原理講論に書かれていない真の愛の起源を取り戻すことがお父様の勝利によって闘う為の基本です! | 聖霊のもとにーメシヤの涙

聖霊のもとにーメシヤの涙

心の中に神様が入ってこられ、いらっしゃれば心が分かります。
神様が心の中に入ってこられれば、壁も突き通して見ることができ、
じっと座りながら何千年前に死んだ聖人たちを運行させることもできます。

先回記事末部より

 

最初の性分化は、受精の時にすでに分かれていますが、男性の肉体も生殖器も、女性の形状を基本形にして胎内に孕まれ、6週目から8週目にかけて男性として成長するようになります。

 

また、女性の胎児は、母胎に生命が育まれている間に、最大数の卵子(原始卵胞)を持つようになっています。

 

これに対して、男性の精子は思春期に作られるようになります。つまり、創造世界において、もっとも長い期間をかけ、長い歳月に愛を注ぎ、神様が出現を待ったものこそ、アダムの精子であり、神様の精子だったのです。

 

エバの卵子は、136億年の創造期間に天宙を流れてきた生素が結実して作られますが、アダムの精子は天宙を流れてきた生素に、親の愛とエバの愛が注がれたうえで、初めて地上に形成されるのです。

 

  *****

 

なぜ、主体である男性よりも先に、女性を構想しなければならなかったのでしょうか。

 

神様は自己中心的な存在から、絶対的虚無の存在であった形状から包み込まれるという体験を通して、主体と対象が愛し合う喜びが、異次元的に大きいことに覚醒したからです。この包容感と、包み込んでくる存在を包み返したいという包括感は、対象が具現化して実体としての存在とならなければ得られない感覚なのです。その包容感・包括感が神様の知情意を刺激して、神様には真の愛として感覚され、無尽蔵の愛を求める衝動が湧き上がり、神様の心情を形成するようになるのです。

 

ですから神様は、一人の存在の神様では得ることの出来ない真の愛を実現する為に、対象の女性を構想しました。その対象である女性と、包容し包括する真の愛の喜びを体感するためには、主体となる神様自身も対象の女性も、それぞれが独立した個性真理体として現れなければならなかったのです。

 

その男性女性の二人ともどもに、神様が愛により生まれたと実感したその体験を、同じように体験し誕生する必要があったのです。聖書にも、原理講論にも人類始祖を誕生させた女性について言及されてはいません。しかし、この人類始祖の二人、アダムとエバを誕生させた生殖器の子宮、つまり胎は神様が愛により生まれたと感じ取ったそのものの環境圏の顕現とならなければならなかったのです。

 

真の愛の起源となり、宇宙の根源となった自己愛の神様を包み込んで来た環境を、おなじ愛に包み込まれる体験ができる環境圏から、アダムとエバを生み出さなければなりませんでした。とくに、神様の精子を備えることになるアダムにとって、それまでの神様が被造世界に注いだ愛が、完全結実する子宮から生まれる必要があったのです。

 

それで、宇宙の根源、真の愛の起源について語った、次の真のお父様のみ言が重要になってくるのです。

 

宇宙の根本 第2章人間創造と愛の理想の完成1)愛の絶対価値①人間の男性と女性

「神様の愛と人間の愛がいつ一つになるのか、ということが問題です。これが歴史的な問題であり、宇宙創造以降の重大な問題です。これが解決されない限り、宇宙の根本が解決されない限り、絶対に結果が解けないのです。真の愛を中心としては、神様は核の位置に立たなければなりません。それでは、アダムとエバは何でしょうか。アダムとエバは、核を包み込む二つのかけらと同じです。皆さん、くりのようなものを見れば、二つのかけらになって胚芽を包んでいるでしょう? それと同じように、神様を核として、男性と女性が愛を中心として完全に一つになるのです。」
 

このみ言で語られた「アダムとエバは、核を包み込む二つのかけらと同じです。」という内容の意味するところは、次のようになります。アダムの生殖器を共有する神様が、エバの生殖器に包み込まれ、二人の生殖器に包み込まれた神様が真の愛の核になるという意味になります。全天宙の個性真理体を流れてきた生素(神様の愛)が、二人の生殖器に吸収され結集していますから、全天宙が神様を愛で包み込んでくるのです。

 

その神様が真の愛の核となり、神様はアダムと一体となってエバを包み込むと同時に、全天宙を真の愛で包括することになるのです。

 

アダムが全天宙を真の愛で包括出来るようになる為には、アダムの無意識世界に、愛に包み込まれ生まれた体験を潜在させなければなりませんでした。だからこそ、アダムの生命を孕んだ子宮も、掛けがえない存在なのですが、名も無く存在が無いままになるのは、神様が創造した被造世界の結実としての生殖器であるからです。

 

絶対的虚無の存在である形状によって、神様が愛により生まれましたから、形状の究極の具現体となったアダムとエバを産んだ胎(子宮)は、絶対虚無の存在として永遠に真価を刻むものとなるのです。

 

それは、神様が構想した理想世界の結実点となりますから、その原点となっているのが、自己中心的な神様が、形状の絶対服従性から包容感を感じ取った体験となっているのです。ですから、真の愛の起源も宇宙の根本も、結果的に、女性の子宮となって顕現化した、神様の包容感の実体験に原点があるのです。

 

だからこそ、女性マンセーであり、女性マンセーと叫ぶほどに、男性の尊さが浮かび上がり、男性女性どちらの真価をも高めるものとなるのです。

 

天聖経から引用します。

 

宇宙の根本 第1章宇宙の根本秩序1)神様の二性性相の大展開①神様は二性性相の中和体

 男性の愛と生命の起源は、どこでしょうか。神様でしょう。二性性相の中和的主体であると同時に、愛の根本であるお方が神様です。『原理講論』に「真の愛の起源」という言葉を入れなければなりません。「真の愛の起源が神様だ」という言葉を入れなければならないというのです。

 『原理講論』を修正することができる主人公は、私しかいません。それを知っていますか。(224-228、1991.11.24)

 

なぜ、真のお父様は「原理講論」に、「真の愛の起源」について書き入れさせなかったのでしょうか。その時になっていなかったからだとも語られていましたが、すでに真のお父様は完全勝利されて、その時はもう来ているのです。

 

「真の愛の起源」が理解できたならば、私たちの考え方の根本から変わるのです。天一国の文化文明圏が、あなたの思考回路に広がっていくようになるのです。それを確立しなければ、サタンに打ち勝つ術が見えてこないのです。

 

あなたは自分の能力で闘いますか。それとも、お父様の勝利によって闘いますか。

 

 

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