近所の奥さんが回覧板を持ってきてくれました。
息子さんの大学入学共通テストが3日前に終わってほっとしていると嫁さんに話してました。
来月末に第2次試験があり、3月初旬に合格発表があるので、それまでは安心できないと仰ってました。
受験生を持つ家庭はこの時期は大変ですよね。
滋賀の田舎町であっても中学受験が当たり前であり、今の子供達は中学受験、高校受験、そして大学受験の3回も真剣勝負をさせられるのです。
中学受験をさせるために子供達を小学生から駅前に幾つもある進学塾に通わせているのです。
その奥さんのハラハラした気持ち、よく分ります。
去年の今頃に嫁さんの従弟のMちゃん、私の農業の師匠の一人ですが、相当にハラハラしていましたね。
年を取ってから生まれた次女は定年退職した年に大学受験を迎えたのです。
長女は既に大学を卒業し、隣の京都の銀行で働いています。
職場近くのアパートで独身生活を楽しんでいるようです。
Mちゃんは大学の学費を長女と同じ感覚でいたのが誤算でした。
次女が滑り止めに受けた京都の私立大学の年間の授業料は今や200万円近かったのです。
長女が行ったは国大は55万円だったのですが、もし次女が公立を落ちて、私立大学に行けば卒業まで800万円近くが必要なのです。
Mちゃんは退職金の大半を大規模ハウスの購入や農機具に使ったので、公立大学を落ちて、京都の私立大学に行かせると経済的にとても困ったことになると嘆いていました。笑
幸いにもMちゃんの次女は希望の公立大に合格したので難を逃れましたが、会社勤めに戻りました。
次女がヨーロッパの大学院に留学するために頑張って勉強しているからです。
ほそみち農園も同じなのですが、ご存知の様に3年目にしてやっとレモンのマトモな収益が得られたのですが、どんな作物でも始めてから2年や3年は殆ど収入が見込めません。
会社勤めだと毎月の給料がキッチリ貰えますので、次女をヨーロッパの大学院に留学させられるのです。
娘には滅茶苦茶甘いMちゃんは退職金の大半をつぎ込んで建てたハウス栽培は週末だけ働き、平日は瀬田の会社で働いています。
農業開発センターで指導員をしていたMちゃんが定年退職し、自分の農園で毎日働いていた頃は私も平日によく訪ねて行って、色んな質問に答えて貰っていたのですが、現在では週末だけ彼の農園で会えます。
娘が大学院を卒業するまでの6年間、退職金で作った自分の農園で本格的に働けないのが私としても非常に残念ですね。
もしその間に農園が軌道に乗って収益が出て来たらサラリーマンは直ぐに辞めると言ってました。
子供達が学校を卒業して社会に出てからでないと自分のやりたいものを始められないものですよね。笑
先日セントルイス在住の息子達からLINEで幾つかの写真をLINEで送ってきました。
母親に似て、よくお酒を飲む息子です。
嫁さんは大病を患ってからはたまにしか飲まないようになりました。
禁酒と禁煙を宣言した私は嫁さんが飲む時だけ付き合います。笑
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20231219/23/hosomichi-2020/55/62/j/o0674068915379072677.jpg?caw=800)
今回は嫁のGちゃんに海鮮丼を作ってもらったようです。
息子は中国人のGちゃんが日本料理を作ったらこうやって母親に自慢してくるのです。
さすがにマザコンですね。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240113/12/hosomichi-2020/82/ef/j/o1459129015388889434.jpg?caw=800)
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240113/12/hosomichi-2020/8a/78/j/o1188133515388889433.jpg?caw=800)
去年の9月に転職し、給料が上がったので、その自慢でしょうね、高級食材を使った料理をGちゃんに作ってもらって、その写真を我々に送ってくるのです。
逆にGちゃんは給料が下がりました。
GちゃんはワシントンDC郊外にあるFDA本部(日本で言えば厚生労働省)の研究員をしていましたが、息子に付いてセントルイスに引っ越ししたので、FDAのセントルイス支店の職員待遇になったのです。
やっている仕事は同じみたいですが、本部勤務と支店勤務では給料が違うみたいですね。
それでもGちゃんの給料は息子よりも少し多いのですから、アメリカの公務員はどれだけ多く給料を貰っているねん❕と思いますね。
息子も33歳でやっと一生働ける職場を見つけ、セントルイスの街に慣れたら家を買う予定です。
息子はやっと人生が落ち着いてきたと言ってますが、我々にとっては孫の顔を見るまでは落ち着いてもらっては絶対に困るのですが。笑
こういう平穏な会話を息子達としている時にほそみち家が解散になりかけたあの朝の事件を息子は持ち出してくるのですよ。
マザコンの息子は「あの時にお母さんに叱られなかったら現在の僕はいなかったわ」と言うのです。
忘れもしない息子が大学の共通テストを受ける日の朝に私と嫁さんは息子の教育のことで結婚生活で最大の夫婦喧嘩をしました。
現在では結婚生活38年になりますが、今から考えてもその時の夫婦喧嘩は最大でしたね。
息子の教育のことで、本当に離婚するかしないかまでいきました。
嫁さんは「これだけは私の判断に従わなければアンタと離婚する❕」と宣言しましたよ。
しかしもし嫁さんの判断が間違っていたら息子は全く別の人生を歩んでいたことだけは確かでした。
息子の人生を大きく左右することを嫁さんは判断したのです。
茶碗や皿は飛びませんでしたが、私もあの時だけはテーブルを強く叩いて叫びましたよ。
まぁ、私も嫁さんも息子の将来をよく考えての判断だったのですが、考えた結果が真逆だったのです。
そこまで私が怒るのはそれまでに一度もありませんでした。
私のl脳味噌が沸騰し出すと嫁さんが折れるのが通常でした。
しかしその時の嫁さんは「これだけは絶対に譲れへん❕ アンタはXXX(息子の名前)の人生を台無しにしようとしてるんやで❕ 私は息子を守る❕」と言って嫁さんは息子を守るために本気で私と離婚すると言いましたよ。
あの時の嫁さんには負けましたよ。
私は嫁さんの判断に従う方が息子の将来が台無しになると確信ていましたが、息子の将来が台無しになっても嫁さんと離婚するわけにはいきませんでしたからね。
だから私はあの時は息子に申し訳ない気持ちで一杯でした。
結果的には嫁さんの判断が正しかったのかもしれませんが、息子はあの時の母親の判断のお陰で精神的に強い男になったとマザコンの息子は母親に感謝しているのです。
結果的には嫁さんが正解だったものの、あの時の私の判断の方が正しかったと今でも思っています。
嫁さんと私は毎日のように喧嘩をしていますが、そのどれもが本気の喧嘩にならないのは2006年の18年前に離婚するかしないかの手前まで行った大喧嘩があるので、あれ以外の喧嘩には嫁さんも私も本気にはなれないからです。
今の息子は呑気にお酒を飲んでいる写真を嫁のGちゃんに何枚も撮ってもらって我々に送ってくるのですが、あの日の我々の判断で息子の人生が180度変わっていたことを考えると今でも背中が冷やっとします。
そして嫁さんは今でもあの日の結果が悪かったとしても、親が息子の人生を台無しにするよりは良かったと言います。
マザコンの息子も同じことを言ってあの時の母親の判断に感謝しているのです。
先述した様に、私は今でもあの時の私の判断の方が正しかったと今でも思っていますが、現在の息子を見ていると、嫁さんの判断も決して間違いではなかったような気がしてきました。
もし興味があれば以前に書いた日記を読んで下さい。
一歩間違えばあの時に我々は離婚していましたし、息子の人生が180度変わっていました。笑