップ 1/31 2026 三協F柏

柏2-1千葉

 

その試合、

わたくしは見ていない。

つまらない試合にしかなるまい。

予想はたがわなかった。

 

相手チームに圧倒されたという。

試合後の論評もきびしいものであった。

ただ、

よおくかんがえるべきである。

その差はどこにあるのか。

 

得点。

内容。

個人差の総体としてのチーム力。

経験値。

得点以外はどれも抽象の域をでない。

 

わたくしはおもう。

意識。

かんがえかたのちがいでしかない。

あえてここでいい切りたい。

 

残留のことばかり気にとられ

優勝をめざしてはいない。

レバンドフスキ級の大型補強もなしで優勝などありえない、

とでもおもっているのではなかろうか。

じゃあ、

レバンドフスキ級のストライカーになろうともせず、

負けをチームのせいにする。

たとえだまっていても追従はまぬがれえない。

 

選手生命はあっというまにおわる。

 

「サッカー場は劇場」

2025年8/30日

ジェフ2-1甲府

 

ふたたび提示したい。

J1に昇格しても意識がかわっていない。

ここに敗因の根本をみる。

 

 

 

競馬

惨敗の効用

 

門戸開放して、

はて、

外国籍馬が席巻したであろうか。

 

ジャパンカップをかえりみるといい。

1981 メアジードーツ

1982 ハーフアイスト

1983 スタネーラ

1984 カツラギエース

1985 シンボリルドルフ

ここから、

1992 トウカイテーオー

まで外国籍馬の後塵を拝すことになる。

 

ジャパンカップはひとつの目安でしかない。

が、

これが事実である。

シンボリルドルフなきあと、

世界との差はいかんともしがたかった。

この差を果たして埋められるのか。

絶望的な差にすらみえたにちがいない。

 

しかし、

そこはおなじ競争馬のこと。

かれらにかかわる「人」がまずかわらなければならない。

おもいしったことだろう。

 

競走馬の血統、

競走馬の鍛えかた、

競走馬とのつきあいかた。

海外に学ばなくてはならなかった。

 

ニッポンの競馬はここから始まったのである。

 

 

それにしても、

オリンピック

万国博覧会

ノーベル賞

アカデミー賞

が好きな人たちが多い国は?

 

まずオリンピック。

自国での開催が大盛況であったことが一部のひとたちにとって忘れられない成功体験となっただけ。

万国博覧会もおなじ。

 

ノーベル賞

なんとかして世界に認められたい。

世界が注目してくれる。

個人への栄誉だのに国民への賞賛と勘違いしているだけ。

アルフレッド ノーベルはかれがあみだしたダイナマイトで岩を砕き、

ついでに殺戮をくりかえす。

そのつみほろぼしにすぎないのに。

 

アカデミー賞

映画は娯楽。

いや映画こそ芸術。

いずれにせよこの賞の候補になるだけで興行がなりたつ。

人寄せ。

つぎの作品へのキャスティングにおかねをかけられる。

 

山本周五郎はいう。

賞は殺生である。

 

 

人生相談

 

野球場で作業をしているとき、

ちびっこがひとり走りまわっていた。

 

学校はたのしいかい?

うん。

そうか、そりゃぁいいや。つまんないのはつまんないもんな。

うん。

勉強はたのしいかい?

勉強?

どうかな。たのしいかな。

かなしいこたぁないかい?

ううん、とくに。

そうか、そりゃぁ、いい塩梅だ。

でも、なやみとかはないのかい。

うん、どうかなぁ、ないかなぁ。

ともだちとかいるのかい?

ともだち?あんまりいないかな。

そうかい、いないか。

ひとりいるかな。

それで充分。ともだちはたくさんいればいいってなもんじゃないもんな。

ともだちなかなかつくれないかも。

 

すると、

同僚の若いあんちゃんが、

ともだちっていったって、いまもともだちなんていない。小学校からのともだちなんかひとりもいない。中学校のともだちだって、つきあいなんかないし。きみの年でともだちがいなくったって、ぜんぜんへいきだよ。きにすることなんかない。おとなになって、ともだちできるかもしれないし。なやむことなんかない。おれだって小学校のころ、ともだちなんかいなかったし、中学校のときだって、ひとりで遊んでた。べつに悩むことなんかないよ。それよりも、好きなことあるといいよね。

 

素晴らしい人生相談であった。

 

 

最前線をご存知か?

 

商品開発をうたいながら、

数うてばいつかは当たる、

かのごとく複雑怪奇化してはいまいか。

 

つぎつぎと出される変更にくたびれているのが最前線ではたらく人たちではなかろうか。

 

ひとつの変更は最低ふたつの手間を生む。

最低でも手間がふえることになる。

 

商品開発担当者にとっては、

たった一文字変更を加えるだけでしかないのだろうが、

最前線では、

あきらかに面倒がふえているのである。

 

机上の簡単な作業が最前線の手間をふやしている。

そこに目が届いていない。

 

かわりならいくらでもいる。

 

最前線の命を軽くみる。

旧大日本帝国陸軍とちっともかわらないじゃないか。