真のお父様が聖霊により「原理原本」について説明してくださっています!私は書き留めるだけです! | 聖霊のもとにーメシヤの涙

聖霊のもとにーメシヤの涙

心の中に神様が入ってこられ、いらっしゃれば心が分かります。
神様が心の中に入ってこられれば、壁も突き通して見ることができ、
じっと座りながら何千年前に死んだ聖人たちを運行させることもできます。

先回記事末部より

 

男女ともに信徒を「新婦」と見ることを理解するにおいて、何が重要かと言えば、次の一文です。

 

「新婦にならなければならないため、イエスに対する端的(はっきりしているさま)な愛を各自が所有し、天の生命を繁殖すべき責任がある。」

 

キリストに対して「絶対信仰・絶対愛・絶対服従」の心情で結ばれたならば、そこから新しい信徒を霊的に誕生させるための伝道路程が始まるという事なのです。その意味で、男性も霊的生命を産む「新婦」としての責任を賜るようになるという事です。

 

つまり、教会においても新天新地の聖都(天一国)においても、キリストと一体となってアベルとして立ったならば、カイン圏を拡大展開していく責任を賜ったというのです。

 

さてそれでは、アベルカインが勝利していくためには母子協助が立たなければなりません。統一教会もまた、真のお父様に対して花嫁であるはずであり、聖都エルサレム・・・、つまり今現れている天一国も、真のお父様の花嫁という事になります。「子羊の妻なる花嫁」とは、三代王権のもとにある王王妃達のことになります。

 

この記事の内容を踏まえて、次回の記事で、真のお父様は何ゆえに「聖霊」「女性神」と呼び、「霊的な真の母」と称したのかを説明していきます。

 

このことが理解され真実が展開されるようになれば、韓氏オモニが掲げた「天の父母様」虚像偶像だと、「お父様の聖霊」によって暴かれ崩れる日は近くなるのです!

 

  *****

 

2024年5月21日に、次のように題した記事を公開していました。

 

真のお父様の蕩減復帰は「原理原本」で始まり「夜の神様昼の神様」で完結勝利した事実!

 

1945年から出発した再臨主による復帰路程は、キリスト教が受け入れなかったことにより崩れ去り、失った「世界的メシヤの為の基台」を取り戻す戦いとなりました。その蕩減復帰摂理の出発点で執筆された「原理原本」です。真のお父様は神様と一体であり、すべての究極の真理を御存じです。「見える神様の教本」「見えない神様の教本」も、真のお父様の中にあるのです。しかし、キリスト教の背信により、キリストの位置を失い、アベルの立場で執筆しなければなりませんでした。

 

祝福家庭がアベルカインを勝利できずに、真のお父様をキリストの位置に立てることができませんでしたが、亨進様と国進様が勝利され、真のお父様を「聖父・聖子・聖霊の三位一体」のキリストとして証し出来るようになったのです。「聖父・聖子・聖霊の三位一体」を理解するには、その前に「夜の神様昼の神様」を理解しなければならなかったのです。

 

「夜の神様の実体」がアダムであり、「昼の神様の実体」がエバです。真のお父様がキリストの位置を失い、「聖父・聖子・聖霊の三位一体」を公表できない中で、「原理原本」においては、夜の神様「天の父」昼の神様「天の母」と比喩と象徴の言葉で表現するしかありませんでした。

 

夜の神様は天使と共に被造世界を創造し、生物の段階的発展の過程で、鳥類や哺乳類の生き物に、親の愛の原様相を本能として与えました。人類始祖が誕生するまで、夜の神様は自らあらん限りの父性の愛を注ぎながら、創造の御業を展開してきたのです。

 

その創造の過程で、夜の神様が誕生したと感じ取った形状からの包容感から、母性の愛の構想として立てて、万物にもインプットしてきました。

 

しかし、本当の母性の成長と展開は、エバが誕生してから始まるのです。そこで、次のみ言が重要になります。

 

  **2006年2月20日安侍日の敬拝式及び朝の訓読会でのみ言より**

 

 そのために神様が創造をアダムを先にしたのか、女を先にしたのか?いくら生まれがよかったとしても先有条件物である女が必要でありうるようになった。精神的創造は女を神様が先にしておいて、男は不足品の創造物だと言うのだ。女マンセー(万歳)、言ってみなさい。「女マンセー。」大きく言ってみなさい、この身分の低い奴ら!「女マンセー!」(笑い)それはそうでないと否定できない。

 

 男は誰のために生まれたのか?女のために!しかし貴いのは誰にあるのか?男にある。生命の種と言うのは、出発は女のために創造したとして生命の種種をしまっておいたのは生命の種がどれほど多いのかわかるか?女の子宮に精子、卵子と精子数個と合うのか?卵子一つと精子百個か、千個か?一つしかいない。卵子一つに百個になれば百双が一度に双子になると言うのだ。そのような法がない。

 

  **引用終了**

 

男性にとって不足品とは、エバの心情で成長していく母性の愛です。不足と言っても、それは神様にも構想上のものでしかなかった母性を、エバと愛し合い一体となって成長することによって、実感し体恤するものとなっていくものとなるのです。つまり、夜の神様にとっては「性相的プラス内容」です。

 

  **第45回『真の子女の日』のみ言「ファミリー」2005.1月号P.22**

 

 ですから、息子を中心として見るとき、神様はお父様であると同時にお兄様にもなり、わたしの女性世界の相対圏を助けてくれる夫となる相対的条件を持っているのです。その相対的条件が、わたしと関係を結ぶのは難しいので、アダムのあばら骨からエバを抜き出したのです。分かりますか?

 

 二性性相の形象的実体女性分野を中心として抜き出し、アダムと同じ形の主体対象関係なのです。 エバには、性相的プラス内容があるので、自然に連結させる関係が結ばれるようになっています。 因縁において関係が結ばれるように、男性と女性になっているのです。

 

  **引用終了**

 

ですから、神様にとってアダムとエバの成長期間は、アダムとエバが四大心情圏を成就していく過程において、エバの母性を一体となって相続体恤していくことなのです。

 

蕩減復帰路程において、最大のテーマはアベルカイン一体を成就して、長子権を立てることにより母子協助の勝利権を得て、母の位置を確立する事なのです。

 

そのことについて、原理原本では「母のいない『父なる神』であった根本意義」と書いているのです。

 

(四)イエスが昇天後も摂理に責任を持つ根本意義 290p

 また、今まで神は「父なる神」として、歴史を通して母のいない父であったことを人間は知らなければならないが、母のいない「父なる神」であった根本意義を考えることさえできない父母を失った子女を見るとき、その父の憤慨たるや言葉で言い表せないものだったであろう。その間、人生の苦痛が未解決だったことは歴史を通じた事実であった。したがって、天の父と母が成立してこそ、子女が自らの家庭組織の成就を始めることができるのである。(第五巻第二章第一節参照)それが目的ゆえに、聖徒や天にいる人間はこの一日を長く待ち望んできたのである。

 

「天の父と母が成立」するとは、夜の神様の実体である真のお父様が、昼の神様の実体である真のお母様と「神様を中心とする真の父母の実体的三位一体」を成就するとともに、真のお父様が「聖父・聖子・聖霊の三位一体」のキリストとして天宙の真の愛の主管主になることです。

 

そのことが最終的な目的であり、その段階的途上において、築き上げていく基台について次のように記述しています。

 

(四)イエスが昇天後も摂理に責任を持つ根本意義 289p

 アダムとエバは、神を中心に一つの愛を成就する夫婦になることを求めていたが、今まで霊として相対し、役事してきた神とイエスと聖神は、一つの肉身をもち、自らが堕落することなく進むべき根本の部分、すなわちみ旨を中心とする夫婦になることはできなかった。

 ゆえに天は、地の信者をして新郎を迎える新婦とし、歴史を経ながら暗闇を取り除き、その模範となる一つの基が成就して完成することを待ち望んできたのである。この全目的が完成する時期と共に、天も完成できる基本理由となるその結実点が始まるがゆえに、天宙の全聖徒たちも一つになってその日を待ち望むのである。

 

「地の信者をして新郎を迎える新婦」たちとは、イエス様の霊的復活以降にクリスチャンたちが男性も女性も「新婦」と表現されたものでした。世界に宣教拡大され、各国で多くの新婦たちが変わらぬ信仰や、あるいは殉教を通して築いてきた「世界的メシヤの為の基台」でした。イエス様の花嫁であった教会が求めてきた基台でしたが、もし真のお父様を再臨主として迎えていたならば、そこから「天宙の全聖徒」「天宙的メシヤの為の基台」を立てる為の摂理が展開したのです。

 

「天宙の全聖徒」とは、ヨハネの黙示録に登場する「子羊の妻なる花嫁」達となるのです。

 

ヨハネの黙示録 21章

21:1わたしはまた、新しい天と新しい地とを見た。先の天と地とは消え去り、海もなくなってしまった。 21:2また、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために着飾った花嫁のように用意をととのえて、神のもとを出て、天から下って来るのを見た。 

21:9最後の七つの災害が満ちている七つの鉢を持っていた七人の御使のひとりがきて、わたしに語って言った、「さあ、きなさい。小羊の妻なる花嫁を見せよう」。 21:10この御使は、わたしを御霊に感じたまま、大きな高い山に連れて行き、聖都エルサレムが、神の栄光のうちに、神のみもとを出て天から下って来るのを見せてくれた。

 

イエス様の「花嫁」である教会の信徒達が、男性信徒も女性信徒も「新婦」となって展開する摂理は、イエス様を信じ聖霊を迎える信徒達を拡大し、「世界的メシヤの為の基台」を立てる事でした。男性信徒も女性信徒も、霊的生命を誕生させ産み増やす摂理に対して、全面的協助を展開する聖霊の働きでしたから、真のお父様は聖霊を女性として新生復活の象徴とし、「霊的真の母」と表現したのです。

 

その基台の上に、「真のお父様」が世界の前に「キリスト」として立つはずだったのです。「聖父・聖子・聖霊の三位一体」のキリストとして世界の前に立ったならば、「夜の神様昼の神様」の解釈が為され、聖霊は男性格主体の夜の神様から発動される「お父様の聖霊」であることを公表することが、蕩減復帰摂理上では当然のことであったのです。

 

しかし、キリスト教が真のお父様を受け入れず、失われた二千年の新約時代における蕩減復帰摂理を辿らなければならなくなったのです。

 

さて、私たち三代王権のもとにある祝福家庭は、ヨハネの黙示録に記された「子羊の妻なる花嫁」となっているのかどうかを確認しなければなりません。そして、「聖なる都、新しいエルサレム」とは「新しい天と新しい地」とも聖句にありますから、「子羊の妻なる花嫁」達だけで成り立っているわけではないのです。

 

その事について明確にしながら、私たちが三代王権のもとにある王王妃と言えるかどうかまで、考察していきましょう。

 

 

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